飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第2話

 風一つない晴天をここまで呪わしいと思った事はなかった。遥か崖下の潮の音がこんなにも鮮明に耳に届く。天候のせいだけではない事くらいは、自分が一番よく知っている。
「どうかして?」
 進めていた足を止めて、空を仰いだリィトを見やりながら声をかけるツァイニーの表情は疑問形の口調には似つかわしくない、余裕のある笑みが伺えた。妖艶で、何かを企んでいるようにも見える、妖しい微笑。正装で肌を覆い隠していても、醸し出す雰囲気は何ら変わらない。
「中へ入る前に、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
 組織に身を置く以上、利用されるのは仕方のない事とは思う。上の方針に逆らう事は言語道断とも解っている。ただ、何かを知ろうとする権利はあるはずだ。
「何かしら? 本来のお仕事が優先なんだから手短にね」
 言動とは裏腹に、ツァイニーは変わらぬ笑みを見せる。困っている素振りなど微塵もない。当たり前だ。彼女は困ってなど多分いないのだから。そして、彼女は全てではないが『あの事』を知っているのだから。……きっと。
「私の罪を知っている者は、貴方とアーネスト以外に存在するのですか」
 協会員になってから僅かな間、様々な人間と接して疑問に思っていた事。担がれていたとは言え、罪を犯した自分が今ここにいられる理由。今となっては人間性がどうたら、という仕掛けられた罠の話すら実はウソなのでないか、と疑わしくなっているが、それはもうどうしようもない事だ。理由はどうあれ、犯した事実は変えられない。知りたいのは今の自分がどう在るか、それだけだ。
「もっと後になるかと思っていたわ、流石ね」
 全く動じず悪ぶれる事もなく毅然としているその姿は怒りを無効化し、抗うことを許さない。そんな見えない気が伝わって来る気がした。
「それは質問の答えになっていません」
 無言の圧力にしかしリィトは屈しなかった。自分がどう在るかを、他でもない自分が知らない事には本当の始まりは訪れない。
「アーネストが仰られた事は忘れた訳ではないわよね?」
「はい。その上で、こうしてお尋ねしているのです。それこそ、中で何も知らない僕が万が一動揺する素振りを見せたら、貴方にとっても協会全体にとっても好ましい状況にはならないはずですから」
「まあ、本当に察しが良い事。ちょっと残念だわ。慌てる貴方の姿も見てみたかったのに。でも、そこまで感じ取れるのは大分人を見るようになったという事。アカデミー生時代に比べれば確実な進歩だわ」
 前置きはいい加減にしろ。叫びたい気持ちを心の中に押さえ込んだ。うっすらと、しかし自分の耳には確実にひとつひとつ届く潮騒の音に、心を掻き乱されそうになりながら。
「気付かれたら教えてもいい約束だったから、お望み通り教えてあげるわ。他にあの事を知っているのは、貴方だけ」

