飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第8話

 幸せの魔法ねえ。心の中でルティは嘲笑する。良い心地になれる、という意味ならば可能ではあるかも知れない。しかし魔術で得られる喜びなどは所詮暗示によるまやかし、一時の快楽を約束させ厳しい現実から逃避させてくれる麻薬のようなものだ。
 幸せというのはそんなお手軽なものだっただろうか。簡単に作り出せるものなのだろうか。幸せというものが何か解っていない僕が言える事ではないのかも知れないけどね。
*      *      *

「君にとっての幸せって……何?」
 余りに真っ直ぐすぎる問いに意表を突かれたのか、びくりと体を強張らせるマリエラ。ほんの少しじっとルティを見つめた後、ふっと顔を横に逸らす。焦点の定まっていない漠然とした視線が、外界の干渉を何一つ受けてない虚空の中を不規則な動きで漂う。そんな姿勢のままマリエラは口を開き始める。
「私の中の悪魔を消して、お母さんと仲良く暮らしていくこと」
 相手に話しかけている、というよりは独白に近いその姿を目に映しながら、ルティは心なしか程度に眉をしかめ、背後の構築された陣に視線を移したがマリエラはその事には全く気付かない。
 悪魔、ねぇ。吐き捨てるように囁くルティの言葉は無意味な音として空気に溶け込むのみだ。
「ずっとこの悪魔のせいで辛い思いをして来たけれど、これでようやく……ようやく、開放されて……」
「……随分と簡単に言ってくれる」
 宙を漂っていた視線が瞬く間に一点へと定まっていく。視線の先にいるルティはどこか憂いを帯びたような、一方でどこかうろんげにもみえる、そんな感じの奇妙な微笑を称えてマリエラを見据えている。その紫の瞳には笑顔とは裏腹に好意は感じられない。
「何の事情かは知らないけれど……与えられた運命を放棄するとは、甘えた考えだね。……なーんか虫唾が走っちゃうよ」
 明らかに相手を煽る言葉と、惑わされてはならないと思いながら熱くなる感情。
「! ……貴方みたいに……選ばれた人と一緒になんかして欲しくな……」
「はい。僕はさっき何と言った? 言ってもいない事を勝手に作るなって言ったよね」
 ひたすら微笑を浮かべて、鋭い視線で相手を射ながらルティは言葉を続ける。
「被害妄想ならしたいだけすればいいさ。全く、本当に人の心というものは都合良く出来ているものだよね。勝手に裏まで見据えたつもりになって、自分にとって心地良い答えを作り出して、ああ、何て察しの良い人間だと思い込んでしまう。そしてそれに酔いしれてしまって何度も同じ過ちを繰り返すんだ。ふふ、愚かだよね」
 この少年の言っていることこそ勝手な思い込みではないのか。ぐっと手に入れる力を強くしながら思った事は言葉にならず、その代わりにマリエラはしっかりと相手に視線を合わせた。
「……ま、僕も人の事は言えないか。引き止めて悪かったね。じゃ、やれば?」
 いきなり突き放すかのような物言いに虚を突かれたのか、「え……?」とマリエラは頼りなげな呟きを漏らす。まるで見放された捨て犬のような表情。紫の瞳はそんなマリエラを容赦なく射て、お構いなしに言い放つ。
「禁呪を使ったものの未来に幸福などありはしない。それでよければ……ね」
 再び少女の手元から短剣が滑り落ちた。

