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第一章 幸せな日々 * 第一話「それぞれの憂鬱」(1)


 久しぶりの晴天。なのに何故私は窓を閉め切った部屋で勉強などしているのだろう。もったいない。
 ルマが溜息を吐くと、向かい側に座っている教育官がひっと、しゃっくりのような声を漏らした。つんざく様な響きにびっくりさせられたルマが教本から視線を移動させた先には、蒼白な面持ちで表情を硬くしている教育官の姿があった。
「どうしたの?」
 訝しげにルマが尋ねると、ずれた眼鏡を戻しながら相手が応える。
「申し訳ありません。私の説明……退屈でしたでしょうか?」
 たどたどしく聞いてくる相手に、最初は理解できず首を傾げるルマであったが、理由に気付きああ、と頷いてみせる。自覚がない、とは良く言われるが一応、自分は大王国「エルフェリア」の王女なのだ。その王女が話半分にぼけっと外を眺めていたのを、自分のせいと諌めているのだろう。四十は過ぎているくらいの女性教官だが、その年齢を感じさせないほどの狼狽ぶりだ。新米教官が初授業してるんじゃないんだから。ルマはやれやれ、と軽い溜息を吐きながら返事をする。
「ごめんね。急に昨日のウォールのお小言を思い出しちゃったの。先生のせいじゃないよ」
「そう……ですか? でも思い出させるような話し方をしてしまったのでは……」
 だから貴女のせいじゃないって言っているのに。
 ウォールみたいにいちいち、やれドレスを翻らせてはなりません、貴女様はお世継ぎである自覚があるのですか、とかうるさいのも嫌だが、こう顔色を伺われ、卑下されるのも面倒だ。意図がない分だけ後者のほうが性質が悪い気がする。
「責任あるとすれば私の集中力が足りなかっただけだよ。続けて、ね?」
 ルマがにっこりと微笑みかけると安心したような微笑が返り、授業が再開される。
 この分野(今受けているのは王国史だ)の権威と呼ばれているらしいだけあって、説明は勿論のこと、内容の解釈も非常に興味を持たせるものだ。でもだからと言って何になると言うのだろう。
 ウォールは言っていた。日々の知識の蓄積が国の将来を担う者としての責任に繋がっていくのだと。それは確かなことなのだろう。王国史も、帝王学も、交渉術も世継ぎになる者としては必要だ。政治の場に介入出来る十五歳にはまだ二年足りない若年の王女も、これだけほぼ一日置きに知識を押し付けられれば、自分は世継ぎの姫君として必要な教養をたくさん身に付けなくてはならない、という自覚は嫌でも生まれてくる。
 かと言って、望んで王位を継承出来るかと問われればそれは別問題だ。でも現国王の直系が第一王女、ルマ=ランティただ一人である以上、ルマに選択肢はない。ならば余計な抵抗などはせずに(ただやっぱりウォールのお小言はうるさい。王の従者のくせに)運命を受け入れるのが最善の道なのだろう。だからこうして多少の不満はあっても取り繕うようにしている。面倒ごとを抱えるのは得策ではないからだ。
 ルマは話を聞きつつも、常に漠然とある気持ちをしっかりと感じていた。つまらない、と。
 目線を再び窓の外にやる。本当に今日は良い天気なのだ。だから早くここから飛び出してしまいたい。口うるさい従者の事など知らない。世継ぎの自覚など知ったことじゃない。やる事はちゃんとやっているのだ。だから、自分の意思を主張し、行動に移すことくらい許されたっていいじゃないか。だから、はやくこの時が流れてしまえばいい。早く、自由になれればいい。理由はただ一つだ。ここは「つまらない」。それだけ。
 漠然とした倦怠感と、そして心の奥底に潜む悲しみが入り混じった王女の思惑など知る由もなく、教育官は淡々と王国史を語るのみだった。


