飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第15話

 災いの元を断てば、災いが起こる事はない。理屈としては理解出来るし世の平和が保たれる、という事だけを思えばそれが確かな選択肢なのだろう。だけど「アーネストの御意志ならば」と首を縦にふれないのも又、確かな選択肢だった。
 邪悪な魔物を制圧するとは言え、何の罪もない――罪に翻弄されてしまった少女がこの世から葬り去られなければならない理由とは何なのだ。目の前で圧倒的な力の差を見せ付けているルティの背中を半ば怒りの表情で見つめ、そして校長に目線を移す。あの魔物はああは言っていたが、かなり衰弱はしているものの、恐らくは命を落とす心配はなさそうだと見立てた感じでは思う。でも目覚めた時に娘が、しかも助けてくれるはずのアーネストによって葬られていたら、この人はどうなってしまうのだろうか。
「待て、考え直してくれ! こんなはずはない、こんなはずは……」
「君の事は少しは気の毒だと思っていたんだよ。君だって無理に合成されちゃって、しかも姿形まで別のものになっちゃって。外見上からすれば君の方が不幸かも知れない。そりゃ力を手に入れて好き勝手くらいしなきゃ、人間に対して復讐なんか出来ないもんね。でもこっちとしてはそれは不都合なんでね」
 その言い分は世の為には間違ってはいない、けれどもこの母子の為には正しいことではないと信じたい。
「じゃあ、また会えたらね」
 ぽつりと呟いたその言葉の意味を深く考えられない位には、まだまだこのアーネストたるルティ=ティアンズという人物を解ってはいなかったとリィトが感じるのは後の話。
 涼しい顔をしながら結界を張り続けるツァイニーの姿すら睨みつけたくなる中、ルティが言う所の「お仕置き」は瞬き程度の時間に片が付いた。断末魔の叫び、とかそんな壮絶な結末を予想していただけに、その余りの呆気なさに怒りはおろか、全ての感情すら飛んでいってしまいそうな虚無感すら覚える。気付いた時にはいつのまにか元の少年の姿に戻っていたルティの腕にぐったりとその身を任せているマリエラの姿が視線の先にあった。マリエラの体を静かに床に横たえると、傍らに片膝をつきながら、その首筋にそっと触れる。
「ん、まあ正常かな。……ちょっと弱いか」
 呟きを耳にしたと同時に、ルティの意味深な発言の真意に気付いたリィトの高ぶっていた感情が一気に鎮火していく。それに気付いたルティは深く溜息を付きながら、
「君も話ちゃんと聞いてなかったね。僕は抑えるとは言ったけど、消すとは言ってないでしょ」
 何もかもを見据えているかのような口ぶりでそう答える。
「一応僕だって慈悲の心くらい持ち合わせているさ」
「……だったらもっと素直な発言をして下さいませ。あの魔物にどんな精神的攻撃を決めてやろうと考えていたか知りませんが……あれでは誤解を招いたとしても仕方がないじゃありませんの。特に素直で純粋な青少年には。ねえ、リィト?」
 先程までの緊迫した――今でも正確にはそうなのだが――空気を打ち消すかの様に、嬉々とした口調のツァイニー。話を振られたリィトはその空気の格差に対応し切れずに「え、はあ」と曖昧などっちつかずの返答をするのみ。
 素直で純粋って誰が。…僕が? どこが。そんな疑問がその混乱に更なる拍車を掛ける。
「どうせ僕は理屈屋のひねくれ者ですよ。それよりもツァイニー、まだ後始末があるんだから結界は緩めない事」
「んもう。……解りましたわ」
 ぶつぶつ言いながら再び作業に戻っていくツァイニーを目で追った後、リィトを見るルティ。
「お疲れ様。色々後始末は残ってるけど、概ねこれで任務は完了だ」

 そう言われても合点が行かない。素直にリィトはそう思う。この目の前で一見人畜無害そうな笑顔を魅せている「アーネスト」の登場がなければ、きっと自分は何も出来なかった。そして何よりも、この任務の目的がそもそも非常に曖昧で、何がどうなれば解決なのかもいまいち理解出来てないのも、大きな要因だ。
「初任務にしてはやたら重い依頼にぶちあたったけれども……ま、偶然とは言え……うん」
「……アーネスト?」
「いや、こっちの話」
 何やら煮え切らない気持ちを抱えつつ、マリエラを挟んでルティの真正面に片膝をつくリィト。青い顔をしながらも静かな寝息を立てるマリエラ。本当に死んだように眠っている、という表現がしっくりくるその姿に、何か妙にもやもやと、そしてざわつく様な表現し難い勘定が呼び出される。
「……まだ、あの魔物はこの中にいるんですよね」
 マリエラの顔を見つめながら問うリィトの姿をしっかりと目に焼き付けながら、
