飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第3話

 五年近くを過ごした学び舎は自分の体の一部のようなものだった。だから少女の案内も正直、まったくありがたいとは思わなかった。誰一人として言葉を交わす事もなく、実際の時よりも長く感じさせる沈黙が煩わしいとさえ思う。他の教室よりもものものしい扉が見えて来ようとも何ら変わらない。それどころか過去の忌々しい記憶が呼び起こされ、煩わしさは増幅の一途を辿っていく。
 罪の告白。記憶に新し過ぎるその光景を思い出すだけでも汗を握ってしまうというのに、今から会う相手は一切何も覚えてはいないと言う。非常に性質の悪い冗談だ。でも、それが事実なのだ。
「それでは、私はこれで失礼致します」
 少女は深々とお辞儀をすると、何か悪い事をしてしまった後のような気まずそうな表情を最後に足早に去って行った。
 結局少女の謎めいた発言を問いただせなかったリィトは、しこりの残ったような感情を抱きながらその背中を見送る事しか出来なかった。でもそれで良かったのかもしれない、とも思う。ただでさえ頭が混乱しているというのにこれ以上余計な面倒を抱えるのはまっぴらごめんだ。現時点ですら相当に出端を挫かれている。考えた所ですぐ様それを取り消した。依頼内容を聞いていない今、事は始まってすらいないのだ。
「ねぇ、リィト。さっきの女の子……。本当は貴方とどういう関係?」
 女が走り去っていった方向に視線をやりながら、ツァイニーは響かないようにひっそりと囁く。
「どういうって……。解らないです。初対面ではないらしいという以外は」
「本当に? あの子について何も知らないの?」
「知らないですよ」
「本当に? 本当の本当の、ホンット――に?」
 迫るツァイニーの視線に身じろぎしつつ、リィトははっきりと答えを返す。
「本当の本当の本当です。ここで嘘を言っても何の得にもなりはしません。あの彼女が……どうかしたのですか?」
「……いいえ。知らないのならいいのよ。……じゃ、心置きなく色々出来るのね。ふふ」
 含み笑いを漏らし、目を軽く伏せながら呟くその表情はうっとりとしているようにも、挑発しているようにも見える。とにかくも、何か企んでいる可能性は高そうだ、と顔色を伺うのが苦手なリィトが思う程には妖しげな雰囲気を相手は纏っていた。
「本当に可愛い子だったわねぇ。名前くらい聞いておけば良かったわ。私としたことが」
「あの、入らないのですか」
 いつまでたっても始まらない任務に、リィトも痺れを切らし始めていた。時間がないと言ったのはそちらではなかったのだろうか。確かに気になる少女ではあるかも知れない。だが飽くまでそれは彼女と自分の関係に対するものなのであって、任務とは関係のない事ではないか。はっきり言って、優先順位を間違えている。
「無論入るわよ。それにしてもリィト。貴方肌綺麗よねぇ。さっきの子と言い、年頃の少年少女はやっぱりお肌がピチピチだわ。私もあと百年若ければ……」
 いい加減飽きが来ていた戯言はひたすら相槌を打ちつつひたすら流す事に決めていたはずだった。聞き捨てない台詞さえなければ。任務の事も忘れてリィトはツァイニーを見つめるのみ。視界に映る相手は一瞬不思議そうに表情を止めた後、察したかのようににっこりと笑み、直後に溜息吐きながらつまらなそうに掌を返した。
 それにしても本当にころころと表情の変わる人だ。
「本当に全然私の事紹介してくれていなかったのねぇ。あの方は」
 ぼやくように話すツァイニーの視界に映るリィトは未だ目を瞬かせて沈黙するのみ。
「要するに私もアーネストと似たもの同士って事」
「……魔族の血を……引いて……?」
 たどたどしい口調に、もう見飽きてすら来た満足気な笑みが返ってくる。
「ん……まぁ、そう言う事になるわね」
 曖昧な物言いをした後、これ以上の発言を許さないかのように重々しい扉が叩かれる。
「魔術師協会から参りました者で御座います」
 何かを突き飛ばしたような固くて鈍い音が聞こえてきてから、血相を変えた校長が出てくるまでにそう時間は掛からなかった。
「今はご都合がよろしくなったでしょうか」
 息切れしている初老の女校長は頭や手などを使って、必死に否定の仕草をする。
「とんでもございません、要請したのは私どもなのですから。申し訳ありません。貴方、出迎えの者はどうしたのです!」
 深々と頭を垂れて謝罪しながら、中にいるのだろう側近に問いかける校長。かなり狼狽している姿が見て取れる。
「そんなに謝らないで下さいまし。ここまでちゃんと私達は送って頂きましたわよ。ね、リィト」
「……ええ」
 余り少女の事を思い出したくないリィトはそっけなく肯定の意を返す。心中とは裏腹に思い出される、逃げるように去って言った少女の姿。
「それに致しましても、私の元にお連れして、見届けるのが礼儀ですのに……。扉を叩かせてしまった上に、私に何も言わずに帰ってしまうなんて……、なってない事。本当に申し訳ありません……」
「大丈夫、全く気にしておりませんから」
 にっこりと微笑みながら言うツァイニーの姿を訝しげに見ているリィト。先程はやたらと気にかけていたくせに。この人は役者だな、と思う。否、仕事をするにはこれくらいの対応が必要になるのだろうか。もしそうなのであれば、非常に前途は多難だ。
「お話をお伺いしてもよろしいでしょうか。情報が不確かなままでは、どうにも動けませんので」
 にこやかな笑みで発される言葉は外見と反して皮肉が込められているようにしか聞こえなかった。本人はただ事実を述べているだけのつもりでも、込められた意図までは相手に伝わらない。とは言え、この人の場合は反応をみる為にわざとやっている可能性もありそうだが。だから予想通り恐縮したような校長を見て、ツァイニーが口の端を笑みの形にしたのが見えたのは目の錯覚という事にしておく。
 本当に訳が解らない。このお世辞にも模範とは到底思えず、何を指導する気なのか解ったものじゃない指導教官も。色々基本を覚えなくてはならない新人に型破りな人間をあてた、アーネストも。
 通された校長室は『あの時』と変わらぬ、花の香の匂いで満ちていた。