*      *      *

 気付いた時には獰猛な姿はどこにもなかった。今周りを囲んでいるのは立派ないかつい体躯とは裏腹にきゅうきゅうと可愛らしい鳴き声を上げる穏やかな魔獣の群れだ。柔らかな足元にこびり付いた同胞の血をこれでもか、という程舐めている。本来は血を嫌う、平和そのものの魔獣達は、同胞達を変わり果てた姿にした人間達を恨むこともせず、むしろ一部の魔獣達などは自分達を元に戻してくれた少年に感謝の意を示しているかのように、首を擦り付けてきたりしている。その口元からもれるのはうなりではなく、ぐるぐると鳴る喉の音だ。
「……すみません。出すぎた真似をして」
 言われて初めて、ツァイニーは気付く。飽くまで任務遂行の中心は自分であり、リィトは補助的存在だという事に。自分の制止を無視して勝手な真似をした部下を叱責する事を忘れてしまったのは怒りやら苛立ちを通り越して言葉を失ってしまう位の光景が繰り広げられたからだ。それをやってのけた少年は顔を歪めているが、それは上官命令を無視してしまった事によるもので体に何らかの不調が起こっているという訳ではない。
「……あの、ツァイニー?」
「え……ああ、そう……ね。こちらの指示を無視したのは感心出来ないわね。でも……まあある意味正しい判断ではあったと思うわ」
 本当にすみません、と頭を下げるリィトを顔をしかめながら見つめるツァイニー。ある意味? ……とんでもない。彼の判断は無益な殺生を最低限に喰いとめる最良の選択だった。傀儡の術はその用途ゆえか、独自の構築式が組み込まれている事が殆どだ。どんな有能な魔術師ですら、解呪に数日かかるやっかいな術なのだ。当然先程の状況で術を発動した所で到底間に合う訳がない。
 それを唯一潜り抜けるのが、先程リィトが発動した『時戻しの術』と呼ばれる、対象者の時間を遡る術だ。それによって魔獣達は傀儡の術をかけられる前の状態に戻ったという次第である。理論を述べるのは容易いが、実際に発動するとなるとそう簡単にはいかない。時が流れていくのは自然の摂理だ。それを覆し、あまつさえある個体だけの時間をどうこうするのは不自然極まりないこと。時間というものは、人間と魔獣はもとより、道端に生えている草にさえも平等な速さで流れ、過ぎ去っていくものなのだから。与えられた長さには違いはあれども。それを捻じ曲げるには当然多大なる魔力を必要とする。たった一つの個体でも日に多用できる術ではない上に、あれだけの数の魔獣に対して発動したと言うのに、彼はまだ常人より若干少ないだろうか、程度の余力を残している。
 ありえない。単純にそんな言葉しか浮かばない。これだけの魔力を保持している者はツァイニーが解る範囲では、たった二人しか思い当る節がない。一人は絶対的な忠誠を誓っている金の髪の少年、『アーネスト』ルティ=ティアンズ。そしてもう一人は……。思い描かれる直前でツァイニーは思考を打ち切った。今はそんな事を考えている場合ではない。
(今じゃなくても考えたくもないけどね)
 後悔の念を抱きつつリィトに向き直る。とにかくも次の行動だ。森へと還っていく魔獣の群れを見送りながら歩を進めようとするリィトを促すツァイニー。そんな二人の前に、再び立ちふさがるものが在った。
「相当いいご趣味だこと」
 口調は皮肉たっぷりに、顔は冷や汗が流れるツァイニーと、言葉を失っているリィトの周りを囲んだのは、同じ魔獣の群れだった。……獰猛な姿に変えられた。
「どうやら……元を叩かない事にはずっと繰り返されるようね」
「……くそっ」
 舌打ち混じりにリィトは吐き捨てる。状況は振り出しと同じ。
「リィト、解ってはいると思うけれど。もう『時戻し』は使っては駄目よ」
「解ってます。でも」
「でもも何もないでしょう? まだ力は残してもらわないとこっちが困るのよ」
 次に同じ力を使えば体が持たなくなる事位は理解している。しかし彼らを倒す、という選択肢を選べない以上はそれ位しか方法が思い浮かばない。ただ単に動きを止める方法もあるが、止め続けるのにはその間中魔力の放出が必要になる。移動させる手は論外だ。結界が張られている関係で外へ飛ばす事は出来ないし、生徒がいる以上校内のどこかへ放る訳にもいかない。
(どうすれば、いい?)
 結局阻むものは排除するしかないのだろうか。そうして平気でこの手を血に染めていくしかないのだろうか。でも、この魔獣達は。
「リィト」
 心なしか低く、緊張気味に響くツァイニーの声。
「もう、いいわ」
 その口調は余りにあっさりとし過ぎていて、短い言葉なのに意味を理解するのにしばしの時間を要した。
「……ツァイニー?」
「ここは私が相手をします。貴方は消費した魔力を少しでも回復するのに専念なさい」
「……しかし、それでは……」
 また罪のない魔獣達が血の海に沈んで……。迷いに満ちた瞳が、操られ、本来とは真逆の獰猛な姿になってしまった魔獣達を見据える。
「しかしも何もないわ。貴方はあやつられているからって憐れんでいるようだけど……。じゃあ、そうじゃなかったらどうするつもりだったの? 最初から獰猛な獣だったら?」
「! ……そ……れは」
「どちらにしても貴方はもう手を出せなかったでしょうね。自分の未熟さを棚に上げて、対象者に責任を転嫁するのはお止めなさい」
 未熟、という言葉が妙に引っかかる。ならば善悪問わずにただ邪魔だからという理由で生あるものを屠るのが成長だと言うのだろうか。あらゆる事に非情だった過去の姿こそが正しいというのだろうか。そうでなければ、ここでは生きていけないのだろうか。望んだ地位に就けたはずなのに。何かを得られるどころか、この何とも言えない喪失感にも近い、不鮮明な感情は一体何なのだろう。
「………………」
「……え?」
 また同じ様に魔獣の群れが地を蹴る。満ちる炎の気を感じながら、動けないリィトの耳に届いた素っ気無いツァイニーの呟きは混乱も何もかもを取っ払って心を虚無にするのに十分な力を秘めていた。意識が飛んでしまっているほんの少しの間に、少年の望まぬ地獄絵図が再び描かれる。……はずだった。

