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飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第16話(最終話)

 目が覚めたら『悪魔』は眠っていた。これで当分苦しめられる事はないだろうけれども、まだ体の中にいる事には変わらない。でもそれだけだったら勿論辛いだろうけれども、頑張れるって思えたかも知れない。でもあの『悪魔』と入れ替わるかのように取り戻した失われた記憶が、その希望を容易く打ち砕いた。「今の」私を形成する全てのものが、私の心に告げてくる。
 ――お前は「ここ」にいてはいけない存在なんだよ……と。

*      *      *

 何でよりにもよってこんな所に飛んで来てしまったのだろう。地に視線を泳がせているリィトの耳元に届くのは岸壁に打ち付ける潮騒の音。背後に控えるのは広大な樹海。彼にとって最も忌むべき場所。そして同時に今の自分の原点でもある場所。忘れてはならないんだ、そして過去を活かせなければならないんだ。理屈では言えても、実際にはこのザマだ。今すぐ逃げ出したいと思っているはずなのに、まるでこの潮騒の音に絡めとられてでもいるかのように、その場から動けずにいる。情けなく座り込んで、冷や汗を掻きながら。
(だから僕は臆病者だって言うんだ……!)
 もういい加減気付いてはいる。ここで一つの罪を犯し、その重さを身をもって悔い改めて、自分は変わっていけるのだと、絶対的な勘違いをしている事には。いくら希望的観測を述べた所で、実行に移さなければ何も進みはしないのに。だけど僕はあの時変わったのだから、という勝手な思い込みがそれらを全て遮断した。多少怖気づいても大丈夫なのだと。罪は重い。償えたとしても、その事実は消えない。それを乗り越え、且つそれを活かすには相当な覚悟が必要だ。そうしたとしても、罪の事実は生涯消えない。それが罪の重さ。
「……戻ら……ないと」
 そう、何を逃げているんだ――何、全てから逃げたいと思っているんだ。前に進めない理由を過去の罪と――あまつさえ、『アーネスト』に求めたりなんかして。全ての原因が自分自身の弱さにあるのを認めたくない、そんな自分勝手な理由の為に自分以外のものを利用していたくせに。
「くっそ……」
 やりきれない気持ちを打ち消すかのように、何度も何度も拳を地に打ち付ける。やがて、そこから血が滲み出てくるも、リィトはその動きを止めようとはしない。放っておけば肉すらも覗いて来そうな勢いで動いていたそれは、前方に感じた魔力の気配によって制された。
 ゆっくりと視線を上げたそこには、茫然自失とした表情で座り込んでいるマリエラの姿があった。顔はこちらを向いているものの、その焦点は宙をさまようばかりで、こちらはまるで眼中にないようだった。それが、眼鏡をかけていないからだけではない事は、そのまるで生気を感じられないかのような表情から大体の予想はつく。一番最初にあった時とはまるで別人のようだ。そう感じたのは今だけではないけれど、あの時は『悪魔』に成り代わられていたからであって、今目の前に立っているのは「マリエラ」であるはずなのに。尋常ならざる空気を感じながらも、何をして良いか解らないリィトはただ黙って彼女を見つめるしかない――と思えたのはそこまでだった。ふらふらと立ち上がり、しばらく辺りを見回していたマリエラは、樹海を背にしたところで――即ち海原の広がっている方を向いてほんの少し静止した後、ふらつきながらも真っ直ぐ歩いて行く。
(……ちょっと、待てよ)
 この岬の突端に柵などは存在しない。そのまま歩き続ければ、行き着く先は崖下の海原だ。落ちれば、まず命はない。いくら視界がはっきりしないからってこのまま歩き続ければ自分がどうなるか位は解るはずだ。その証拠に彼女は潮騒の音を頼りに海原の方向を探し当てたのだから。それを解っていてその歩みを止めないという事は――その答えに行き着いた途端にリィトは何も考える事なく、ただ一心に彼女との距離を詰める。残り足二つ分位の位置で、リィトの手がマリエラの腕を捕らえる。予想外の出来事にマリエラはびくりと体を強張らせるも、その視線は一心に海原に向けられ続けている。
「……離して」
「目の前で死のうとしている人間見て離す奴なんているか?」
 自分は、その手でこの海原に「あいつ」を沈めたくせに。そんな心の声が聞こえて来た気がした。鼓動が早まる。聞こえる潮騒の音が、その勢いをより強くする。
(……うるさい……)
 気がするだけだろう? 惑わされるな。僕は確かに罪を犯した、でもそれを理由にして怖気づいたら、また誰かを見殺しにするだけだろう?
『見た感じでは結構な努力が必要かもね』
(そうか、そう言う……ことか)  ……ならば、恐れるな。
「君が死んで良い理由なんかないだろ?」
 緊迫した空気の中、とにかく止めたい一心でに叫んだ言葉。直後、その表情からは想像もつかない程の力が入り、相手への抵抗が強まる。
「……何でだよ。止せ!」
「いや……離してっ……理由だったら……あるものっ……」
 だったら、その目元に浮かび上がっているものは何なんだ。その理由を問う前に相手の発言がリィトの口を噤ませた。
「死んだ人間は……この世に戻ってきちゃ駄目なんだものっ!」
「……な……ッ?!」
 言いようのない衝撃と共に、リィトはルティが術の発動を渋った理由を理解した。信じられないけれど、そう考えれば全て合点がいく。だったらはっきりと言ってしまったら良かったのに。後から思う言葉は、今は衝撃の事実にその出番を奪われていた。
 彼女は死んでしまって……合成により、蘇った。そんな自然の理を越えてしまった禁忌中の禁忌に事実によって。

