飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第4話

 逃げ出すように去ってしまったのを少女は非常に後悔していた。きっと怪しまれてしまった。でもこの行動が今取れる最善のものだった、はずだ。
 氷の様な瞳を持った天才魔術師。第八魔術師アカデミー内に置いて知らぬものは来たばかりの新入生くらいだった。全校生徒の畏怖なる存在、それが彼女の知るリィト=フォレスターレンだ。だからさっき転びそうになった自分を彼が支えてくれたのは何かの間違いだと思った。今だってあれは幻だったのではと疑っている程だ。さっきの様に転倒して手荷物全てを散乱させてしまった時、自分の横を通り過ぎていった無表情の少年の姿。踏まれて粉々に砕けてしまった眼鏡の硝子片。もうずっと前のはずの事なのに昨日の事のように脳裏に焼き付いている。だから先程の表情豊かとまでは行かずとも他人に手を貸し、言葉を交わしていた少年と記憶の中の少年がどうしても合致しなかった。もしかしたら他人の空似なのでは、と思って名前を尋ねてみたが本人に間違いなかった。
 もしかしたら怪しまれる行為だったかもしれない。嘆きたい気分が心を満たそうとして、頭をふった。やってしまったものはしょうがない。今はいち早く事を済ませなければ。視線の先に、石の床に描かれた大きめの魔方陣を映しながら、気を引き締める。緩くなって来た結界用の四隅にある小さい陣に魔力を注ぎ込み補強する。これで少なくともこの魔法を完成させ発動するまでの時間位は十分稼げるはずだ。
 誰にも邪魔されないと信じて疑わなかったので、背後に自分以外の人間の気配を感じた時は、血の気が引く思いがした。待って、まだ終わってないの。だからと言って邪魔な相手をこの空間から排除しようとはその時の少女は思えなかった。出来なかった。
「おや、極力気を抑えていたのに。気付くとはなかなか感覚が鋭いね」
 本気で言っているのだろうか。手に汗を握りながら少女は思う。鼓動が早まっているのは見つかってしまった絶望だけから生まれたものではない。振り向く事すら躊躇させる、その圧倒的な気の違いを体全体で感じ取っているからだ。
 少女の心情を察知したのか、相手の気配が前方へと移動した。恐る恐る頭を上げた先に在ったのは、年頃は同じ位の少年の姿。緩やかに波打つ金の髪が悪戯に満ちた笑みを浮かべたその表情を縁取っている。
「初めまして。無鉄砲なお嬢さん」
 屈託が無い様に見える笑みと、内から放たれる圧倒的な魔力。しかも読みが確かならば、これが相手の持つ全てではきっとない。押さえてこれならば、全力を発揮されればこの第八魔術アカデミーはおろか、第八区、否ライラ公国すべてすらも消し去ってしまえるのではないだろうか。本気でそう思う。
「私を捕まえに来たのは……貴方なの?」
 ならば勝負は明らかだ。挑むことすらおこがましいかもしれない。
「いいや、僕は可愛い部下の初仕事を見守りに来ただけ。そしたら、君が楽しそうな事をしているからちょっとお邪魔しようかと思って」
 楽しそうに話す少年から敵意らしきものは感じられない。だが向けられている感情は好意とも違う気がする。好奇心か、興味本位か。とにかく、とても楽しげにこちらを見つめている。
「でも……結界を……」
 何者の介入も許さないように、そして途中魔力補充時の気の漏れで気付かれないように、四方に結界を敷いたというのに。
「用心深いのは結構な事だけれどもね。結界自体に魔力が宿っている事を忘れてはいけないよね。余り欲張って発動させすぎると結界自体の魔力だけで、勘のいい者にはバレバレ」
「気付かれたのは解ったわ。でも結界を破られた気配はなかった……」
 彼女が張った結界はただ単に結界内と外界との繋がりを遮断するだけではなく、何者の介入も許さないものだった。物理的なものは勿論、魔術だって弾かれるはずだった。転移の術も例外ではない。いくら正確に座標を突けたとしても意味はないはずなのに。