「……そうだね」
 言いにくそうに、そっけないルティの返事が届く。刹那、リィトが顔を上げ二人の視線が重なる。急に顔を上げたからなのか、リィトの目に映ったルティの瞳が一瞬見開かれたが、その位置はそのままでいつもの余裕に満ちた――否、どことなくいつもよりは遠慮がちな目つきへと戻っていく。
「本当にこれで解決って言えるんですか? 中にあれがいる限り、彼女はまた苦しむ事になるんじゃないですか」
「そうだね」
 魔物相手にした口上が嘘の様に短く素っ気無い言葉。
「だったら……こんなの解決なんかじゃ……」
「ならばこの場で彼女を殺すかい?」
 言葉にならない呻き声のようなものが、リィトの口から漏れる。
「完全に解放される方法はそれしかないんだよ。解ってるでしょ。彼女を生かすならね……共に生きるしかないんだ。それが彼女に架せられた運命なんだよ」
 これでもか、と言わんばかりに現実を突きつけられ、何も言い返せないリィト。確かにそれが真実に相違ないのだから。合成されて一心同体になった以上は――そこまで考えた所で、ふと頭の中に疑問が浮かぶ。一心同体。即ち運命を共にするという事。固く目を閉じているマリエラを改めて見やり、リィトはその考えが正しいだろう事を確信する。
「アーネスト……それでは彼女はこのまま眠り続けるのですか?」
 そう。あの魔物が抑えられているという事は即ちマリエラも同じ、という事。
「察しがいいね。その考え方は非常に正しいよ。でもね、彼女の場合ちょっと事情が違ってね。しばらくすればちゃんと目を覚ます」
「え……でも……合わさっているんですよね」
「肉体はね」

「あ……っ」
 言われて見れば、確かに人格は二つ存在している。じゃああの魔物が最後に言ったのは単なる命乞いだったという事ですか。そう問おうと思って、慌ててそれを飲み込んだ。その不自然な動きを見たルティが「リィト?」と不思議そうに覗き込む。
「ちょっと待って下さい。貴方はさっき言ったはずです。殺す以外に彼女をあの魔物から解放する術はないと」
「……言ったね、確かに」
「でも精神が二つ存在すると……そして貴方が敢えて肉体は、と言った以上は彼女と奴の精神は……別のものとして存在していると……魂は共同体ではないと言う事になる……違いますか」
「違いないね」
 多くを語ろうとしない姿は、自分の質問が相手にとって不都合であろう事を容易に感じさせる。複雑に絡む感情は最早怒りなのか、呆れなのか、嘆きなのか、又は哀れみなのか判断すら出来ない。
「そうだとするならば、方法はもうひとつだけあるはずじゃないですか。彼女の心を護り、奴だけを離す。本当は判っていたんじゃないですか。いや、解らないはずがないんだ。あれだけ巧妙に色々糸を張っていた貴方が、こんな単純な事に気付かない訳はないんです。ただ、奴の精神を消し去ってしまえば、元にはならないだろうけど彼女が奴の影に脅かされることはなくなるなんて簡単な事を……」
「……本当にそう上手く行くと本気で思ってるの? 何だかんだ言って、君はまだまだ経験不足だね。アカデミーの授業なら、模範解答だけどこの場においては机上の空論だよ。精神の世界ってものは常識なんて一切通用しやしないんだから」
 しばらく沈黙が走った後、ルティが「まあ今回は特殊すぎるから無理はないかもね」と呟いて言葉を続ける。
「精神というものはね、とても繊細なもの。本来は不可侵なものなんだ。そこに介入する力はあるにはあるが、現実に使える人間は数少ない。何せ結果どのような影響を精神に与えてしまうのかが千差万別なのだからね。良かれと思った術が、崩壊の道を逆に辿らすことも十分過ぎる程在り得るのだから」
 広く言えば魔法全体のみならず、他人に与える言動一つ一つも何を相手にもたらすかは解らないのだけれどもね。一言置く間もなく、ルティはどんどん言葉を連ねていく。
「例え別個のものだとしても、共通の肉体の半分を所有していた魂が消え去る事への肉体やもう片方の精神にかかる衝撃は計り知れない。それにね、その肉体が……見た感じは合成されているなんて信じがたいくらい少女然としているけど、二人分なのであれば半ば上手くいっても、マリエラの精神1つで支えきれるかどうかも解らない」
 そこまで言い終え、何故かばつの悪そうな顔をした後、視線をルティはマリエラに向ける。思わずリィトが首を傾げそうになる中、元の表情に戻っていたルティが少しためらいがちに口を開いた。
「確かに悪ふざけが今日は過ぎたかもね。恨まれない内に話しておく。……一般的に1つの魂を綺麗に消し去って平和な状況にもって行くなんて芸当は奇跡に近い。でも――僕はそれを可能にする位の力は備えている」
