飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第13話

「そんな事をしても無駄だ。その女は死ぬ。自らが用意した筋書き通りな」
 含み笑いしながらやたら自信たっぷりに言い放たれるその声音は、同じ少女のものであるはずなのに、か細い印象のものとはまるで別物のように耳に届く。姿形は何一つ変わっていない――否、吸い込まれるかのような碧い瞳は燃える様な灼熱の炎の色に変わってはいるが――はずなのに、中身が違うだけでこうも別の人間のように見えてしまうものなのか、と目を瞠らずには居られない。眼鏡が外れているせいだけではないのは明らかだ。
「こんにちは、と言ったらこんにちはと返すのが基本でしょ?」
 満ち満ちる禍々しい気配はお構いなしと言った風に、淡々としているその口調。ただ、普段のものより潜め、張り詰めているように聞こえてくるのは、さしものアーネストも多少なりとも調子を崩されているのか、それとも単に尋常ならざるこの場の雰囲気がそう感じさせているだけなのか。
「……ハッ。貴様と馴れ合うつもりなど毛頭ない!」
 ポツポツと現れた無数の炎の礫が、言葉を切ると同時にその全てがルティに襲い掛かる。人一人が間に入ってちょっと余りある、と言った程度の短い距離を瞬時に駆け抜けていく両の手では無論数え切れないそれらを、ルティはものともせずにその全てを指一つ動かす事無く無に帰した。消し去ったとか跳ね返したという表現は似つかわしくはなかった。相手を燃やし尽くさんと激しく火の粉を散らしていた無数の炎の礫は、まるで自らその役目を放棄するかのように、相手の身体に到達する前に勢いを弱め霧散して行ったのだから。
 幾度となく同じ事が繰り返されながらも結果は皆同じ。攻撃している側は強力な気を放出しているにも関わらず息一つ乱す事もなく、また受ける側も臆する事もせずに、寧ろ淡い笑みを浮かべているのみ。
「偉そうな事言っている割には学習能力に欠けているね、君。同じ攻撃では通用しないっていい加減気付いてくれないかなあ。ああ、それとももしかしてそれが一度に放出できる魔力の限度だとか?」
 言い終えてくすり、と妖しげに笑うルティに顔を紅潮させて激昂する相手。明らかにより強く満ちていく魔力が一気に放出され相手に襲いかかり、それに比例するかのように強められた結界の力が強められる。それを感じ、リィトも校長に気を送り続けながらも気を引き締める。しかしそんな心配すらもこの場においては無用だと言う事をリィトはその身をもって知る事になる。
「なぁんだ。やっぱり力の出し惜しみしてたんだね。ホント礼儀がなってない……誰かと対峙する時は全力をもって挑みたまえよ」
 勢いも質も高まった魔力を前にして臆する事もなく、微動だにする事もなく、
「でも嬉しいよ……いじめがいがありそうでね」
 寧ろ自分だけの宝物を見つけた子供の様に、ルティの口調は辛辣ながらも楽しげに耳に届く。
「ハッ! 貴様こそただ防御するだけではないか」
 同じようにルティが難なく攻撃を防いだや否や、間髪入れずに次が来るも、
「やれやれ……全く」
 同じように防御。繰り返し続いた展開に変化が訪れたのはその直後からだった。
「さて、いい加減話を始めようか。××××」
 意味のない曖昧な音の重なりにしか聞こえない最後の言葉。それを受けた相手は「ヒッ」と裏返った声を上げながら体をひくつかせた。一瞬苦痛の表情を浮かべるも、即座に元の邪めいた微笑を称え、ルティを見据える。
「お前の攻撃はその程度か? 言う程もない」
 すう、と手をかざし攻撃の構えを取る相手。そして力が発動し、相手に襲い掛かる――そう思った……が、
「もう力は使わせないよ」
 さらりとルティが呟き、相手が目を瞠って手元を凝視した瞬間に永遠に繰り返されると思われた展開にひとまずの終止符が打たれた。
「……力が……お前一体何をした?!」
「ふふふ……ちょっと支配下に置かせて貰っただけだよ」
「支配……だと? お前……まさか私の真の名を……何故?!」
(真の名……だって?)
「手を休めちゃ駄目でしょ、リィト」
「! 申し訳ありません」
 一度中断しかけた手にまた元通りの力を集中させつつも、リィトは「真の名」の意味を意識せずにはいられなかった。