「君の結界が徹底的に完璧、という訳ではなかったという事だよ。ほんの僅かな隙を突いてやれば造作ない。でもどうだっていいじゃない。僕はここにいる、とりあえず動くつもりはないよ」
 足下にも及ばないのは明確であったが、かといって諦める訳にもいかなかった。小さな口元を震わせながら精霊との盟約の言葉を紡ぎ出す。
「ここに在る盟友に告ぐ。……在らざる者を、排除せよ」
 圧倒的な敗北感の中。ようやく声を絞り出して発動させた強制転移の術にも、相手は動じない。
「駄目だよお友達に命令しちゃ」
 至極冷静な声が結界内にこだまする中、パチンと小さな破裂音を発して術はあっさりと消された。否、消されたという表現は正しくはないかも知れない。これは相殺。結界内に満ちた水の気を全身で感じながら、少女はいよいよなす術もなくその場に座り込んだ。
「それにしても君みたいにおとなしそうな女の子が火の資質を有しているとは意外だなあ。例外は在り得る事だけど。広い世の中には色々な人間がいるからね。水の資質を持っているのにカナヅチだったり、光の資質でも夜行性だったり」
 茫然自失の少女を他所に、少年の口上は続く。
「……後は風の資質なのに、飛べない魔術師……とかね。おっと、無駄話はここまでにしておこうか。そうだ、自己紹介を忘れていたね。僕は、ルティ。よろしく」
 にこにこと外見上は屈託の無い笑みを浮かべて、しかしその内に秘めている奇妙な雰囲気を確かに感じさせながら、少年―アーネスト、ルティ=ティアンズは少女を見据える。五十余年というアーネストの在位を知っている少女は微塵にも目の前の少年が世の魔術師を統べる存在だとは思わない。否、もしやという思いは僅かにあった。確かに感じる「同族」の血によって。
「君の名前は? 魔に魅入る、子羊さん?」
 全身の血の気が引いていくような寒気を覚える。まさか、貴方は本当に、あの。一体私の事をどこまで見据えているの? 去来した疑問はしかし声にならない。やっとの事で口に出来たのは、
「……マリエラ」
 与えられた、自分の名前だけだった。

*      *      *

 校長は卒業生との再会を懐かしむことなく、ソファへと座るよう促した。表向きは生徒達の輝かしい未来の為、―本質は学校の名声の為に在学中は熱心な指導をするが、送り出してしまえばそれまで。ここはそう言う場所だ。解っているからこそリィトも何も思わない。腰掛けた高価なソファの沈むような柔らかさが落ち着かないと思い、それがどうでもよくなるのは直後の事だった。
「さて、こちらではどのような隠し事をしているのでしょうか?」
 開口一番、ツァイニーの口から飛び出した言葉にリィトは目を瞠る。校長は一応冷静さを装っているようには見えるが、走った沈黙が容易に疑わせる
「自己紹介がまだでしたわね。こちらに伺うのは初めてですから。私はツァイニー=ラマと申します。一応協会長補佐を務めさせて頂いてます」
「まあ、貴女の様なお若い方が……?」
 にっこりと微笑むツァイニーの姿を見つめるリィトの目は相変わらず開きっぱなしだ。  補佐、だって? それは初耳だ。というよりも彼女自身について、あまりにも自分は何も知らない。相手は何もかもを見据えているような、そんな感じなのに。いいのか? このまま指導教官としてついていっても。腑に落ちないのを隠しながら、リィトは話に耳を傾ける。
「そして、彼が……紹介するまでもありませんでしょうけれども。リィト=フォレスターレン。私は彼の指導教官を担当しております」
 少々、間があった後、やっとの事で校長が口を開く。
「それでは……今回の事件は彼が担当するのですか?」
 ちらりとリィトを横目で見やる校長。その視線は明らかに歓迎されているものではない。むしろ拒絶されている気すらした。考えすぎだろうか。
「いいえ、今回は飽くまで私の補助役に徹して貰うつもりですわ。特に私は、魔物関係は専門分野ですの。まあ、魔術に関わる者として、当然の知識でなくてはいけないのですけれどね」
 校長の目の色が変わる。そう、魔物絡みだと、確かにそう言っていた。聞いたのはそれのみだ、後は何も知らない。