*      *      *


 大陸一の面積、歴史、そして繁栄を誇る大王国「エルフェリア」はやはりダテではない。
 視界いっぱいに広がる、難攻不落といった感じに高くそびえ建つ赤レンガ造りの城壁。それらを真正面に捉えながら、エルラドは感嘆の溜息を漏らした。
 晩秋の冷たい風が、端正な顔立ちを縁取る、やや長めの深緑の髪を乱す。しかし、エルラドは直すこともせず、城壁とそこから覗く白を基調とした絢爛たる城を眺めていた。陶酔、とまではいかずとも見る者の目を惹きつけて止まない歴史の重みがここ、エルフェリア宮殿にはある。
「しっかし、いつ見ても無駄にでかいよなー。月の宮はよー」
 無論、万人がそうであるとは限らないが。
 「月の宮」とはエルフェリア宮殿の通称である。建国した王が月光に染まった宮殿を見て美しいと絶賛したからだとか、由来は諸説あるがはっきりしたものはない。とにかくも、国民は敬愛を込めて「月の宮」と呼び親しんでいるのである。
「滅多な事いうものじゃない、アーサー」
 溜息を漏らしながらエルラドは幼馴染であり、親友であり、仕事仲間でもある相手を諌める。身長差だけやや視線を上に向け、アーサーの顔を捉えるエルラド。猫のようにつり上がった青の瞳は晴れ渡った空のように澄んでいる。しかし、寄せられた眉根と尖らせた口元が形成するのは、雲がかかったように煮え切らない感じの不満顔だ。
「俺は至極真面目に正直な意見を述べたまでじゃねえか」
 自分の心に偽りなく意見を述べるのは大変良いことだ。諍いを好まぬ余りに、意に沿わずとも妥協することが多々ある身としては、理不尽な事には素直に憤る姿は羨ましくもある。
 ただ、正直になりすぎるのも問題なのだ。立場も状況もものともせず、至極当然と構えている親友を目に映し、エルラドは深く溜息をついた。
「私だってそういつでも昨日みたいに言い繕える訳では……」
 ないからな。言いかけた言葉は真正面から抱きしめられる、という形で強制的に止められた。言葉は元より呼吸すら上手くできない。叫ぶのもままならず、自由の利く足で相手の足を小突いて抵抗の意を示す。拘束は緩んだものの、解かれはしなかった。呼吸を整えつつ、目線を上げた先には不機嫌そうに口を尖らせる親友の姿がある。
「愛情を足蹴にするなんて、お兄ちゃん悲しい」
 人の話を途中で遮った挙句に公衆の面前で抱きついてきた人間が何を言う。
 道行く者達がちらちらこちらを見ている姿を横目に、エルラドは思う。
「別にお前の好意を否定している訳じゃないよ。ただ時と場合を考えてくれないか」
「時も場合も関係なく、お前への愛情は常に満ち溢れていると言うのにか?」
 傍から聞けば誤解されかねない言葉をしれっと言いのけてしまう親友に二の句が継げないエルラド。人生の半分以上もの長い付き合いなのだ。少々度の越した親愛表現なのであって、「そっちの気」がないのは理解している。だが、通りすがりの人間は理解出来ようはずもない。何を思われているのかは定かではないが、男女ですらおいそれと抱き合ったりするのははしたないと言われる世の中だ。それが男同士となればどうか。想像すらしたくない。
「今更だが、ホントお前は真面目だよなあ。たまには肩の力抜いたほうがいいぜ? 俺みたいに」
「お前はもう少し力入れた方がいいんじゃないか……?」
 深い溜息を吐きながら、呪縛を解くと案の定不機嫌そうな親友の顔が目に映る。
 やれやれとぼやきつつ、着衣の乱れを整えていると、するり、と何かが手元を滑っていく感覚を覚えた。何か、と確かめる前にそれは音を立てて、地面を滑っていく。血相を変えてそれを拾い上げる。掌に収まったそれ、金茶の楕円形のメダルに傷がついていないのを確かめると、エルラドはほっと胸を撫で下ろした。
「別に、そんな素直に気緩めてくれなくてもいいんだけど」
 冗談口調のアーサーも、無表情で沈黙を送る親友を前に表情を改め、拘束を解いた。
「……すみません。そろそろ悪ふざけはやめます、シファン隊長殿っ!」
「本当にそう思っているならその呼び方はやめてくれないか」
 はいはい。本当に反省しているのか解らない、ぶっきらぼうな返事が届く。
 面倒そうに溜息を吐きながら、群青に染まる髪を掻きむしるアーサー。連動するかのように、首元から見える銀の鎖が擦れるような音を立てる。今は服に隠れて見えないが、その先に繋がれているのはエルラドが持つメダルと同じものだ。
 中央に一対の翼を広げ、今にも飛び出さんとばかりに前肢を上げている天馬が刻まれている。宮殿の頂にある彫刻と同じ、エルフェリアの国民ならば誰もが知っている国の紋章。持つことを許されるのは、王族と守護する者達のみだ。職種によって色分けされているこのメダルは言わば選ばれし者の証。
 非常に大切なものなのだ。なのにこんな往来の激しい場所で落とすような事をしでかしてしまうなんて。多少自己嫌悪に陥りながら、今度は落とさないようブローチにして身に付けているメダルのピンをしっかりと奥まで差し込んだ。
「でもまあ、安心しろって」
 まるで幼子が自分の優位を自慢するが如く、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、アーサーがエルラドの肩を抱く。
 だからここは公衆の面前だと言うのに。思いながらもなされるがままになっているのは、慣れているからだけではない。心からこの幼馴染を、そして「部下」としても信頼しているからに他ならない。若干直してもらいたい部分は別として。
「今度あの嫌味ヤロウどもがちょっかい出して来てもこのアーサー君がしっかりお守りいたしますから。シファン隊長?」
 頼りにしているよ。感謝の気持ちを必死に抑えながらエルラドは言葉を紡ぐ。
「でも訓練そっちのけで口論するのはもう勘弁してくれよ」
 おう、まかせとき! という台詞を耳にしながら本当に心強いと思う。感謝している、好意も受け入れたい、でもこれは自分の問題なのだ。
 しっかりと前を見据え、エルラドは与えられた任務を果たすべく城門を潜る。