飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第14話

 思わず口を噤みそうになる言葉に相手が返したのは腹を抱えんばかりの、今までにない嘲笑だった。
「ハッ! 口だけだろう! 今わの際になって命の惜しくない人間などいるものか! いいや! 命だけではない! 地位だってそうだ! 口では何だかんだと大義名分を掲げていても結局人間は最後はわが身が可愛いのだ」
 動きを封じられつつも、酔いしれるかのような口上の合間合間にルティの大きな溜息が漏れる音が聞こえる。
「その女だってそうだ! どうせその女はもう多くを語れんだろうから私の知っている全てを教えてやろう。その女はな……今の地位を確立する為に人を殺めたのだ」
 ドクン。息が止まってしまうかと思う程の鼓動がリィトの体中に響き渡る。同時に頭の中に思い浮かぶのは、緩やかに波打つ金の髪の後ろ姿。ざわざわと囁くように耳に届く潮騒と、一見静かに、しかしその奥では激しく煮えたぎる嫌悪という名の『狂気』
「――そんな無駄話は要らないよ」
 こころなしか調子を低くした声に、相手はしてやったりと言った風の勝ち誇った笑みを見せる。悪足掻きにしか見えない光景も、最も思い出したくない場面がより鮮明に、その時の情景が細部まで蘇っているリィトは目もくれない。そのはずなのに目は逸らしていても耳が勝手に記憶を呼び起こす呪文の様に発せられる言葉を拾う。
 待ち合わせ場所にふらりと現れた『あいつ』はこれから自分に降りかかる運命など知る由もなく、なかなか現れない自分をあんな人気のない――樹海を抜けた岬の突端なんかに呼びつけた相手の名前を呼んでいた。リィト、来たよ……いないの? やたらと呑気な声がにやたら腹が立って、抱いていた感情全てに火が付くのを実感した――よく覚えている、不必要なまでに。
「やはりこういう話は触れられたくないか。そうだろう!」
 ――止めろ。そう発せられるはずだった言葉は何者かに口を塞がれた事によって意味のないくぐもった文字の羅列として漏れ出すのみだった。
「……集中が乱れていてよ」
 背後から静かに聞こえるツァイニーの声。低く素っ気無い響は、呆れているような気配が見え隠れしているようにリィトには感じる。自らを恥じるリィトは何の反応も返す事が出来ず、手元に視線を固定し続けるのみだ。そんなリィトの様子を目にし、ふぅと一つ溜息を吐くツァイニー。普段ならば聞き流してしまうかも知れない程微弱なそれも、嫌悪感に支配されているリィトには大きく心を揺さぶる響きとして、その身に届く。
「ツァイニー……結界は」
「この程度で解除される訳ないでしょ。何? その位も判断できない程、動揺しているとでも言うの? しっかりなさいな。貴方はアーネストの魔術師。どのような状況においても冷静に仕事を遂行するのが私達の役目なのだから」
 そこで一息おいた後、はあと言う溜息と共に次の言葉が届く。
「ま……あの方は別格だけど」
 解ってはいる。自分の立場がどんなものであるかも、そうすべきであるかも。――でもどうしようもないんだ。言葉にならずとも、心の奥底では常に響く悲痛なる叫び。
 常に意識する事は無くなったけれども、ほんの少しのきっかけで呼び起こされ、意に沿わぬままに嫌悪感の渦中に自分を放り込んでしまう忌まわしい記憶。どんなに自分に言い聞かせても、今目の前にいる主がその事を許してくれていたとしても、起こった事実が消えないのと同じように、自動的に湧き上がってくる映像と嫌悪感もまた消える事は無い。
 何が天才魔術師だ。世と人民の安寧を護る『アーネスト』の魔術師だ。僕は自分自身を制御する術すら知らないというのに。
「さっきは妙な事を言って悪かったわね」
「……え?」
「魔獣を退けた時の事よ」
 しつこく纏わりつく嫌悪感に耐えつつ、リィトはツァイニーが示さんとしている言葉を記憶の中から探り出す。

