飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

もどる/次へ/目次へ


第7話

 本を閉じたと同時に満たす喜び。ううん、喜ぶにはまだ早い。まだ最後の仕上げが残っている。私の血を陣の中央に一滴。それでこの魔法は初めて完成するのだから。短剣を手に当てる。痛いのは怖いけれどこれからの「幸せ」を考えれば大した事じゃない。だから勇気を持って。さあ。
「ねぇ、マリエラ」
 今まで沈黙を守っていた背後の少年が急に話しかけて来て、マリエラはびくっと体を強張らせる。刃が指先を掠めた感覚に慌てて目線を移す。筋が走っているものの、出血していない事に安堵し、そう思った事にはっと目を瞠る。
「どうしたの?」
 気付かれた? 鼓動が一つ音を立てる。覚悟は出来ている。だってお母さんが大丈夫って言ったから。ただ傷を付けるのにほんのちょっとの勇気を要するだけ。今危惧しているのは、このほんの少しの躊躇いを理由にこの少年が自分を止めるのではないか。気が変わって捕まえてしまうのではないかという事。また試してみようか。駄目かもしれないけれど、可能性は無ではないのだから。邪魔なこの少年をこの空間から排除……。
「別に捕まえたり、止めさせたりはしないよ。僕は嘘が嫌いだから。言ったでしょ、君の願いを邪魔する気はないって」
 何もかもを見透かされている発言に、更に目を瞠るマリエラ。
「……だったら何故今は止めたの……?」
「止めてないよ。呼んだだけ。それに応じて手を止めたのは君の意志でしょ」
「! ……そんな事……ッ」
「そんな事も何も、事実がそれを語っているじゃないか。それこそ、早く願いを叶えたいと思うなら僕を無視して手でもなんでも切ればいい。躊躇っている今の状態では到底無理だろうけどね」
「知らないくせに……何もしらないくせに……。勝手な事ばかり言わないで……」
「うん、そうだね。なあんにも知らないね。でもそれは君も同じでしょ?」
 至極その通りだ、でも冷静にそう納得できる余裕は今のマリエラにはない。
 何も知らないくせに。私とお母さんの苦しみを。貴方は禁断の術を使う者を「咎人」とひとくくりにしか考えないで、ただ捕まえるだけのくせに。
「そうね。何も知らないわ……アーネスト様」
「でしょ?」
 普通に応じたルティに息を呑む。熱くなりかけた感情が急激に冷めていくようだ。
「どう……して?」
「どうしてって君だって自分を呼ばれて驚いたりはしないでしょ」
「だって……正体が……明かされてしまったのに……」
「別に明かされて都合が悪いなんて言ってないでしょ。そうだって言ってないだけ。後は明かす明かさない以前にあんまりアーネストって名乗るの好きじゃないんだ。ただそれだけだよ」
 ずっと笑んでいたルティがその時だけ表情を硬くしたが、一瞬の事だったのでマリエラが気に留める事はなかった。
「かなり脱線しちゃったね。じゃあ話を戻そうか。この勝負はね、君の勝ち。後は君の血がそこに落ちればいいんでしょ。だったらその前にそれがどんな魔法か知りたいなって思ったんだけど、駄目かな」
「それで、内容如何によっては……止めるつもりなの……ですか」
「だから何で言ってもない事を勝手に作り出しちゃうかなぁ。僕はただその秘めたる内容に興味があるだけ。君が言いたくないなら別に良いんだけど。ああもしかしたら内容を解っていないとかそういうオチだったりする? 君古代文字とか理解できてなさそうだし」
「これは……『幸せになる』魔術」
 古代文字に関する質問には答えず、最初の問い掛けの答えをマリエラは語りだす。