――何があっても、深く突っ込もうとしちゃ駄目だよ。

 不可解な台詞は、数々の疑問、そしてツァイニーの言葉と結合し、ひとつの真実を形成する。少年の罪という事実は、人々の記憶から消滅していた。
「もう、一つだけよろしいですか?」
「……仕方ないわね、何?」
 知りたかった事実は判明した。だからこれは興味本位だ。そんな感情を抱ける程には、前進しているのだろうか?
「あなたはアーネストの……何、なのですか?」
 敬意を示しつつも、どこか尋常だとは思えない両者の間の空気。ただならぬ関係を思わせる、どこかくだけた態度。目を軽く伏せながら、ツァイニーは再び不敵な笑みを露にする。
「私はアーネストの『影』よ」
「……影?」
 隠す素振りもなく、むしろさも当然な口調。低めに、しかし通る声は、淀みなく言葉を紡ぐ。
「そのうち解るかもしれないし、解らなくても困らないし。さ、無駄話はここまで」
 通常の授業が行われていない休日の校内は自習の生徒がいるものの、静けさが支配している。リィトは安堵を覚えた。過去の自分を知っている人間に、少しでも会わずにいられる。そうは言っても、自分自身が関係のあった人間を判別出来るかは定かではないのだけれども。他人などは目もくれなかったのだから。それこそ、季節はずれの特例の転入生だった少年を除けば。しかし、罪の記憶が人々の中から消え去ったとするならば……。
「ツァイニー」
「ここまで、と言ったはずよ」
 遮断され、口を噤む。わだかまりが心を満たして仕方ない。
「後で、教えてあげる。答えられる質問ならね。あ、お迎えが来た様よ」
 正門の向こう側に見えるのは、アカデミーの制服を振り乱しながら息せき切って走り来る少女。
「お待たせ致しま……きゃっ!」
 門に到達せんとした直前で、少女は派手に前のめりに転倒した。思わぬ出来事に、緊迫した空気はウソのように薄れていった。目を瞬かせながら、砂を払っている少女に手を差し伸べるリィト。その行動に、目を見開くツァイニー。直後に満足そうな笑み。
「大丈夫ですか?」
「も……申し訳ありません。ご親切に……きゃあっ!」
 差し伸べた手に重なると思われた少女の手は、すり抜けて地面に落下した。肘を打って痺れているのか、涙目になりながら腕を摩っている。涙で潤む碧の瞳はリィトのそれと位置は合わさってはいるものの、どうにも焦点が定まっていないようにも伺える。
「あ、そうです。私の眼鏡! 眼鏡はどこに?」
「これかしら?」
 ツァイニーが、銀縁の眼鏡を見せる。派手に転んだ割には、曲がったり、割れたりはしてないようだ。
「多分それです。ありがとうございま……あぁっ」
 相当視力が悪いらしい少女の事を懸念した矢先、予想通りに転びそうになった少女を支えるリィト。自分が支えようと構えていたツァイニーの、やたら嬉しそうな表情が視界の端に映ったが、敢えて突っ込むことは止めておいた。が、
「意識もせずに次々と自然にそんな行為が出来るとは感心ねえ。リィト。大進歩」
 以前の自分を見てきたかのように話され、思わず顔をしかめる。それを察しつつも、ツァイニーは何事もなかったかのように表情を崩さない。
「別に、常識じゃないんですか」
「あら、意識してやるのと、自然に出来るのでは訳が違くてよ」
 皮肉を込めて放ったつもりの言葉は、余裕をもって切り捨てられた。同時に余計な抵抗はなるべくすまいと心に誓う。これも試練なのだ……多分。
「申し訳ありません。わ……私の眼鏡……」
「ああ、ごめんなさいね」
 眼鏡を自らの手で少女にかけてやる。右の手が、そっと髪に触れた。
「うるさくして、本当に悪かったわ。連れが、あまりに可愛いものだからつい苛めたくなってしまったの」
「えっ……はぁ……あの……」
 手渡されるとばかり思っていたのか両の手を中途半端に宙に浮かせた恰好の少女の頬はすっかり紅潮しきっていた。それにしても「雪のように」とまではいかずとも、限りなく色素の薄い肌だ。寒さのせいなのか、冷えていた衣服の感触が余計にそう思わせる。
「貴女も可愛らしい方ね。このようなもので隠すのが惜しいくらい」
 言いながら、ツァイニーが右手を頬の方へと滑らせていくのと、
「時間を食う行為は無駄ではなかったのですか?」
 見ていられなくなったリィトが痺れを切らして声をかけたのと。そして、少女が小さな呻きの様な声を漏らしながら後ずさりをしたのはほぼ同時だった。
「あら……まぁ」
 触れた恰好のままの右手を自らの頬に移動し、ゆっくりとツァイニーはリィトに視点を変える。
「私、何か手順を間違えたかしら?」
 解ったのは今に限った事ではないが、頭が真っ白になるというのはこういう瞬間の時を言うと思った。そのほぼ全てに、この指導教官と混血の某上司が絡んでいるのは深く考えないことにする。
「真面目に……仰っているのですか」
「至極真面目よ」
 だったら時間切れとか言って人の質問を遮断して置きながら、自分とこの少女を困惑させるような行為で無駄な時間を割くのは真面目なのか。よっぽど言い放ちたかったが、勝てなそうなので止めておく。それこそ余計に時間を無駄にしかねない。
「初めて会った相手の顔に触れるのは、余りに良い事とは思えません」
「じゃあ、次からはいいのね」
 やんわりと諌めたつもりでも、絶妙にかわされる。もう沈黙するしかないのだろうか、としか思えなくなって来た。
「訂正します。やたら人の顔、並びに体に触れるのはよろしくはないかと」
「もう。私は純粋に美しいものに触れたいだけなのに、おカタいわねえ、リィト」
「本当に、すみません。初対面でいきなり」
「まぁ、指導教官の私に対して、大した度胸だこと」
 文句たらたらのツァイニーを他所に、リィトは少女に謝罪の意を述べると、相手は目を見開いた。
「え……あの……リィト=フォレスターレンさん……ですよね」
「そうですが……」
「あの……私……初対面じゃ……」
 俯き加減になった少女の姿を目に映しながら、リィトは鼓動が早まる気がした。以前の自分を知っている人間。……でも、覚えがない。便宜上、同じクラスの人間の顔くらいは覚えていたが、どうにもこの少女の顔は思い出せない。沈黙したリィトの表情をみやり、慌てて少女は顔を上げる。
「あっ……いいんです。何でもありません! 校長のお部屋の前まで、ご案内しますので私の後について来て下さい」
「え? あの……」
 言い逃げにも近い少女に追求をしようとしたリィトの行動をツァイニーの伸ばした右腕によって阻まれた。
「しつこい男は嫌われてよ」
 リィトだけに聞こえる言葉で、ツァイニーが再び微笑を携えながら言う。疑問は残るものの、正論なので文句も言えなかったリィトはただ黙って少女の後についていくしかなかった。少女は校長の自室に到着するまで、一度も振り返らなかった。

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