*      *      *

「うん、段取りも合格。仕事も丁寧で良し。結果も大事だけどその過程も大事にするのはとても殊勝な心がけだ。依頼主も大層喜んでおられた。私も君のような部下を持って誇りに思うよ」
 「男前」という言葉がぴったりなその男性は憂いを帯びたような流し目で相手を賞賛する。その一つ一つの所作をウットリと見つめる若い女性協会員。小柄な自分の体など余裕ですっぽりと包み込んでくれそうな幅のある胸板。手櫛でもさらりと指の間を流れていきそうな緑の長髪。ありとあらゆる男性の要素に部下と上司という関係も忘れそうになる程、その「お姿」に彼女は釘付け状態だ。
「は、はいっ! 他ならぬアーネストのためですもの。いつも見も心も捧げる位の覚悟で臨んでます」
「……別に心はいらないけど」
「え?」
「そのアーネストっていうのは組織として? それとも私の為? 個人的には後者だと嬉しいのだけれどもね」
 小首を傾げて疑問の表情を投げかけられたのをなかった事の様に流し、流し目で相手を見つめる。それで彼女の疑問の感情は綺麗さっぱり浄化された。顔は紅潮し、まんざらでもなさそうな様子だ。
「ま……まあ、そんな……。両方……に決まっていますわ」
「……芸のない答えだなぁ……。つまんないの」
 舞い上がっている相手に今度の呟きは聞こえていないようだった。
「それじゃ引き続き調査宜しく」
「ハイ! 頑張りますので宜しくお願い致します」
 元気良く答えた後も、何かを言いたげに見つめてくる視線に、思わず目を瞬かせる。
「何か、報告し足りない事でも?」
「えっとあの……赤銅色の髪も素敵でしたけど……緑もお似合いですね!」

