飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第5話

 『お母さん』が持って来てくれた魔道書は、とても古い煤けた皮の表紙のものだった。そして、それは初めてのお母さんからの贈り物。ただ一つ困ったのは昔のものだからか、一見しただけでは理解出来ない文章。古代文字、なのは解る。でも古代文字を読み解くなんて出来やしない。解読する為の手引書が国には存在するらしいけれども、一般庶民が手に出来るものではない。許されているのは『アーネスト』と極僅かな人達だけと聞く。古代の魔術は未知の危険性を孕み、中には今では使ってはいけない魔術――禁呪も存在しているから。そして、今から発動させようとしている術もその一つ、であるらしい。
 でも大丈夫。お母さんがそう言ってくれたから。絶対に大丈夫って。お母さんはとっても凄い力を持っているから。そのお母さんが言うのだから、間違いなんてある訳ない。だから私は安心して見知らぬ文字を陣の中に書き連ねて行ける。読めないから、ひとつひとつ丁寧にその形を模写していく。最後に私の血を一滴。それでこの魔術は完成する。私が生まれ変わる為の魔術が。これでやっと本当に幸せになれるんだ。ね、お母さん?
 だから、許さない。邪魔をする人達は、絶対に。

*      *      *

「気分が優れないなら、一旦退席しても構わないわよ?」
 我に返ったのは校長の一言によってだった。リィトはだらしなく顔に張り付いた長い髪をそっと払う。
「いいえ、失礼しました。続けて下さい」
 本題に入ってもいないのに、続けるもなにも無いだろう。と第三者が見たら突っ込みを入れるだろう状況。校長の顔から笑みが薄まり、溜息が漏れる。
「でも、やはり無理は」
「校長、依頼内容を」
 再び退席を促す校長の言葉を、ツァイニーが遮断する。有無を言わせないような、強い響き。
「しかし」
「ご心配ありがとうございます。緊張をほぐしてやる為にも、簡潔に且つ要点を絞ったご説明をお願い致しますわ」
 間があった後、校長はやっとの事で重い口を動かし始めた。
「……実は我がアカデミーの生徒の一人が、魔族と結託して古代の禁呪を発動させようとしているという俄かに信じがたい情報が飛び込んできたのです」
 沈黙が走った。出し惜しみ、などではない。言い澱んでいたのだ。リィトは直感的にそう思う。伝統と誇りを重んじ、優秀な魔術師を育成して世に輩出するアカデミー。外聞を何よりも気にするこの場所で逸脱した行為はご法度だ。しかもよりにもよって禁呪が絡んでいる。学校のお偉方にとっては汚点以外の何者でもないに違いない。
「最初からそう説明して下さればよろしかったのに」
 だからこの人は何故煽るような真似を。言いたい気持ちはどこか先程よりも表情を硬くしているツァイニーを目にして成りを潜める。
「それにしても随分と具体的ですけれど情報源はどこから?」
「一昨日に私の元へ投書がありました。禁断の書を手にした生徒を見た、隣には人外らしき者がいた、と」
「それは穏やかではありませんわね」
 禁断の書と人外の者。確かに穏やかではない。人外の者から生徒が禁断の書を受け取った。確かに、というかかなりの大問題ではないのか、それは。それにしても。リィトの中で二つの疑問が浮上する。
「あの……ちょっと宜しいでしょうか」
 ツァイニーと校長、二人の視線が突然振って沸いて出たかのように口を開いたリィトに向けられる。片方の視線はどこか楽しげに。もう片方は怪訝そうに。
「何かしら? フォレスターレン」
 協会員として認識されていないのか、ただ卒業間もなくて切り替えられていないだけなのか。昔と同じ様に、……否、どこか煙たがられているかのような態度。卒業する時の祝福の言葉がまるで嘘だったかのように。本学の誇りだ、大いなる活躍に期待する。所詮全ては建前か。
「何故その生徒と対面していたのが魔族だと断定出来たのか、と思ったのですが」
「何を言うのかと思えば。私達人間と魔族は明らかに違う存在。見れば一目瞭然でしょう」
 きっぱりと言い切る校長。それを見やったツァイニーが目を細めた。当然の行為だろう。彼女は半分とは言え、魔族の血を引いている(らしい)のだから。
「遠目から見ても明らかに魔族だと解る容姿……。つまり、それ程高度な知能を持つ種族の者ではないという事ですね」
 淡々と語るツァイニーと、眉根を寄せる校長。間に流れる空気は相変わらず不穏で満ちている。足を組み替えツァイニーは言葉を続ける。依頼者の前で足なんか組んでいいのか、とは勿論突っ込まない。