 衝撃の内容に納得しかけた心は再び振り出しへと一気に戻される。
「じゃあ、何故それを使わないんです?!」
 我慢も限界に達しようとしていた。力を使わない理由は最早どうでも良かった。マリエラを救える力を持っているのに、それを使おうとしない。ただそれが単純に我慢ならなかった。爆発寸前の中、ルティが返した言葉は、
「今この状況で使うべきじゃないと判断したからだよ」
 あっさりとしつつも、揺ぎ無い言葉だった。
「解りました……だったら……」
「言っとくけど時戻しを使おうとしても無駄だよ」
 考えを読まれ、ぐっと拳を握りしめるリィト。
「一日二日程度ならともかくとして、何年遡るかも知れない術をおいそれと使用するのは得策とは言えない。それに考えても御覧よ。よしんば成功したとしてもその時は、奴が分離してかえって面倒な事になる。それならまだ抑えていた方が、平和じゃないか」
 だからそう言っているんじゃないんだ。確かに色々危険を避けて、平和な方法にもって行くならばこれが最良な方法なのだから。でも……そうじゃないんだ。
「それとも僕の封印術が信用できないとでも?」
 そう言っている訳でもない。彼の力量だったらきっと日常生活を送るには問題ない位に奴を押さえこめるのだろう。でも彼女の心の奥で奴が息づいている限りは、封印術が絶対に破られないという保障だってありはしないのも確かじゃないか。それで全く手立てがないというならまだ納得できるのかもしれない。だが最良の方法があるというのが現実なのだ。なのに、何故かそれは出来ないという。そんな馬鹿な話があって溜まるものか。色々思考しつつも、段々と口に出来なくなっているのは、もう自分が何を言っても状況が変わることがないだろうことを理解しているから。そして同時に、無力な自分の姿をよりいっそう嘆いているからだ。
「……がっかりした?」
 声の聞こえて来る方向が変わったと感じた時には、目の前にいたはずのルティの姿はいつのまにかリィトの横にあった。
「でもこれが君の目指していた世界だ。大公家一族よりも高い権力を持つ者達の世界。その名目は世の安寧の為、魔力を悪用するものから世を護る事。そう、それだけなんだ。個々の感情云々まではね、いちいち構ってはいられない」
 一息おいて、ルティは言葉を続ける。
「そうでなくてもやっかいな事に日々ろくでもないことをしている輩の数は後を絶たない。この国は小さいのにね。だから……」
 言い切る前にリィトがすっくと立ち上がった事で、ルティも思わずその口を噤まされる。呆気に取られながら見上げた先には、険しい表情をしながら拳を握り締めるリィトの姿。
「……リィト?」
「……まどるっこしい事はもう沢山だ」
 沈黙の中「ちょっと、お止めなさいな」というツァイニーの声が耳に届いたが、リィトはそれを無視した。
「はっきりいってしまえばいいんだ。危険を冒して何かあれば『アーネスト』の名折れとなると、だから無駄に力なんて使ってられない、不都合なんだと。一番は世間体なんだと……そう、言ってしまえばいいじゃないか!」
「……ちょっとちょっと何を興奮しているんだよ。再三言ってるよね、人が言ってもない事を勝手に作り出すなって」
「それは確かにそうですね。じゃあ、お尋ねしますが僕の言った事は単なる自分勝手な想像に過ぎないと、そう断言できますか?」
 今までのお返しと言わんばかりに抗うリィトを数秒間見つめた後、軽く目を伏せながら、
「完璧に断言は出来ないね。だって当たり前の事だもの、よく考えれば解るだろう? 組織っていうのはそんなものだよ。今日はこれでもちょっとでしゃばりすぎた方。これが現実なんだよ? リィト=フォレスターレン」
 怒り、呆れ、嘆き、そして絶望――又は幻滅……。余りに複雑に絡まり過ぎた複数の感情。負の要素のそれらは無論器たる少年に心地よさを提供する事はなく、不規則に絡まり合って成される不協和音が体全体を襲う。まるで、強力な粘着力のあるものに絡め取られてでもいるのように、その嫌な感じが体から離れない。
「えーと……。このままでは埒があかなそうだから戻ろうか。話はそれからだよ」
 心の底では十分に理解している。この人が、全体を考えてそんな事を言っているのも解っている。精神に負担をかけない様に封印という形を敢えて選んだのが彼女にとっては安全で且つ、無難な方法だろうことも、そしてこの人が力を出し惜しみしたいがためだけに、術を施行するのを拒んでいるのではないだろうという事も。……じゃあ、僕は何に対してこんなにも苛立っているんだ? そこまで解っているというならば、一体何故。何が許せないというんだ? 何が? 誰が?