――あの時の貴方と、今の貴方。……どちらが真実なのかしらね。

「……ああ」
 過去の自己中心的な自分と、今の自分。確かに思う事はあった。実はあの岬での事件を境に、誰かの手によって人格を入れ替えられてしまったのではないかと――寧ろそうであって欲しいと心の中では望んでいたのかも知れない。そうすれば過去の自分が非情だったのは自分のせいではなく、外部の干渉によってそういう仕様にされていたせいなのだと思えたから。……呆れた考えだ。過去と今の自分、どちらが真実かって? 自分勝手という本質においては今も昔の全く変わってはいない真実の自分だ。過去の自分は作りものであれば良かったと思っているくせに、今こうして悩み苦しんでいる自分の姿は、自分が作り出したものでありたいと望んでいる。それが良い証拠じゃないか。
「でも今の貴方を見たら考えが改まったわ。それはそうよね、昔の貴方がああだったからこそ……今の貴方はその格差にもがき苦しんでいるのよね」
 はっと目を瞠ってツァイニーを見るリィトに「よそ見しないの」と諌めるツァイニー。ほんの少しの間が開いた後、ツァイニーの言葉が耳に届く。
「悩むことは結構だわ。それは貴方が悔い改めようとしている何よりも証拠なのだから。そういう部分を確かに持っていたという証拠でもある。ねえリィト、これだけは覚えておきなさい。今の貴方は昔の貴方があったからこそこうして存在している事を」
 一息おいて、ツァイニーの言葉が続く。
「過去を捨てたいとか忘れたいとか思っては駄目。過去はずっと心に留めて置きなさい。でもね、過去に捕らわれて新たな道に飛び込むのを恐れても駄目。現実から逃避するのはもっての他だわ。アーネストに留まる気があるならば、過去に捕らわれるのではなく、自分で捕まえて利用してやる位の気持ちを持てるようになりなさい」
「利用……ですか?」
「そうよ。何が過ちか解っていればおのずと正しき道も解るでしょう? でも、その為には今の貴方のままでは駄目。そうね、見た感じでは結構な努力が必要かもね」
 努力。その部分が――その言葉が特に、心に響いた。
「とりあえず今は、手元の事だけに集中する努力、かしらね。なんて横から色々言っている私がこんな事言っても説得力に欠けるわね」
 じゃあ、もうちょっとがんばって。持ち場に戻っていくツァイニーの足音を耳にしながら、リィトは『努力』という言葉を深く受け止めていた。