*      *      *

「どんな過程でそうなったのかは良く解らないけどさ」
 ルティは校長の顔を見下ろしながら、言葉を紡ぐ。
「あの子の魂はセンセイの血を仲介役にして、奴を供給源にする事で留まり生かされているんだ」
「だからあの魔物を消滅させることは出来なかった……」
「そういうこと」
「俄かには信じられないけれど……貴方が言うならそうなんでしょうね」
「あれ、こういうのは信じられるんだ」
「こういう台詞は素直に受け取りなさいな」
「次からはそうするよ」
 しないくせに。心の中で抗いつつ、ツァイニーは何も気にしてなんかいませんよ、な風を装う。
「一つ、思ったんだけれども」
「何?」
「何であの子を救う方を選んだの? あの子が死んでいると解っていたなら」
 少し間をおいた後、ルティの静かな返事が届く。
「後々面倒な事になりそうだからだよ」
「リィトに嫌われたくないから?」
「今だって好かれちゃいないよ」
 それきり、その場ではルティは口を開かなかった。

*      *      *

 余りの事実に言葉が見つからないといって、諦める訳にもいかない。もう同じ事は繰り返したくなかったから。
「君が死んで何が変わるって言うんだよ」
「変わるじゃない。こうすれば……あいつが暴れ出すことも……なくなるもの……。私だって……もう死んでるんだから……正しい道を辿るだけ……」
 次の言葉を捜している間に、相手が先に口を開く。
「こうした方がいいんだから……はなし」
「じゃあ、こうしたいって思ってるのか?」
「……えっ……?」
 リィトの言葉にマリエラの抵抗の力が緩む。
「さっきからこうすればいい、って言ってるけど。じゃあ君はどうなんだ」
 沈黙の中、潮騒の音が絶え間なく響き渡る。同様に胸の中で早鐘を打ち続ける鼓動も止まない。それに必死に絶えながら、リィトは言葉を続ける。
「心の底から本当に死にたいって、思ってるっていうのかよ?」
1  直後、マリエラの瞳から涙が零れ落る。答えはそれで十分だった。
「じゃあ……ど……すれば…いいって……言う、の? 何も……知らな…くせ、に」
 嗚咽を漏らしながら、力一杯にリィトの手を払おうとするマリエラ。
「貴方なんかにそんな事言われたくなんてないっ!」
 その言葉で一瞬リィトの掴む力が急に緩み、それに対応できなかったマリエラの抗う力との均衡が破れる。勢い余った力によって前にかしいだマリエラの体は、そのまま海原の方へと投げ出されていく。気付いたリィトが手を伸ばすも、落下の速度の前にはまったくの無駄の行為だった。マリエラの姿が悲鳴と共に、一瞬にして見えなくなるのと、
「風霊!」
 周囲の気がざわめくのは同時の事だった。
「我が元に集いて」
 樹海がざわざわと鳴り、海面がより激しくうねる。四方八方から現れ、吹き込む風を縦横無尽にリィトは支配する。吹き込む風は、やがて使い手の命令どおり一点へと集まり、
「我が願いを成就せよ!」
 その範囲内のもの全てを吹き上げていった。