「……? 何、今度は真面目な顔になっちゃって」
 視界に映るルティの姿を改めて見たその時に、リィトははっと目を見開いた。あらゆる事を可能にする程の強大な力を持っておきながら、肝心な所で力を使わない。一見すれば、気まぐれで自己中心的なその姿は。心の奥底に潜む、全ての負の感情を生み出しているだろうものの正体がじわりじわりと染み込むかのようにその心と体が理解していく。
「いい加減にしないと、強制移動させるよ」
「……触るな!」
 肩に置かれたルティの手を乱暴に払う。さしもの相手も虚を突かれたのか、きょとんとしたままこちらを凝視している。その視線が先程よりも、何故か強く、そして――とても、とても痛く感じる。相手の見開かれた視線はその度合いをより強くする。もう一度、こちらに近づこうとするその手から逃げるかのように後ずさる。否、実際問題として今はこの人の前から逃げたくてしょうがなかった。
「何、やってんのさ」
 解ってる。この場において間違った事をしているのは十中八九自分だ。ほぼ終わったとは言え、任務を放棄しようとしているのだから。でもどうしたらいいか解らない。努力しようとしたって、他の方法が見出せない以上は思いついたものに頼らざるを得ないのだから。今はここから逃げる事しか思いつかない。逃げたって全ての解決にならない事も解っている。寧ろ逃げる事で問題がかえって悪化するだろう事だって解っているのだ。それでもこの選択肢を願うという事は、僕が現実から逃げる事でしか解決を見出せない人間だと言う事。
「リィト!」
 だから、こんなにもこの人に対して来るな、来るなと叫び続ける。その言葉が口に出る前に、リィトはその場から逃げ出していた。ルティの姿が昔の自分と重なって見えたから。そしてそう思った自分が凄く恥ずかしかったから。同じではない。自分は他人の事を考えるなんてこれっぽっちもなかったのだから。

*      *      *

「おいかけなくて良かったの? ルティ」
「……ツァイニー」
「何? どうせ誰もいないと同義なんだから別に」
 無言の視線を返されて、肩をすくめるツァイニー。
「解りましたわ。今は『アーネスト様』と『忠実な影』ですものね。それで? アーネスト。リィトを追いかけなくて宜しかったんですの?」
「別に彼だって駄々をこねる子供じゃないんだからさ。そのまま戻ってこない事はないでしょ。……ちょっと妙な核心に触れさせちゃったみたいだしね」
「そうですけれど……。これに関しては、別に貴方の責任じゃありませんわ。色々な面を考えれば、あれがもっとも賢明な処置ですもの。……まあ、貴方の性格からすれば随分妥協したものだと、逆に怪しく思わないでもないですが。何か裏があるんじゃないか、とか。まあそれはさておき、彼には学習して貰わないといけないですからね。組織たるものが何かを」
 正論と思い自信たっぷりに話したツァイニーは、しかし「うん、そうだね」と何やら気まずそうに短い返事をしただけのルティの姿に、疑問を抱く事を余儀なくされる。互いに言葉が見つからず沈黙が走った後、先に口を開いたのはルティの方だった。
「……本当に真面目に覗きに来ただけなのに。何でこういう事になるかなあ……。誰か裏で糸でも引いてんじゃないの……全く」
 誰に向かってという訳でもなく呟くルティの姿に、明らかに異常を感じたツァイニーは思わず「ルティ」と呼びかけてその口を慌てて塞いだ。
「いいよ。今だけは、それで。その方が何となく気が楽だ。ねえ、ツァイニー。僕は出来る事ならね、奴を完全に消してやりたかったさ。でもね、それは不可能なんだよ」
「? それはだから弊害を恐れての事だと……」
「僕が、そんなに引き際の良い奴だって本気で思ってるの?」
「それは……ああ、確かにそうだわ。納得がいかなければ、大公の部屋に夜這いかけてでも直談判しに行くような人ですものね貴方は」