「彼じゃご不満なのですか? この第八アカデミーを類稀なる成績で卒業した彼ならば、能力的には何の不足もありませんし、むしろ荷が軽過ぎと言っても」
 まだ内容も解っていないのに、言いすぎじゃないのか。わざと圧力を掛けられているのではないだろうか、としか思えない。心底突っ込みたい、戸惑いに近いリィトの感情は、
「これは……そんな簡単な問題ではありません!」
 在学中は見た事もない、温厚な校長の狼狽した姿に掻き消された。そんなリィトを他所に、ツァイニーは動じる事無く、むしろ余裕の表情をもって構えている。ふくよかで艶っぽさを全面に押し出しているような唇が、笑みを形作る。
「簡単な問題ではない事を、何ゆえに詳細に報告しなかったのかしら?」
 完全に見下ろされる形の校長からは明らかに動揺が見てとれた。
「聞いたわよ。こちらが内容を問いただしてもとにかく魔物が絡んでますの一点張りだったそうじゃないの。こちらとしては事前対策も練れやしないし。本来ならば申請を取り下げられても文句は言えない立場なのよ」
 口調の変化にすぐに気付かなかった。
 まるでこれが正しい位置関係だと錯覚してしまう程の自然さがここにはある。確かに地位的には『アーネスト』を中心として、その下に養成学校が置かれている限りは、厳密にはツァイニーの方が上なのかも知れない。しかし今回の場合に置いては依頼主である校長の方が立場は上のはず。
 すっかりツァイニーの勢いに気圧されていた校長だったが、しばらくの後、気を取り直すためか、きっと顔を上げてツァイニーに無言の視線を投げかけている。自尊心の強そうなあの校長の事だ。自分よりも一回りも二回りも歳若い者(実際は年上という説もあるが)に気圧されてしまったなど、人生の汚点だと思ったに違いない。
 そんな事を思った自分がなんとなく可笑しかった。他人など全く興味のなかった(今もあるとは言いがたいが)自分が、今の自分とは別の生き物のように思えて。
 校長が心なしかこちらにも視線を投げかけているような気がする。もしかしたら無意識に笑うなどして誤解でもされたのだろうか。別に誤解されたところで構いはしないけれども。
「内容提示を拒否した事については否定致しません。でも、それ以上の理由があるから、という事はご理解して頂けると嬉しく思うのですが」
「それ程までに外部に漏れるのを恐れる大問題の詳細を、曖昧に延ばし延ばしにする危機感の無さは大いに甚だしく疑問ではありますが、偉大なるアーネストの名において了承する事に致しますわ」
 お互いににっこりと、そしてツァイニーの口調が戻ってはいるものの、確かに感じる緊張感。全く笑ってない四つの瞳。何だ、何なんだこれは。依頼主の機嫌を損ねて、というか余計に煽ったりして何を考えているんだこの人は。まだ勝手は解らないが、少なくともこう言う仕事は信頼関係が重要なのではないのか。人を人と思ってこなかった自分が言える台詞ではないのかも知れないけれど。
 協会員になってからと言うものの不安が尽きることは無かったけれども、初仕事が決まって少しはマシになるかもと実は淡い期待をしていたのに。試練はどうやらここからが本番らしい。しかも試練と言うに相応しい舞台設定が用意されて。途端に悪寒が全身を駆け抜け、リィトは視線を地に向けた。
 「……リィト?」
 様子の変化に気付いたのか、ツァイニーの声が耳に届くが、リィトは沈黙を護るのみだった。
 第八魔術師アカデミー。記憶から消し去りたい、思い出したくもないものがここには詰まっている。
 ただひたすらに地位だけを求めた冷酷な自分、その果てに海に消えた少年。その少年は生きていて、そして自分の上司として君臨している事は解っている。たとえ仕組まれた結果だとしても、実際に憎しみや……そして殺意を抱いたのは他ならぬ自分自身だ。
 忘れるな。たとえ許されても、お前は罪人だという事を。

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