*      *      *

「……そっか、彼女の時は赤銅色だっけか……やれやれ疲れてるのかなぁ」
『髪の色の変化など、今は普通に行われている事です。多少値は張りますが染め粉は一般に売られていて、都の女性の間では流行っているそうですから』
 淡々とした声がルティの頭に直接伝わって来る。室内にその声の主の姿はない。しかし、気配は側にある。
「長い事外にでない内に世の中も変わったねえ」
『何を仰られるやら……。頻繁に出ていらっしゃるではないですか』
「……たまにだよ」
『一般庶民であればそうかも知れませんが、貴方様の立場からすると多すぎです』
 声の口調は柔らかく優しげに響くが、所々に針で突かれたような一瞬の鋭さを秘めている。ルティは回転椅子をくるりと回し、表向きにはにっこりと微笑んだ。しかしその胸の奥では何かを企んでいる事など、相手には解っていた。毎度の事だ。
「前の時は半年出掛けっぱなしだったしね。君には苦労かけたよね、シャノア」
『ご命令ならばいつでもお力をお貸し致します。今すぐでも』
「……アレ、僕まだ何も言ってないケド? 勘がいいね、君は」
『ならば今更過去の礼など仰らないで頂きたいものですね。おだてなくても私はちゃんと命令に従います』
「君のそう言う所大好きだよ。でも一つだけ言い訳するけどね、本当にあの時言いそびれたから、今言ったんだ。別に君を従わせ易くする為じゃないよ、第一……」
 絵の中で、今にも抜け出してきそうな程に翼を広げ、羽ばたいている白い鳥を一心に見つめながらルティは笑う。その内心に相対するかのように、背景は澄み切った青空だ。
「僕がそんな面倒な事する人間じゃないって解ってるでしょ? 従いたくなければ去ればいいんだ。去る者は追わない」
 ああ、僕は人間じゃないけどね、と頭を掻く主の姿をシャノアはただ黙って見つめていた。視線が重なる。そう感じたのはシャノアだけだ。相手はただ絵を見ているだけなのだから。
『……それはあの少年も、なのですか?』
 淡々としていた口調がほんの少しだけ躊躇いがちになる。それを全く気に留める事もなく、ルティは口調を崩さない。それどころかその表情は何かを企んでいるものとは打って変わって優しく微笑んでいるようにさえ見える。
「リィトやツァイニーは特別だよ。……そして君も、ね」
 自分の事を語るときも表情はそのままだった。それだけで従うのには十分過ぎる理由になる。例え、誤解であったとしても。
「それとも僕の元から去りたい?」
『再三申し上げております。私はご命令ならばいつでも従います』
 ほんの少し沈黙が流れた後、今度は悪戯っぽい笑みが返る。
「じゃあ、僕がもうお役御免だって言ったらどうするの?」
 その命令にだけは従えない事は解っているはずなのに。沈黙の中に暖炉の薪が爆ぜる音のみが響く。ほんの少し開いていた窓から吹き込む風が主の金の髪を揺らす。しかし、その風の冷たさをシャノアが感じる事は無い。
『それが望みならば私は従うまでです』
 凛とした響きにルティは満足気に笑み、絵画に手をかざす。額縁の影から漏れ出すように白銀の光が徐々に絵を包んでいく。やがて白い鳥が描かれていた中央部分が盛り上がったかと思うと、すっと光の玉が抜け出し、ルティの傍らに止まる。ルティが視線を移動させるほんの僅かな間に光の玉、シャノアは白銀の光の粒を幾多も放ちながら銀の翼を広げる美しい鳥の姿に変化していった。それは見る者を魅了するに十分な要素を備えていたが、ルティは何ら動じることも無く笑うのみ。
「でも今日はそっちじゃないんだ」
 告げたその瞬間に銀の鳥は弾け、無数の光を放ちながら霧散する。やがてそれらは一つに集まって人の形を成し、光が消え去った後には金髪紫瞳の少年の姿が現れた。
「そういう訳で今日もよろしくね。アーネスト様」
『今回はどの程度でお戻りですか』
「それはあの二人の腕次第だよ」
 全く同じ容姿の『真のアーネスト』は無邪気な笑顔を見せながら、空気に溶け込むかのように姿を消した。完全に見送ったのを見計らったかのように、訪問者が扉を叩く音が響き、シャノアは擬態を施す。真の姿を見せる相手は僅かしかいないのだから、最初から仮の姿にしてくれればいいものを。溜息ひとつついて、扉を見据える。
「開いてるよ、入りたまえ」
 ずっと、側で聞いていた口調。真似する事など造作もない。
 淡々とした口調とは打って変わって明朗に喋る『仮初めのアーネスト』の背後に飾られている絵画には、一面の澄み切った青空のみが広がっている。

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