*      *      *

 何をやっているの。早く拾わなきゃ。拾ってちょっと傷つけるだけじゃない。その為にずっとずっと勇気を溜めてきて決心したんじゃない。何を躊躇しているの、マリエラ。さあ、早く。
 奮い立たせようとするも、心とは裏腹に動かない体。長き時に渡って信じて疑わなかったはずのものにまったをかけているのは今日会ったばかりの少年だ。そう、信用に足る人物では全くないはずだ。お母さんとこの少年。どちらを信じればいいかなんて冷静に考えれば答えは明白だ。なのにどうして私はその一歩を踏み出せないの?
「うそ……そんなのうそ……だって……お母さんは」
「じゃあ君のお母さんも無鉄砲なお馬鹿さんなんだね」
「! そんな事はないわ! 大丈夫って……言ったもの……っ!」
 地に伏せていた視線が一気にルティへと注がれる。射られてもルティが気圧される事は前例の如く無い。ただ違ったのは楽しげに笑んでいるのではなく、ふむ、とか言いながら一見無表情に、しかし興味を示すが如くマリエラの真っ直ぐな視線を眺めている事だった。
「どうして、そこまで『お母さん』とやらを信じていられる?」
「だって……それは」
「『お母さんの言う事には間違いはないから』?」
 答えを先に言われ、口を噤む。
「君がどの程度魔術の世界に足を踏み入れているかは知らないけれど、なぜ禁呪、というものが存在するか、位は理解できるはずだ。それとも……君は何の危険もないものが『禁じられしもの』と呼ばれているとでも思っていたの? ……ま、常人よりは超越した力を施行する以上は魔術自体が危険なものかも知れないけれども。それにしたって……」
「黙って!」
 嘆きにも近い要求の通り、話を途中で遮断され沈黙したルティの表情は毎度の如く揺るがない。ただ視線を逸らして俯いてしまったマリエラを凝視、という言葉が一番しっくりいく程に一心に眺めていた。
「だって……お母さんの言う事は絶対だもの。……間違いないんだもの……、信じてその通りにさえすれば……幸せになれるんだもの!」
 ゆっくりと相手に背を向け、小刻みに震えながらも短剣を拾いあげる。
「その術が成功したとしても、君達は幸せになんかならないよ」
 背後から聞こえる声に再び手元にまで近づけた短剣をぴたりと止める。
 どうして、手を止めるの? 必死で自らに訴える。お母さんを信じているのに。どうして? どうして?
「例えば僕がここで見逃してあげたとしても他に五万……はいないけど、アーネストの連中がきっと君を許さない。彼らは不正を見つけると僕の言う事なんか聞きやしないからね。……ホント一生懸命なんだ。体裁を繕うためにね。ま、それはともかくひとところに留まっていられない生活は必至だね。それでも君はお母さんと手に手を取り合えるなら、それで満足なのかい? とにかくも穏やかな日々はもう訪れないよ」
「でも……悪魔を消すには……もう……これしかないんだもの……」
 直後走った沈黙。矢継ぎ早に言葉を返されていただけに虚を突かれ、顔を上げる。
「……なーんだ、違うのか」
 ちぇ、と舌打ち混じりに聞こえるルティの呟きと同時に感じるのは第三者の力の気配。否、彼女にとっては『第三者』などではなかった。この世で最も、いや、唯一信じられる存在。
「貴方が第三の使い、という訳ね」
 聞きなれた声に心が緩む。完全に安心しきれないのはきっとまだあの少年がいるからだ。
「いや、僕はただの見学者だけど?」