「……何大昔の事引きずり出してんの。あれは外に漏れなかったんだから問題なかっただろう?」
「貴方が大公に暗示をかけたからでしょう? ……ってそれはどうでも良いわ、本題は別よ、別!」
「話をそっちの方向に持って行ったのは君でしょ。……いいや。キリがない。止め止めっ。とにかく! 僕は『あの力』を使ってでも術を発動する気でいた。でもね彼女には不可能なんだよ」
 答えを見出せず、首を傾げるツァイニーを見つめながら、ルティは言葉を続ける。
「ねえ、ツァイニー。君が僕の『影』になった時にさ、理の話をした事を覚えている?」
「えーと、ああ平等に与えられた運命がどうたらって……覚えているわよ。一言一句たりとも、とはいかないけど」
 少しの沈黙の後、ルティが言葉を紡ぐ。
「あのセンセイはね、それを破っちゃったんだよ」
 余りにあっさりとし過ぎて、すぐにその意味を理解出来ないツァイニーは、とりあえずルティに倣って視線を校長に移す。それから更にしばらく思考した末にでた答えに、血の気が引く思いがした。冷や汗が顔を伝う。
「そんな、まさか。有り得ない!」
「僕だって信じたくはないけど多分間違いは」
「……お母さん?」
 予想外の第三者の声にぱっと振り返ると、そこにはいつの間に目を覚ましたのか、蒼白な顔をしているマリエラの姿があった。その焦点は母親に定められ、他の者達には目もくらない。
「お母さんっ!」
 その表情からは信じられない程の素早さで、体を起こし母親の元へと駆け寄る。途中でおもいきりルティを突き飛ばした事も、ツァイニーが駆け寄って手を貸した事も全く気付いていない様子だ。
「……ごめんね……お母さん……私のせいだね」
 背中越しでも彼女が泣いているだろう事は、その震えた途切れ途切れの声で解る。ルティはおもむろに立ち上がり、彼女の背後に近づく。それすらも相手は全く気付く素振りを見せない。
「その人なら命に別状はないよ」
 やっと第三者の存在に気付いたのか、びくりとおおきく体を強張らせるマリエラ。
「ごめ……なさ……」
 弱々しい声とは裏腹に強い気が放出され、瞬く間にその姿が目の前から消え去っていった。
「何? 僕の前から瞬間移動して逃げるの流行ってる訳? それにしても……予想以上の魔術の使い手だね、見かけによらず。あのお嬢さん」
「呑気な事行ってる場合じゃないでしょう?! 早く……」
「追う必要はないよ」
「! 何を言っているの、リィトはともかくも……放っといたら多分あの子」
 慌てふためくツァイニーと、外見上は飽くまで冷静なルティ。
「僕らの仕事は……ここの結界解いて……あ」
「忘れてた私も悪いけど、気付かない貴方もどうかしてたわよ。とにかく今はそうじゃないでしょ!」
「……これは失態だったね。とにかく誰にも気付かれずに結界解いて、センセイを連れて帰るの。彼女の事は……リィトの方が多分適任だよ」
 ツァイニーはやるせない気分を紛らわすかのように前髪を掻き上げた。
「解ったわ。まったく昔から変わりやしないんだから」
「お褒めの言葉ありがとう」
 大きく溜息を吐き、ツァイニーは渋々顔で口を開く。
「回りくどい事とか、余計な事とかしないで真実を言えばあの子をあそこまで興奮させたりはしなかったでしょうに」
「ははっ。そうだね……でも」
 乾いた笑いを漏らしつつ、ルティは言葉を続ける。
「そうすると、こっちの負けな気がしたんだよね」
「は? 何に対しての?」
「こっちの話だよ」
「よく解らないんですけど?」
「だと、ありがたいね」
 理解不能なルティの言動に、ツァイニーは尋ねる気力すら奪われる気がした。

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