 人は世に生まれた時に名を与えられる。リィト=フォレスターレン。それが僕に与えられた、僕という個体を示す名。この肉体が滅びる時までこの身に刻まれる名の他に、人は魂に名を持っているという。たった一度きりの生の間にだけ刻まれる肉体の名とは異なり、魂に刻まれる「真の名」。消滅する事がない限りは幾度輪廻転生を繰り返そうとも未来永劫刻まれ続ける不変の名。「真の名」を手に入れた者はその相手を意のままに支配する事が出来る――と、言われている。そう、「真の名」の支配とは魔術師が一度は憧れる夢物語に過ぎないのだ。肉体の名だって見てその場で解るものではない。増してや魂の名など物理的に見つけられるものではない。――否、魔術ですらその方法は秘伝中の秘伝とされている。
「さて、質問の答えね。僕がただ黙って防御だけしてたと思った訳? ずっとねえ、君の力に触れながら探ってたんだよ」
「……そんな事で……馬鹿な……」
「力の質は魂に刻まれるものだ。……別に不可能じゃない」
 その方法が存在する限りは確かに不可能ではない。でもほぼ不可能に近い代物なのだ。増してやこんな涼しい顔で平然とやってのける術のはずはない。
「何故だ……ッ! より強力な力を手に入れたはずの私が何故こんな簡単に!」
「意見を自由にさせてあげてるだけ感謝してよね。それより随分とつまんない質問をするね。何故かって? そんなの簡単でしょ」
 くすり。聞こえる微笑は本当に楽しそうで、
「君が僕より弱いからだよ」
 リィトは背筋が震えそうになるような気配を確かに感じていた。

*      *      *

 一面の澄み切った青空が描かれているはずのキャンバスには暗雲が一気に立ち込めたかの如く、黒いもやのようなものに覆われている。その中に映し出される映像を見ながら仮初の『アーネスト』――目線の先にある絵画の住人シャノアはふうと一つ溜息を吐いた。
「全く……。その力は日に多用するものではないでしょうに」
 いつも以上の謁見をこなし、休む間もなくたまった書類――誰が溜めたか、は問うまでもない――を睨む作業をひとまず止め、本物のアーネスト、ルティの様子をちょっとだけ覗いてみようと思ったのが間違いだった。
「一体何をそんなに張り切っておられるのですか」
 軽く睨みつけるようなその瞳は、その場で起こっている事態はまるで気にする事なく、ただルティだけを一心に映している。その他の人間やモノは『付属品』というまるで意味のなってないものとして切り捨てられるのみだ。しかし今は少々事情が違っていた。
「それは……その少年のためなのですか? ……ルティ」
 一息置いてその人の前では決して呼べぬ名を声を潜めながらも、しかししっかりと呟く。そして自虐行為だと言わんばかりに机の上で組んでいる二の腕に容赦なく爪を立てる。刺さらんとばかりの力で傷付けられる体が、他ならぬ主人のものだとわかっていながら。