*      *      *

「これはこれは……いかが致しましたか?」
 扉も開かず、部屋の中に突然に現れたというのに校長は驚きの声一つもあげず、むしろ斜に構えた態度で立っていた。その姿はこの状況が予め解っていたと語っているかの如く、堂々としているものだ。
「隠し事だけならまだしも嘘を付くのは感心しないわね」
「もうそこまで辿り着いてしまいましたか。流石に「アーネスト」に属する方達ですね」
「本当は虚偽の調査をして頂いている間に事を成す、という段取りだったのですが。どうやら私はあなた方を甘くみてしまった様ですね。いいえ、私が煮え切らない態度をとったのがいけなかったのですわ。全く、歳は取るものではありませんね」
「校長」
「なにかしら、フォレスターレン」
「禁断の魔道書を持ち出したのは……貴女なのですか。魔族ではなく女生徒に渡したのは」
「そこまで調べたの? 流石ですね。感服するわ」
「心にもない褒め言葉はやめていただけるかしら? 余りに寒すぎてお肌に悪いわ」
「それは失礼致しました。ええ、確かに禁断書をその生徒に渡して、指示を出したのは私です」
 何の躊躇いもなく言い切るその姿は、対峙する相手の混乱を更に強くする。だが、それに振り回されるわけにはいかないのだ。先にそれに打ち勝ったのはツァイニーの方だった。
「貴方……その内容をちゃんと理解しているのでしょうね?」
 どうやって持ち込んだのか、という問題は後回しだ。
「勿論そこまで愚かではありませんよ」
「解らないわね、さっきまでの会話の運びもしかり、女生徒本人を私たちの迎えに来させたりまでして。古代の書を持ち出したり、解読する作業の方がよっぽど難しいのに。……まるでわざと……」
「迎えに……? まさか、そんな。何故あの子が?」
 あの少女の話を切り出した瞬間に、今まで余裕そのものだった校長の姿勢が崩れた。やがて笑みが戻るも、口元の引きつりは内なる感情の不変さを物語っている。理由はともかくも、名はマリエラとかいったあの少女が話を有利な方向に転換し得る存在であることはほぼ間違いない。何故校長の意図に反して違う人間が迎えに来ることになったのか、という問題も今は後回しだ。
 目配せを送り、続けて何かを言おうとしているツァイニーを制して口を開くリィト。
「単刀直入に言います。貴女はあの少女……マリエラに一体何をさせようとしてるんですか?」
「! ……何故あの子の名前まで解っているの?」
 何か引っかかる物言いにん? とリィトは首を傾げそうになる。名前まで、とはまるで姿を見られているのはもう解っていると言わんばかりじゃないか。しかし自分達がマリエラに接触したのは校長室に案内されたきりで、それはどうやら校長の指示ではないらしいこれもこちらを惑わせるための演技なのかもしれない。……という可能性もあったが、考えると何の手出しも出来なくなると思ったのでひとまずは引っ込めておく。
「本日の出席者と全生徒の名簿を見れば、特定は可能でしょう?」
 今日のように休暇日に校内を利用する際は、名前、所属クラス、担当教官名は元より、使用施設、登校理由に至るまで事細かに記入した許可証を提示しなければならない決まりだ。教官の監視下を逃れ、のびのびと自分の感覚で学習出来る休みの日に、何故普段よりも面倒な(通常は生徒証を提示すれば良い)手順を踏まなければならないのだ、という理由でよっぽどの勉強好きか、課題を後回しにし過ぎて休みを返上しなければ間に合わないうっかり者位しかここには存在しない。そんな少数派の中でも大半が図書資料室に集中している点が、その者達の特徴を顕著に表している。
 ともあれ、どの生徒がどこに居るかの資料が手元にあるのでその点については聞き込みは円滑に進めることに出来た……とはいえ、監視の目が少ないものだから生徒が記載された場所以外にも移動していたり(廊下を移動中、という事例はここでは除外する)ごくたまにあるらしいが、届けを出さずに忍び込む輩もいたりするので念の為、全施設を回りはした。
「それは不可能ですよ。フォレスターレン。何故ならあの子は……マリエラはこのアカデミーの生徒ではないのですからね」
 思いがけない答えを前に、リィトは自らの失言を悟った。手に汗を握る彼の前にいる校長は勝ち誇ったような微笑を絶やさずにいる。
「風の申し子、と呼ばれた天才魔術師の貴方も只の人間ね。それともこれが思い込みの怖さという事なのかしら」
 制服は別に生徒じゃなければ袖を通せない訳ではない。いくら厳重なこの学校もそこまで気を配っていればキリがない。校長が関わっているのならば、制服の入手など造作ない事だろう。生徒ではない以上、名簿等での特定は不可能だ。即ち、校長から与えられた情報源のみでは、二人にあの少女の名前を知りえる手段はない。唯一、調査の前に接触した際に名前を知る機会はあったかもしれなかったが、今さっきリィトははっきりと口で『調査の時に名前を知った』と同義の発言をしてしまったため、もうその出任せは通用しない。これらから導き出せる、最有力の事実。それは他に調査をしている第三の協会員の存在を示唆してしまったという事だ。
 見破られる程度の結界しか貼れなかったのは失態だわ。と呟いている校長。まさかその相手が『アーネスト』である、とは微塵にも思っていないだろうが、第三者の存在が知れてしまったのは都合の良い事ではない。案の定、瞬く間に校長の姿が薄らぎ、ゆっくりと宙に溶けていく。
「待て! 貴女は一体何をしようとしているんだ!」
