蚊取り線香の思い出(現代)

(第九回「夏祭り企画」出品作品)

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『ちょうどよかった。みりん買ってきてみりん!』
 いつも通りの帰るコールをしたら、待ってましたと言わんばかりの奥さんの声が耳に届いた。お疲れ、までは要求しないからもしもしくらいは言ってくれ、と口から出かかったが堪えた。育ち盛りの怪獣(息子一歳半)と日々格闘してるんだ、こんな事くらいで文句を言ってはなるまい。
「解った、どこの使ってるんだっけ」
『別にどこでも……たーくん何やってんのー?! やだーもう。ごめん! お願いね!』  返事をする前に電話が切れた。
 今日も怪獣は絶好調(?)だな。汗を拭いながら、近くのドラッグストアに足を運ぶ。  連日の猛暑に昼間のゲリラ豪雨が重なり、夜七時を過ぎようと言うのに蒸し暑さが半端ない。

*      *      *

 ドラッグストアの入り口で出迎えてくれたのは、ワゴンに入った大量の蚊取り線香の缶だった。
 未だにこれだけの需要があるのか、それとも在庫を捌きたいだけなのか。どちらかは解らないけれども、少なくともうちでは需要はない。実家でも電気式のものを使っていたので、ああ昔はこれだったよなあ、と懐かしむ事もない。
 いや、婆ちゃんと同居を始めた頃に一時期使った事はあったっけか。


――みてごらんまあくん。これは蚊取り線香っていってね。置いておくと蚊が来なくなるんだよ。

 小学校に上がる前の俺にとって、ぐるぐると渦巻いている緑色の物体はそれだけで十分に幼心に訴える何かがあった。ライターで火が付けられゆっくりと煙をくゆらせながら燃え縮んでいく様がとても面白かった。余りに面白過ぎて、しばらくずっと眺めてた事を覚えている。
 母親が「電気式のがあるのに始末が面倒なものをわざわざ買ってくるとかもったいない」とかなんとかいって、活躍したのはその夏限りだったけれども。

*      *      *

 そういえば、最近は打ち水してる人も、麦わら被って駆け回っている子供もそんな見かけないなあ(そもそも毎日暑いから、屋内施設で暑さを凌いでる人が多いんだろうけれども)、それも時代の流れかねえ。と何気なく蚊取り線香の缶を手にしながら思い。すぐに、みりんみりん。と反芻しながら、ワゴンの山に戻す。
 思い出にふけるのは、奥さんからの指令を遂行してからだ。

*      *      *

 さてみりんを買わねば、と思ったところでのスマホが再び震えた。なにか足りないものでもあったか、と画面をみると表示されていたのはお袋の名前だった。そう言えば、昨日から何回か着信が入ってたっけ。かけるの忘れていた。多分時期が時期だからお盆の休みの話だろう。  はいはい、今出ますよ。と誰ともなしに呟きながら応答ボタンを押す。スマホを耳にしたところで近くで陳列作業していた店員ににらまれた気がしたので、慌てて足を店外にむける。キンキンに冷えた店内と、サウナ状態の外気のギャップが気持ち悪い。
「もしもし」
『やっと出たよバカ息子』
 いかにもご機嫌斜めな声が聞こえてくる。
「電話出たら、もしもしくらい言って?」
 定年過ぎた親父とずっと一日じゅういるお袋にはするりとこういう文句が出てくるんだよなあ、と思いつつ応対する。別に、親子仲が悪いとかそういう訳ではない。そういうコミュニケーションというだけだ。
『あんたがいつまでもお盆にくる日を連絡しないのが悪い』
「……決まってない休みを連絡出来る訳ないだろ」
『じゃあ、早く決めて』
 無茶を言う。自営業じゃないんだから、企業のヒラ社員が一存で休みを決められる訳じゃないか。
『早く教えてくれないと色々準備できないじゃない! たかちゃん(息子のことだ)にごちそうも作ってあげなくちゃ行けないし!』
 おいおい、まだ7月の初めだぞ? まだ離乳食も卒業できてない子供に、一ヶ月以上もかけてどんなごちそうを作ろうって言うんだ。これだから、バババカは困る。節約しなきゃと親父に発泡酒与えるんだったら、週に一回でもいいからいいビール買ってやれよ。そんな事いうんだったら。今度実家いった時に鉄拳を喰らう羽目になるから、無論思った事は口には出さないが。
 その後も、あんたもっとマメに連絡よこしなさい、たかちゃんの声も聞かせなさいとかぶーぶー文句を言ってくるお袋に適当な返事を返して、半ば強制的に電話を切り上げた。

*      *      *

 再びワゴンの蚊取り線香が目に映る。
 婆ちゃんは一昨年の末頃、もう少しで息子が産まれようという時にこの世の人ではなくなった。ひ孫の誕生を楽しみにしてくれていたんだよ、と知ったのは葬式の時だった。それからまもなく息子が誕生し、慌ただしい日々が始まって、四十九日の日時以外実家には行っていなかった。お袋が何回か来てくれたが、こちらから実家にいくのは実に久しぶりの事なのだ。
 婆ちゃんの事をちょっと思い出す。今まで会いにいけてなくてごめん。ひ孫の顔みせにもうすぐそっちに行くから。
 たまには昔に返ってみるのもいいかもなあ、とワゴンの中の蚊取り線香の缶を手にし、いや、やっぱ駄目だ。と山の中に戻した。
 昔を懐かしみたいのは山々だけど、蚊取り線香がやんちゃ怪獣のおもちゃになるリスクは避けるに越した事はない。


 さて。みりん、みりん。


後書き。

 この作品はsagittaさん(「ある日の空の顔。」)主催の競作小説企画「第九回夏祭り企画」のために執筆しました。
 普通の夏の日常の中、ちょっとしたきっかけで昔をなんとなく思い出す話です。それ以上も以下もありません(ぇ

 私も蚊取り線香は使ってない家で過ごしたゆえ、こういう流れにしてみた訳ですが、これはこれで生活環境が出てていいかな、と思ったのですがどうでしょうか(聞くなよ
 使用お題 : 蚊取り線香、汗を拭う、ゲリラ豪雨、麦わら帽子、打ち水をする


2015.09.06. 月島瑠奈拝 (原稿用紙換算枚数 7枚)


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