*      *      *

 激しく風を切る音。反して宙を舞っているマリエラは、その柔らかく、羽の上にでもいるかのような感覚に戸惑っていた。おそるおそる視線を下方に向け、術の構えをとっているリィトの(ぼやけているが)姿を見るまで、自分の身に何が起こっているかどうかさえ解らなかった。死のうとした事も、何もかも忘れそうになり、呆けている間に元の岬の突端へと降ろされる。目の前にリィトの姿が自分の目でもわかるくらいに迫り、思わず目を逸らした。
「あ……あの……」
「……ごめん」
 絶対に怒られると信じていたマリエラは、思わす目を瞠り視線をリィトに向ける。
「どうして……貴方が謝るの……?」
 さっぱり理解出来なかった。死にたいと思って叫んで困らせたのはこちらなのに。
「君の事……覚えてなくて……。多分、君にも僕は……酷い事をしたんだよな……」
 これは独白に近いものなのだと思う。リィトは一旦口を噤む。こんな事を聞かせて一体何になるのだろうか。事実は変わらない。彼女を傷付けただろう事も同じように。
 こんな僕に言う資格はないのかも知れないけれど――言ってはならない決まりがある訳でもないから。
「君だけじゃない。僕自身の身勝手な行いが……多くの人を傷つけたと思う。それに……僕は、ある罪を犯すまで気付かなかった……どうしようもないよな」
「罪?」と呟くようなマリエラの問いには答えずに、リィトは言葉を続ける。
「確かに僕は君の事は知らない、抱えているものの重さも想像だにつかない。でもこれだけは言えると思う。何でこんな僕が、のうのうと生きているのに……何も悪くない君が……死ななきゃならないんだよ……」
「でも……私はもう……」
「今、生きてるだろ? こうして話しているじゃないか」
「そう……だけど」
「だったら生きればいい。いや、生きなきゃ駄目だ。じゃないと校長の……君のお母さんの行為は全部無駄になる」
「……お母さん……」
「だから死ぬ必要はないんだ。ただ……辛さから逃げ出したいだけなんだろう?」
「!」
 抱えるものの重みは比べ物にならないけれど、きっとその部分は自分と同じなのではないか、と思ったリィトの言葉はどうやら図星のようだった。マリエラは目を更に見開いて体を硬直させている。
「ごめ……なさ……」
 その両の目に再び涙が滲む。
「いやなの……また、あいつが……来るかと思うと……怖くてしょうがないの。でも……死ぬのも怖いよ……そうよ、怖い! 本当は死んでるのに……こんなのずるいって解ってるのに!」
「じゃあ、またあいつが来た時には『アーネスト』を尋ねればいい」
 だからと言って自分に何かが出来る訳ではないけれど。でも今は出任せでも彼女を安心させてあげたかった。
「そのために……僕たちはいるんだから」
 言い終えると同時にマリエラの瞳からはとめどなく涙があふれ出て止まらなくなっていた。どきりと鼓動が大きく音を立てる。ああ、結局彼女の事を傷付けてしまったのだろうか、と落胆しかけた時、
「……ありがとう……」
 やっと搾り出されたと言った風の、しかし確かな感謝の言葉がやけに鮮明に耳に届いた。