「この程度は解っていらっしゃるでしょうけれども、魔族は強力な力を持つ者程、人型に近い姿を取れるようになる。逆に力が弱い程、素の姿を晒すことになる。その生徒と関係を持ったという者が本当に魔族なのだとすれば……、その投書の信憑性はかなり薄くなるやも知れませんわね」
「……何故です?」
「さて、何故かしら。ねぇリィト?」
「……え?」
 急に話を振られて拍子抜けする。自分に答えろという事なのか。確かに今の話題のそもそものきっかけを作ったのは他ならぬ自分なのだけれども。慌てて思考を巡らせる。能力の低い魔族。禁呪を手にした生徒。
「ああ……そうか。魔族は知能の低い者ほど本能的だ。つまりはその生徒と魔族の間のやり取りもほぼ不可能……」
「ご名答。一般論で中には例外も存在するから一概にそうとは言えないけれどもね。だからこれは飽くまで仮説の中の一つ」
 証拠が不十分な限り魔族に関して考えるのはここまで。では次の疑問。切り出そうとして口を空けようとしたが、なぜかそれ以上口が開けなかった。目配せを送られた瞬間、意図的に封じられたと理解する。これ以上は余計な事を探るな、という事なのか。……それにしたって方法は他にはいくらでもあるだろうに。全く、自由奔放な人だ。
「さて校長先生? 話は変わりますがその投書とやらはいつ、どこでどのような形でなされたのか。詳細にご説明いただけるかしら?」
「投書があったのは先程も説明しませんでしたでしょうか。一昨日の事です。いつもの様に書類の確認をしておりましたらば……間に紛れていたのです」
「現物を見せて頂く事は可能ですか?」
「それが……大変言いづらいのですが。もう手元にはございません。一通り目を通した瞬間に発火して、消えてしまったので」
 証拠隠滅。手口としては珍しくもないし、一通りの魔術の基礎を学んでいるものならば、多少手間はかかるが十分作成可能な仕掛けだ。それは残念です。頷きとは裏腹に、ツァイニーの目つきは怪訝だ。
 確かに校長の態度はどこか変だ。発言もどこか一貫性がないようにも感じる。しかしそれだけでは言及する事は許されない。根拠ある証言、物的証拠がなければならないのが『アーネスト』の原則だ。勘や私的観点では決定打にならない。何をやっても良いから悪事を暴き出せ、という精神は組織と名のついた場所には滅多に存在しない。……というのは絶対に建前だ。ツァイニーの行動を見る限り、絶対に裏では何かやっているに違いない。としか思えない。改めて思うのだが、この人が指導教官で本当にいいのか。それよりも指導する気があるのか、この人は。ああ、反面教師にしろというのならば、理解できる。というか、そう言う事にしておこう。
「ならば覚えている範囲で構いませんので投書のもう少し詳しい内容を知りたいですわ。そう、その生徒の特徴とかはわからないのですか」
「特に記載されていませんでした。ただ、女子生徒だったとしか」
「となると、数は大分絞られますわね」
 アカデミーにおける女子生徒は約一割。婦女子は嫁ぎ、夫を支え、家を護るものという認識が当たり前のこの国では、余程優秀な者でない限りは門戸を叩く事すら適わない。通常の学校の就学率すら、半数にもみたない位だ。つまり女性の身でありながら、アカデミーの頂点にいるこの校長は相当の実力者という事。
「その他に、何か有力な情報は?」
「他は特には」
「了解いたしました。若干不可解な点は拭えませんが、急を要する事態ですので妥協しましょう。それで具体的に私達は何をすればよろしいでしょうか?」
 しばし考え込み、校長は口を開く。
「無理難題を承知でお願いします。校内の関係者に気付かれないように調査をして頂き、出来ればその生徒を割り出して貰いたいのです」
「それは確かに難題ですわね。今日は随分と生徒の数も少ない様ですが」
「今日は休暇日ですから。突然理由もなしに休みを返上したら不審がられるでしょう?」
 それは確かに、と思うリィトとは裏腹に何かを考え付いたのか、「そうでしょうか」と呟くツァイニー。
「何か問題でも?」
「いいえ。それでは早速調査の方に移らせて頂きましょう。敷地内の見取り図と、全生徒の名簿をお貸しいただけると嬉しいのですが」
「解りました。よろしくお願いします。……どうぞ、本当にご内密に」
「……お任せ下さい」
 部屋を後にするときリィトが見たのは微笑みの中に、笑ってない瞳を宿したツァイニーの姿だった。