*      *      *

「さて、君の主張はそれで終了かな」
 ツァイニーと話をしている間にも続いていた相手の口上が終わったのか――内容はこちらの事に夢中で聞けなかったが――ルティのああ長かった、と続きそうな呆れの混じった声が耳に届く。少々沈黙があった後、
「思い込みも度が過ぎると呆れを通り越して頭に来るね……くっだらない」
 明らかに怒気を孕んだ声と共に、耳に届いたのは鈍い衝撃音だった。ほんの少し遅れて「アーネスト?!」とツァイニーの金切り声と言って良い程の激しい叫び。ちらりと上げた視線の先に在ったのは胸の位置にあたる部分を朱に染めているルティの背中だった。尋常ではない傷を負っているにも関わらす、ルティは苦しみの声一つ上げる事もしない。
「……あれ、どうしたのかな。神妙な面持ちになっちゃって」
 この人があっさりと傷を、しかも致命傷に近い(本人の態度では大した事のないものに思わされる所だが、実際は放っておけば失血死してもおかしくはない大怪我なのだ)攻撃を受ける事はあるまい、とは思ってはいた。それ以前に現実問題として相手はルティの支配下にあり、言動以外は封じられているのだから奴がルティを傷つける事はありえないのだ。つまりルティが傷付けたのは。結論は出ているのに、その事実が信じられないという感情が、今更何を悪足掻きを、と解っていながら別の可能性を探そうとしてしまう。無駄だと解りきっているのにも関わらずだ。発信源は自分でもツァイニーでもない、結界があるから外部からの干渉も在り得ない。そうなれば答えは一つ。
「僕は出来ない事は口に出さない主義だからね。たまには、自虐的な人間も存在し得るという事だよ。……君の常識なんか覆す程のね」
 彼の身に傷を付けたのは、他ならぬ彼自身。
「瀬戸際に立たせられるとどんなに強き言動をしていた人間でもみっともなく命乞いする。そんな実体は見苦しい存在……おおよそ言いたい事はそんな所かな? ……沈黙は肯定とみなして話を進めるけど……依存はないよね?」
 先程までの強き発言が嘘のように相手は沈黙し、その顔には冷や汗すら流れ始めていた。着実に薄紫の衣装を深紅の色へと変えていく、ルティのその姿が相手へと掛ける圧力をより強いものにする。
「まあ、そんな人間も確かに存在する。寧ろそんな人間の方が大半を占めるかも知れないね。そんな者達がまるで世界は自分達だけのものであるかのように、地上を支配する様を魔族が煩わしく思う、時には殺意すら憶える。そう考えるのも無理はないかも知れない。だからといってね、無闇やたらに人間だからという理由で害を為そうとする権利が君に与えられている訳ではない。……それ位理解して欲しいね」
 出血量からはおよそ信じがたい程の、含み笑いすらあるその余裕の口上は、完全に相手を、そして周りの者をも圧倒している。それは疑いのない事実だ。
「それ以前に君は色々な事が解ってない様だね。もう君に勝ち目はない位は解って貰えているかな? 最後まで勝機を掴もうとする姿勢は殊勝な事だけれども」
 ふう、と一つ深い溜息をついてルティは言葉を続ける。
「その姿勢のあり方が気に喰わないね。ねえ、いいかい? 同じ足掻きでもね、自分の無力さを認め勝機が皆無と悟ってもなお目的を貫きたいと思う姿は、儚くも称賛に値するものだと僕は思うんだ。だが君は違う。より強き力を得た自分に酔いすぎて、過信しすぎて現実の自分が弱いことも認めようとしない――自分が負けるはずが無いと、叶うはずもない幻想を抱き続けている。さっき言ったのが良い足掻きなら、まさに君のは「悪」足掻きだよね」
「……だっ……黙れ、貴様……」
 避難極まりない口上を浴びせかけられてもなお「悪」足掻きの姿勢を崩さない相手の呟きから少しの間があった後、
「そう。……じゃ、君、お仕置き決定ね」
 内容の重さなどまるで感じられない程の呟きを漏らしたと同時に、その姿は黒髪の青年の偽装から――これも本当の姿かどうかは定かではないが――金髪の少年へと戻っていく。髪の色が変わり始めた時はそう思っていた。しかしその体格は少々線が細くなった程度で、身の丈はほぼそのまま。波打つ金の髪は普段の背中の真ん中あたりから、太ももの辺りに届こうか位にまで長さを増していく。
 今まで纏っていた気配も十分に桁外れの代物だったが、徐々に姿を現すこの気配はそれよりも増して凄まじく、そして異質のものだった。思わず見ほれてしまいそうな程に美しい光沢を放つ金の髪に隠されていた両耳がその姿を露にした瞬間、仮定は確信へと姿を変える。実際こうして目の前にするのは初めてだし、正面からの姿が見えないが、それでもはっきりと言える。先が尖ったような形状は、不老長寿の高位魔族――エルフ族の証。神々しいとさえ思える程のその姿に余りに圧倒されたせいか、おびただしい程の出血が衣服の染みごと、何事もなかったかのように消え去っていたのにリィトが気付いたのは、少し後の事だった。
「さて、異論は受け付けないよ。恨むなら我が身を恨むんだね」
 心なしか柔らかく、中性的に響く声は普段よりもよりその言葉との格差を露にする。
 それにしても実際こうしてその姿を目の当たりにすると、その耳の形状に鋭利とか尖ったという表現は似つかわしくないな、とリィトは思う。確かに通常の丸みを帯びた形状に比べれば十分尖っているかも知れないが、それを形成しているのは飽くまで曲線であり、一般的に鋭利を表現される刃物とは似て非なるもののように思えたからだ。具体例を挙げてみるならば――羽ペンについている羽の先の様に、尖っている様に見えてその実は柔らかなもの。そう、そんな感じが何となくしっくり来る気がする。
「な……エルフ…だと……」
「いつもの力量だと君を抑えるまでは自信が無くてね。ああ、じっくり見る必要は無い。すぐ忘れるし……僕も余り長い事この姿で居たくはないんでね」
 姿形や纏う気配が変わっても本質は変わらない事をその口調が示している。
「……解っているのか、私を消したらこの娘も死ぬのだぞ!」
 この期に及んでもまだ悪足掻きをと思う一方、確かにこの魔物とマリエラが合成されて一心同体となっている事実は避けられない事だ。何者の邪魔も許されない雰囲気の中、響いてきた言葉は、
「確かにそうだけど、このまま君を野放しにするよりはマシでしょう?」
 と言う、信じがたい言葉だった。

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