*      *      *

「前例がないから非常に対処に困ったんだよね」
 報告書(と言ってもその大半に目の前の人物が関わっていたので、こうして書面に纏めて提出するのに意味はあるのかと思うが)を提出したリィトに、ルティはいつものにこにこ顔でくるくると回転椅子を回しながら話す。ツァイニーは別件という事で今ここにいるのは二人だけだ。
 この世で一番の罪は殺人だ。だけどそれすらも越える禁忌を校長は犯した。本来は存在しないはずの術なので、決まった裁きの方法も存在しない。そんな訳だからその処罰は最高権力者であるルティに委ねられた。彼が下した処罰。それは「人里離れた地で余生を過ごせ」だった。そしてこちらからは一切手出しをしないとの付加条件をつけて。要するに、後は知らないよ、勝手に過ごせば? とそういう事らしい。事の重さを考えればそれは余りに軽いものに見える。でも権力を求めて、その地位を掴んだ校長にとっては中央を離れ、魔法と無縁の生活を送る事はこの上ない罰なのかも知れない。それを下された本人は穏やかな表情でそれを受け入れたらしいけれども。
 急な病気の為、という理由で校長の変わったアカデミーは、裏で起こった事が嘘の様に平穏そのものだという。一体何の小細工をしたのやら、抱く疑問はそのまま心に留めておく。面倒な事になりそうだから。
(まあ、これからも色々と面倒な事があるんだろうけれども)
「そういえば、殺人罪については何のお咎めもなしなのですか?」
「いや、それも含めての強制隠居なんだけどね。それに……詳しく言えば未遂だし」
「え……じゃあ、その人は死ななかったんですか?」
「運よく助かっちゃった訳。あ、ちなみに滝つぼに放り込まれたらしいよ」
 何かと重なるような。考えないようにして相手の言葉を待つ。
「で、聞いて驚くなかれ。その人はね、恨みを晴らすべく、とある禁忌の術を手に再びセンセイの前に現れたんだ」
「! それって……」
「そ。同一人物だったんだねえこれが。もっとも姿を変えていて、校長がそれに気付いたのはマリエラが死んだ時。それはもう酷い殺されようだったらしいよ」
「殺された……?」
「魔獣に急所という急所を噛み付かれてね。それでやっと感づいたんだよ……かつて自分が殺した人間が魔獣使いの術に長けていたと」
 愕然とするしかなかった。そして、ようやく理解した。校長があんなにも魔獣を卑下した事を。何て事だ。マリエラの抱えているものの重さを再認識しながら身震いさえ生まれる。いくら復讐の為だって、殺人よりも重いものを背負わせたいと思っていたって……いくらなんでもこれはあんまりじゃないか。人間は、そこまで出来る生き物なのか。
「そいつは……どうなったんです」
「その事に関しては調査中。で、それは君の仕事じゃない」
 びくりと体を強張らせたリィトを見て、溜息を吐くルティ。椅子の動きを止めて立ち上がり、壁の絵画に触れながら話を続ける。
「そうじゃなくても、依頼はこれからもどんどん舞い込むからね。細々とした調査や後始末はそれ担当の者の仕事なの」
 青々とした空に美しい銀の鳥が舞っている絵画を背にルティは、意味ありげな笑みを見せる。
「今回はたまたまとんでもない事例に当たっちゃって、初めてなのに申し訳なかったね。ま、これにこりずに次も頑張ってくれると嬉しいな」
 今度は嬉々とした表情で言うルティに、
「ええ、勿論です」
 真剣そのもの、とした表情で、きっぱりと宣言するかのようにリィトは応えた。

*      *      *

『随分と嬉しそうじゃないですか』

「だって、シャノアぁ。あの何か一皮剥けちゃいましたって顔! いやあ一体マリエラと何があったんですかって感じじゃない。 ああ、想像するだけでも楽しい」
『全く趣味の悪い。「あの力」は多用するし、本当にご自分の立場解ってらっしゃるのですか?』
 そっと絵から手を離し、しばらく見つめた後、椅子にどっかりと腰を下ろす。
「僕はいつだって本気ですよ?」
『答えになってません。力は多用するし、大事になる前に防げたものを敢えて大事にしちゃうし』
「へー、どれの事?」
『あの力をもってすれば……あの少女が使った術そのものをなかった事に出来たでしょうに』
「ああ……あれね」
『あれね、ではないです。そうすれば後々あんな面倒を抱え込む事もなかったんですから。解ってますか?』
「解ってますよー。でもしょうがないでしょ? ……出来なかったんだもん」
『…戯言を』
 その言葉にルティが返したのは不敵な笑みだけだった。

*      *      *

 自室のベッドにただ何となく身を横たえながらリィトは大きな溜息を吐く。あの日から今日で五日。そう、たった5日だ。依頼だってまだ一件しか請け負っていない。それも殆どはあの人が解決したのだから「自分のした仕事」と言っていいかは疑問だ。とにかくしているのはまだそれだけだ。だからまだ結局大した変化もまだないのは当然の事だ。そのためにもっと多大なる苦労が必要なのだ。
 今のままでは、術の使い手としても、自分自身としても、「飛べない」魔術師でしかないから。だから飛翔していけるように。逃げたいと未だ思っている気持ちを意識しなくなるまで、足掻くまでだ。今は心からそう思う。だからこれからも、必死でここで足掻いて、失敗して、それを生かせるように。そして、

――ありがとう……。

 あの時「僕なんかに」と卑下してしまった言葉を、ただ何も考えずに「どういたしまして」と笑って返せるような自分になるために。



―第1章 完―

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