 応えが返る事はなく、校長の姿は完全にその場から消え去っていた。しかし二人が慌てる事はなかったし、寧ろ好都合ですらあった。術の軌跡を辿れば一気に現場を抑えられる。しかし、それを見越していたのか。軌跡の終着点にあとほんの少しという所に、相手の罠、おびただしい数の魔獣の群れが立ちはだかっていた。そしてあっという間に二人を取り囲み、じりじりと間を詰めていく。背中合わせになり、応戦体制に入る二人。
「は……下手な嘘をつく前に最初から挑戦状でも叩きつければ良かったのに」
「同意します。何故あんなまどろっこしい事をしたんでしょうか。僕にも理解不能です」
 獅子に良く似た、尾のない、緑の毛に覆われた樹海に生息するその魔獣はだらだらと涎を垂らしながら唸り、少しずつ距離を縮めてくる。そこに人を襲う事のない、平和な普段の彼らの姿は微塵も感じられない。何者かに操られているのは明白だ。それにしてもこれだけの、目算だけでも恐らくは二人の指全部を合わせても足りないだろう数を従わせる能力を持っているというのに、最初の方の校長の不手際さは何だったのだろう。
 まるでわざと気付かせるように仕向けていたのでは、とすら思う。寧ろその方が合点がいく。でも何のために。そもそも何故、依頼という形を取ったのだろうか。ひっそりと勝手に事を成してしまえば良いものを。無論させる訳にはいかないが。
「貴方達に罪はないけれど……許してちょうだいね」
 全ての謎を知るにはまずこの魔獣の群れを突破しなければならない。転移の術を施行しても相手が魔獣達に足止めをするよう命じている限り、行く先毎で囲まれる、を永遠に繰り返すだけだ。
「来たれ」
「そんな時間はないわ。……爆ぜよ!」
「え。あ……えと、……疾風!」
 無数の炎の礫と風の刃に襲われ、余りに呆気なく断末魔の咆哮が耳に届く。
 別に魔獣を殺したのは初めてではない。むしろリィトはアカデミー生時代には沢山の魔獣をこの手にかけてきた。実技用に特別に繁殖された魔獣とは言え、命ある存在を屠るのにその度合いの代償はあれど大半の人間が抵抗を覚える中、彼は顔色一つ変える事なく、何度も何度も切り裂いていった。
 ああ、思えば自分が決定的に恐れられる原因となったのはその授業からなのかも知れない。明らかに嫌悪の色が見えるクラスメートの顔。訳が解らなかった。だってこいつらは殺される為に作られたんだろう? 第一こいつらを倒さない事には評価を得られない。評価を得られないという事は上には進めない。『アーネスト』へ行く為ならば何だってやる。それが普通だろう? そしてまた殺していく。徐々に体付きもがっしりとし、凶暴になっていくが、構わずどんどんと奴らを屠っていく。心が痛む事なんて事は無かった。だってそれが奴らの運命だったのだから。否、そんな事すらもあの時の自分は考えていなかった。魔獣を駆逐せよ。はい解りました。そして殺す。ただそれだけの繰り返し。
「無駄に力放出してないでしょうね」
 適当な文句で発動を早めた分、精霊との契約は不十分だった。それは精霊の力が得られない分、自己の保有している魔力が余分の消費される事を意味する。
「全く問題ありません」
 言う彼の顔を冷や汗が伝う。例えようもない獣の断末魔の咆哮も、鼻につく魔獣のむせ返るような血の匂いも、嫌悪感を覚える事はあっても今みたいに血の気の引くような罪悪感を覚える事は決してなかったのに。
「そうね、その点については貴方は心配無用だったわね」
 『アーネスト』が欲しがったリィトの人並みはずれた魔力許容量。補佐官の彼女ならば、きっと事前に知る機会もあったのだろう。
「それよりも結界の探知と解呪を」
「勿論……。……!」
 同じ魔獣の群れが音も無く宙から溶け出す様に現れ、再び2人を囲む。同じ様に、否、今度は変わり果てた同胞の血肉をべちゃり、と嫌な音を立てながら踏みしめていく。
 気を狂わされている獣達は萌える若葉と同じ、緑の毛並みをどす黒く染められても何ら気にする事はない。まるで、かつての自分のように。
「く……仕方ないわね。リィト、もう一度」
「……どうしてだ」
 やっとの事で絞り出した弱々しい呟き。
「リィト……?」
「こいつらは争いを好んでなんかいないのに……どうしてだ」
 意に反して、ぐるぐると唸りながらひたひたと間を詰めてくる魔獣達。
「何を言ってるの? そんな事を気にしている場合じゃないでしょう?!」
 顔は見えずとも、何かしらのリィトの異変を感じ檄を飛ばすツァイニー。
 そんな事は十分に解っている。でも体が拒む。 どうしてだ? 魔獣を平気で殺していたかつての自分がまるで嘘だったかのように構える手元が震えていた。しかしそれは転じれば嘘ではなかったからこその反応であるのかも知れない。あの頃の自分には戻りたくない。罪を悪とも善とも感じない、空っぽな人間には。沢山の魔獣を殺すごとに、慣れてしまう度に、そんな昔の自分に戻ってしまう気がしてたまらない。止めてくれ。昔に戻さないでくれ。思い出させないでくれ。
「来るわよ!」
 がつっと獣が爪の音を立てて跳躍する。視界ぎりぎりに至るまで、ぐるりと囲んで襲い掛からんとする魔獣の群れを可能な限り見据えながら、リィトは先程までとは別の構えを取る。
「……何をする気なの?」
 気の流れの異変を感じ取っているのか、背中越しに届く呟き。表情は読み取れないがその声には確かに戸惑いの色が感じられたが、リィトは構わず続ける。魔獣の群れが肉迫するまでに距離を詰めていた。
「ちょ……よしなさい! リィトッ!」
 必死の叫びは宙に溶け込み、リィトは一際大きく目を見開く。お前らだって無様に赤黒い血の塊に成り果てたい訳じゃないんだろう。……だったら、今解放してやる。
 膨大な気が、辺りに満ちていった。

第6話へ/第8話へ/目次へ