「ふふ……。それが正しいか否かなんてどうでも良いわ。……気の毒だけどちょっとの間だけ、大人しくなっていただくわよ」
 その声は、いつも通り自信に満ちていて淀みがない。だってこの人は―お母さんは強いから。誰よりも力に長けていて、女の人なのにアカデミーの校長になった人だから。いつもなら何も心配はなかった。だけど、今は違う。短剣を手にしたままくるりと向きを変えると、そこには件の少年と校長が一見物静かながらも奥に激しい感情を潜めているような気配を互いの空間の間に漂わせている。
「お……お母さん。気をつけて! その人は……強いよ」
「あらマリエラ陣が完成したのね。大丈夫よ、その調子で最後の仕上げをしなさい」
 いつもだったら普通に返事をして事を済ませる所だけれども、今日は違う。
 だってその人は見かけは華奢で、到底お母さんには適うはずも無い、少年の姿をしているけれども。……お母さんより強い人がいるなんて信じたくはないけれど、ずっとずっと高みにいる存在。さっきまであんなに身震いがするほどに放出されていた圧倒的な力をあっという間に微塵にも感じさせない、いや普通の人程度に感じられる位に押さえ込める、それだけの実力を備えている人。
「でも……お母さん」
「大丈夫よ……お母さんを信じなさい」
 他の誰よりも、体全体に響く声が僅かに不安を和らげ、マリエラの体は陣の方に向く。大丈夫、大丈夫に決まっている。でも、もしここでお母さんが、この人に何かされたら? 術が成功したってお母さんに何かあったら意味なんてないのに。二人一緒じゃなきゃ幸せになんかなれないのに。
(やっぱり、駄目…)
「お母さん!」
 素早く振り返ったマリエラの目に映ったのは、何が起こったのか解っていないのか、茫然自失と言った風にぽかんと口を開けた表情で体をのけ反らせた母親の姿だった。
 マリエラにも何が起こったのか解らなかった。目の前でうっすらと笑っている少年が何かをしたのは明白だ。母親と同様に呆然としていたマリエラが我に返ったのは、母親の口元から赤い飛沫が飛び散った様を目に映した時だった。
 ……お母さん?! 余りの衝撃に叫ぶこともままならず、絶句するしかないマリエラの前でなす術も無く地に叩きつけられる母親。
「血を流さないように考慮したつもりだったけど……ちょっと手元が狂ったな。やっぱ内から攻める術は難しいね」
 なんの悪びれも無く、含み笑いをしながら相手を見下ろしているルティ。その視線の先の苦痛に表情を歪めている母親の姿を目の当たりにして、鼓動が早鐘を打つ。
「へぇ。この術喰らって意識がちゃんとあるなんてね。感心感心。流石だね」
 腕組しながら完全に相手を見下しているこの少年は誰がどうみたって自分達の敵に違いなかった。いや、最初から解っていたじゃない。それを変に言いくるめられて、結局は術の発動を延ばされていたのだって気付いていたじゃないの。
 さっさとやれば良かったんだ。そうすればお母さんもこんな目に合わせはしなかったのに。どうして私はいつも気付くのが遅すぎるのだろう。目頭が熱を帯び、やがて涙で潤む。しかし流れ出るのだけは必死に堪える。
「マリ……、エラ……」
 苦しげながらも力のある声がマリエラの涙とともに迷う力を飛ばしていく。そうだ、まだ遅すぎはしない。
「……やりなさい!」
 誰の言葉を信じればいいかなんて、解りきっている。すこしでも迷った私が馬鹿だった。そこから短剣を拾い上げ、手を傷つけるまでは今までまごついていたのが何だったのか、という位にあっと言う間だった。そして傷口から溢れた血の最初の一滴が、引力に逆らう事なく陣の中央へと向かって行った。

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