*      *      *

 静かな廊下に乱暴な足音を鳴らしているツァイニーの後を必死に追うリィト。速さたるや若い女性(その実は……言わない方がいいのだろうか)のものとは思えない、まるで荒野を駆け巡る獣の如し。というかもしかしたら彼女の中に半分在るものは……という考えは引っ込めて置く。今の状況に置いてその仮説は蛇足以外の何物でもない。とりあえず明らかなのは気が高ぶっているらしい彼女が、突き当りの壁に激突しかねない勢いで闊歩し続けているという事。<さすがにこれは止めなければないだろう。自分の位置づけが彼女の補佐という限り、今のままでは何の行動にも出れやしない。
「ツァイニー、止まって下さい。ぶつかりますよ」
 腕を引き寄せるとツァイニーはあっさりと動きを止める。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、
「……なめんじゃないわよ、クソババア」
 奈落の底より、なお深きもの。そう表現しても過言では無い程、深き深きツァイニーの呟きがリィトを凍らせる。
「……ツァイニー……? お、落ち着いて行きましょう」
「ああ、ごめんなさいね。……それから、さっき言いかけた事を止めたのも謝るわ。証拠が揃ってない状況であまり色々言及しすぎるのは危険と判断したの」
「そうでしたか。……それであの疑問というのは」
 誰にも見られていないか、周りを確認しつつそっと切り出そうとした疑問は、
「何故禁断書だと断定できたのか、でしょう。解っていてよ」
 あっさりと先回りされた。一息置いて、ツァイニーは言葉を続ける。
「情報不足で解らなかったとは言え、難儀な問題に当たってしまったものだわ。ねぇ、リィト。一つここで確認したい事があるんだけど」
「与えられた任務を放棄する気はありませんよ」
 お返しと言わんばかりに先回りして答えたリィトに、今度はツァイニーが目を瞠る番だった。
「お気遣いなさったのならありがとうございます。……でも別に僕は……こういうのもなんですが、校長に恩義を感じている訳ではありませんし。ここで悪事が行われている可能性があるならば、粛清するのみ……でしょう?」
 禁断書は、持ち出し禁止どころかその存在すらあやふやな代物だ。ただ見ただけで、判断するなど、魔族かどうかよりも不可能だ。解るのは選ばれた者達のみ。
「それが、誰であろうとも」
 魔術師アカデミーの頂点に属する者、校長もその資格を得ている者だ。
「そこまでの覚悟があるなら止めはしないわ。……ただどんな結末が待っていようとも、責任は取れないわよ?」
「事実はフタを明けてみるまでは解らない。いちいちそんな事気にしてなんかいられません……それに」
 一瞬口篭る。流れる沈黙の中に、聞こえる僅かな潮騒の音。自分の耳にははっきりと、煩わしく聞こえてくる音を断ち切るかのように、リィトは口を開く。
「僕はこんな事でどうにかなる程……感傷的な人間じゃないですから」
 ここは、忌まわしい思い出ばかりが詰まった場所だから。何が起こったって動じることなどありえない。

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