*      *      *

「さて、色々話を聞きたい所なんだけど……リィト」
「何でしょう」
「なるべく早く済ませるから。『時戻し』は使うんじゃないよ」
 強く言い放ち再び『悪魔』を見据えるルティの背中は、決して越える事の出来ない、どこまでも続く絶壁の様に遥か天上のものに見える。
 今の調子で気を放出し続けるよりも、理に反した時戻しの術は体に多くの負担を掛ける。頭では理解できていても、校長に過剰なまでの同情を抱いている自分はきっと迷うより先にその術を発動させていたかも知れない。それを見越して制されたかのような発言がリィトにまた衝撃を与えた。思い込みかも知れない、相手は意図も何も持ってはいないのかも知れない。ただこの少年が自分にとってはそのような行為に至らせてしまう存在、という事だけは確かだ。
 恐ろしい。確かに湧き上がる感情。本当に恐ろしい。魂の名ですら涼しい顔で奪ってしまう『アーネスト』が。そして同時に愚かだという感情も湧き上がる。自らの力を過信し、他者には目もくれなかった、進む道に揺らぐものは何もないと当たり前のように思っていた自分が。今ここにいる自分は少し人より強い魔力を備えているだけの、圧倒的な力の前に黙っている事しか出来ない小さな存在なのに。
「さて、君の望みは……何?」
「……聞いた所で叶える気などないだろうに」
 動きを封じられてもなお、強気な相手にやれやれと掌を返すルティ。
「なぁんで誰もかも揃いも揃って正しい会話を成立させようという気がないんだろうかなあ。質問にはちゃんと答えで返すのが礼儀だって言っているのに。一たす一はって聞かれたら二って答えるでしょ? そんなものも解らないで偉そうな態度取られても何の効果も僕には与えないよ」
 そんな言葉が通じる相手ではない事位は理解しているだろうし、きっとそれを見越した上でわざとこう言った物言いをするのだろう。そしてその意図通り(かどうかは定かではないが、おそらくは)相手はその一言一言に感情を煽られ、まんまと挑発に乗ってしまうのだ。どちらが優位にあるかなんて最早問うまでもない。
「だったらはっきりと言えば叶えてくれるとでも言うのか? 人間を護るアーネスト様が、人間に害を成す者の手助けする事が在り得ると!」
 飽くまで屈する姿勢を崩さない相手と同様に、
「そりゃ勿論」
 変わらぬ口調で言い放ったルティの一言にリィトは己の耳を疑った。こうして校長に救いの手を差し伸べて置きながら、このどう足掻いても邪悪の化身としか思えない相手に与する事が在り得ると、今この人は言ったのか――? 信じたくはない、信じられないと思う心とは裏腹に、調子が狂いそうになっている手元が、その問いの答えが是である事を顕著に示している、自らが語った礼儀通りにルティが質問の答えをちゃんと返すと、今まで強固な姿勢を崩さなかった相手が初めてその口を噤んだ。次にルティが口を開いたのは、ほんの少しの間を置いた後だったはずなのに、それまでの沈黙は重く、そしてとてつもなく長いようにリィトには感じた。
「場合にもよるけどね。後さっきの君の言葉を訂正させて貰えば僕は、人間を護るなんて気持ちは全く持ち合わせちゃいないんだよね、実の所」
 くすくす。楽し気な笑いを含ませながら、また耳を疑う言葉を放つルティ。
「……ほぉ。じゃ、我の味方をしてくれるとでも言うのか?」
 これ以上黙らされてたまるか、と言わんばかりに憎まれ口を絞り出す相手。
「だーかーらぁ。言ってもない事勝手に自分の都合で作り出すなっつってんでしょーが。……ったくもぉ。人間を護る気はない、だからと言って魔族を護る気もない。ま、僕は生まれつきどっちつかずの半端者だからね。とは言え、だからと言って中立の立場でもない……基本的にはね」
 淡々と続く口上。手っ取り早く終わらせる気などないだろう、という問いはもうこの場では無効だ。せめてもの自分の魔力許容量の高さに感謝する。と言うよりも、それすらも見越した上で自分はこの役目を与えられたのだろう――おそらくは。
「僕の基本理念は、世の安寧を保つ事にある。だからその為には人間であろうが魔族であろうが、救済するし――容赦なく粛清する事も厭わない」
「随分都合の良い事だな」
「うん。だってそう言う存在だからね僕は。でもまあそもそも自分達は善で、相手は悪、なんて数百年前の人魔大戦の考えに縛られている者がおかしい」
「ならば聞くが、世の安寧の為にお前が排除されるべき存在になったらどうするのだ?」
 にやりと笑む相手に、変わらぬ口調でルティは答えた。
「その時は、この身にまっすぐ刃を突き立てるだけさ」


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