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第一章 幸せな日々 * 第一話「それぞれの憂鬱」(2)


 国の中心である王族、及び宮殿が存在するならば、当然ながら守護する者達も存在する。政治に介入するものから、庭木の世話をする者まで、内容の差異はあれど、契約の下に忠誠を誓い、身を捧げるのが守護者達の定め。
 その中において最も名が知られている花形職業。技量と知略を兼ね揃えた精鋭部隊。それが「エルフェリア宮殿騎士団」である。


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 エルラドが下級部隊の隊長に任命されたのは、急な事だった。最も低い階級である下級騎士ですら、部隊長に昇格するまでは平均五年かかる所を、たったの二年、弱冠十八歳で成したという報せは騎士団全体を震撼させた。しかし誰よりも驚きを隠せなかったのはエルラド=シファン本人である。

――貴殿を第五十三部隊の隊長に任命する。以上。

 団長の言葉に、謹んで拝命致します、と口では言ったもののしばらく実感が湧かなかった。
 そもそも命じられるまでの経緯が問題だった。何の前触れもなく隊長(今となっては元、だが)に連れられた先が団長の執務室だっただけでも衝撃だった。下級騎士は公式の場においてしかご尊顔を拝見できない団長の下に連れてこられる事が何を意味するのか。
 自分は何か無意識に騎士として不適切な振る舞いをしてしまったのだ。エルラドは率直にそう思った。だから団長の口から出た言葉はエルラドを驚かせ、まだほんの少しであったが思考能力すらも奪った。
 エルラドは上官の命令は絶対である、という騎士の本能をもって承諾の言葉を紡いだようなものだった。
 言われた事の意味を理解し、事の重大さを認識したのは宿舎に戻り、事の経緯を聞くべく待っていた親友の姿を見た時だった。


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 めでたいことなのに一体何を落ち込んでいるんだ。
 今のエルラドを見て彼が隊長になった事実を知る者ならそう疑問を抱くことだろう。いくら謙虚さを装っていようとも、出世を望まない者はほぼ皆無であろうし、野心あるものならば縁故や財力を利用してでも地位を手に入れようとする。
 『ただ、王族や国を守護するのみ』とは良く言ったものだ。世間では花形職業と言われているが、その実はそんな綺麗な単語で表現されるようなものではない。
 それ程までに騎士にとって価値のある地位を、エルラドは史上二番目の早さで手に入れたにも関わらず、当のエルラドは浮かない顔をしている。その様子を見てアーサーが何の疑問も抱かないのは、彼自身が少数派の無欲人間であることも作用しているが、誰よりも彼がエルラドの性格を把握しているからに他ならない。
「……で、結局隊長位は辞退するのか?」
「いや、拝命する、と言った以上取り消すのは申し訳は立たないだろう」
「どっちなんだよ!」
 エルラドは隊長に選ばれたことに疑問を抱いている。その理由を十分に理解していながらもアーサーはどっちつかずの親友を見て突っ込まずにはいられなかった。
「ここは覚悟を決めて、現実に向き合わなければならないんだよな。ただ、何の前触れもなかったものだから」
 まあなあ。言いかけていや、と数日前の出来事を思い出すアーサー。
「ちょっと前に隊長に呼ばれて手合わせさせられたって言ってたよな。あれが、そうだったんじゃねえのか」
「抜き打ちの個人訓練なんて昨日今日に始まった事じゃないじゃないか。隊長も何も仰っていなかったし。……いや、待てよ。言われてみればこれで安心だな、とか言っていたような……全く、隊長もお人が悪い」
 常識で考えれば事前に意思は確かめてしかるべきだ。何の報せもなしに当日即断を求められ、しかも相手は団長だ。否、と言える方がおかしい。
 だが逆に考えればそこまでしてでも隊長はエルラドを後任としたかったのだろう。隊長が今の副隊長よりもエルラドを気にかけていたのにアーサーは気付いていた。というよりも、隊の誰もが感情の違いはあれど、抜きん出たエルラドの剣の腕を認めていた。隊長位を退く理由は定かではないが、後任にエルラドが選ばれるのは何ら不思議なことではないのが、現五十三部隊の常識である。
 ただ一つ問題なのは、こともあろうにエルラド本人に全くといってよいほど欲がないという事だ。そこで隊長はより確実に、半ば騙すような形で無理矢理に後任を決定する策を講じたのだ。
 本当に良く性格を見抜いているからこその手段である。職権乱用も甚だしいが、地位は利用するからこそ価値がある、とも言えなくもない。
「とにかくもう、なるようになるしかねえだろ」
「……ああ」
 未だ浮かない顔のエルラドを見ながらやれやれ、と溜息を吐くアーサー。だが本当になるようになるしかないのだから仕方がない。
 だが、呆れた顔をしながらもアーサーはエルラドが無欲だからといって隊長としての任務を全うできないとは余り思っていなかった。確かに積極的でないが、消極的でもない。騎士としては温厚すぎる性格でもあるが、瑣末な話だ。
 今の姿からは想像もつかないが、いざ剣を持つと目を瞠るほどの実力を発揮できる人間なのだ。天才は実現する。彼と剣を交えた者は少なかれそう思うことだろう。アーサーもその内の一人だ。
 最初は戸惑うだろうが、場の雰囲気を汲み取って、無難にその任を勤め上げることだろう。だが、それは飽くまで部下達が素直に従えばの話だ。アーサーが懸念するのは正にそこだった。
 欲望渦巻く騎士団。今の所エルラドに対して誰かが羨む言葉や素振りを見せたことはない。だがそれはエルラドがいくら実力者だとしてもまだ若年であり、次期隊長候補筆頭である副隊長を差し置いて、若年の騎士が隊長になるとは思いもしないからこそ口にしなかっただけの話。それが覆されたとしたらどうなるか。想像するのは容易い。
(そうなった場合にどうするか、も隊長としての試練なんだろうけれどな)
 結局の所、自分もほとほと弟分に甘い。とりあえず場の雰囲気を変えるべく真横から抱きついてみるアーサー。恋人を安心させるならば有効であるが、男同士では大抵の人間には「そっちの趣味の人」だ。
「……どさくさにまぎれて何をやってるんだ……」
 まだ晴れない表情はしているものの、言葉はいつもの通り返ってくる。見た目や言葉は否定しているが、エルラドの騎士としての本能は確実に現実を受け入れている。アーサーは漠然とそう感じていた。
 ならば現時点で自分が出来るのは懸念が現実にならない事を祈るだけだ。
「大丈夫、大丈夫。困った事になったらすーぐ、お兄ちゃんが助けてあげるから」
「あのなあ……」
 呆れつつも、エルラドは笑みをこぼす。
「ありがとう。すこし気持ちの整理がついた」
「そーかそーか。胸ならいつでも貸すわよ」
「……感謝の気持ちが薄まる前に、その言葉はやめてもらえるか」
 そりゃ困るな。おどけて見せながらぱっと腕を外すアーサー。
「じゃ、とりあえず飯でも食いに行きますか」
「そうだな」
 そこに在るのは、いつもの親友同士の語らいだった。


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 これより三日後。宮殿騎士団に正式に若干十八歳の新隊長が誕生することとなる。
 そして更に、数ヶ月の後、アーサーの懸念は現実のものとなるのであった。