飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第12話

 余りの衝撃に涙すらも出てこない。頭が複雑に絡まり過ぎて、正気すらも保てない。それだけマリエラに突きつけられた事実は大きいものだった。
「もう……閉じて……」
 頭上に浮かぶ映像から目を逸らし、懇願するかのように呟く。

――いいのか? お前の母親……死ぬぞ、最後の別れくらいはさせてやる。

「――閉じてぇっ!」

――解った。

 ぱちん。映された内容の深刻さに反比例するかのような、頼りなげな破裂音と共に映像は途切れ、辺りは再び暗闇に包まれる。その差異すらも絶望の谷底に突き落とされんとするマリエラは気に留める事もなく、呪文のように止めて、閉じてと繰り返し呟くのみだ。意識する事もなく自動的に溢れててくる呟きは、崩壊寸前の心を無意識の内に守る防衛本能なのかも知れない。口では止めて止めてと、心の中では違う違うと。負の二重奏が体中を震撼し、表現し難い世にも恐ろしい虚脱感を与えてくる。何もかもを手放して楽になりたいと思わせる程の。
 この悪魔の存在を知ったときからずっとずっと苦しんできた。なのに、その悪魔を私の中に入れたのがお母さんだったなんて。そんなのは嘘だって、声を上げて叫びたかった。信じたかった。でも――お母さん自身が事実を認めたならば、それは本当の事。お母さんが私の中に悪魔を入れた。人間だった私を半端者に変えた。ただその事実がマリエラを徹底的に打ちのめしていた。

――お前が五の歳の話か。雪の激しい日だった。そんな日に、お前の家にやたら風変わりな訪問者があった。――覚えているか。

 崩壊寸前の心の中、マリエラは思い出す。――否、思い出させられる。絶望の淵に立たせられている彼女に抗うだけの余力はもう残されていない。好む好まないは関係なしに、ただ外部から与えられる情報を一方的に流されている。

*      *      *

 雪がたくさん降っていたあの日。そんな日にお客さんが来るだけでも目を引くというのに、その人達は真っ白な雪とは対称的に真っ赤なフード付きの法衣を纏っていた。私はお母さんに部屋に居ろって言われていたけれど、子供ながらの好奇心というものだろうか。珍しい風貌の人達に興味津々だった私はこっそりと扉の隙間から様子を覗いていた。でも幼かったからか、話の内容は殆ど理解出来なかった。覚えているのは、お母さんが怒ったような怖い顔をしていたのと、その怖さに慌てて部屋に戻ってしまったことだけ。

――貴女を稀代の魔術師と見込んでお話があるのです。

 流れてくる言葉。今なら一字一句ちゃんと理解出来る。

――人魔合成、についてはご理解頂けましたか? さて、ここに実はその概要を記した書物がございます。

 まさか、と驚きの顔を隠せない母。やがて逃げるように目を逸らすも、相手は構わず話を進めていく。

――でもですね、これは非常に曖昧で且つ危険を孕んだ未完成なものです。元は完成されているものですがね。で、そこで貴方の力をお借りしたい。目的? それは言えません。何? それでは話に応じる言われはない? そんな事を言ってもいいのですか。……知っていますよ、私は。貴女が何をしてその地位を手に入れたのか、をね。

 穏やかでいて、――しかし冷たく響く声。背筋がぞっとする。

――さて、私共は最近とびきりの魔物を入手いたしました。その力を遺憾なく発揮し、強奪、陵辱……そして殺人……悪行の限りを尽くして捕らえられた……炎の悪魔です。

 何かを察したのか、顔をしかめる母。何かを言おうとするのを相手は制するかのように、話を続ける。

――さて、貴女には娘さんが1人いらっしゃいますよね。――聞くところによると質の良い火の資質をお持ちだとか。でもそれを開花できずに困っている。さて、私が言いたい事はお解りですね?

 がたりと立ち上がり、物凄い形相で何かを叫んでいる母。

――今日は帰ります。……良いお返事、待ってますよ。

 言って席を立ち、怪しげな来客は姿を消した。頭を抱えて座り込んでいる母が後に残された。

*      *      *

 一旦記憶が暗転し、再び視界が開けて見えたのは明らかに憔悴しきっている母の姿。

――許して。

 言いながら落とす視線の先にあったのは力なく横たえられている自分の姿。どくん――混乱の渦に翻弄されて現実を見失いかけていたマリエラの心は、その大きな鼓動と共に、僅かながらも思案できる程度には現実へと引き戻される。
 覚えのない場面。それは当然だろう。映っている自分は完全に意識を飛ばしているようだし、第一自分が見えているからには、これは自分が見たものではない。それではこれは――悪魔の記憶なのか。

――これしか道はないの、ごめんなさい。マリエラ。

 視線が下に移動すると――自分の意志に関係なく視界が動くからにはやはりこれは自分の記憶ではない――寝かされた自分の下にあるのは、自分が横になってもまだ余りある程に大規模な魔方陣だった。母がこちらを向くと同時にがしゃんがしゃんとけたたましい金属音が鳴り響く。目の前に迫る両手に握られている棒状の何かを激しく揺らしている音。これは――鉄格子? 悪魔は捕らえられている。何のために……。疑問はすぐ解けた。魔方陣に置かれた自分、捕らえられた悪魔。魔方陣の大きさはそのまま施行される魔術の規模を示すもの。何の術が行われるか、なんて問うまでもない。人魔合成。これから私と悪魔は一つになる。私は人間ではなくなってしまう。
 嫌だ、どうして。私は力なんていらない。普通の人間として、お母さんと暮らせればそれだけで良かったのに。……どうして?!

*      *      *

――お前の母は、昔罪を犯した末に地位を手に入れた。

 残酷に響く悪魔の声。どうして人は望まないはずの情報を否定しつつも疑って、心を悩ませたりするのだろう。すっかり相手の手中に嵌まってしまったマリエラがそんな事を思うはずもなく、どんどん絶望の深みへと沈んでいく。

――それを知られる事を恐れた彼女は、

 もう、それ以上言わないで。悲痛な訴えが冷酷な言葉を容赦なく浴びせかけてくる様な相手に届くはずもなく、

――お前を売る事で、自分を守ったのだ。

 信じたい気持ちがなくなった訳じゃない。しかしそれ以上に突きつけられた現実が作用し、洗脳でもされていくかのようにマリエラの心は最も望まないはずの選択肢へと歩みを始めていく。そんなの嘘よ。そう、叫び続けた言葉は白い煙がやがて空気へと溶けていくようにすーっと成りを潜めていく。そうなの? お母さん……。
 困惑と絶望の果てにマリエラを包んだのは虚無。――彼女は放棄の道を選んだ。

――そうだ。それでいい……。在らざるものは大人しくしていればいい。これでやっと……ふふふ………ハハハハハハハハハハハハッ!

 悪魔の意味深な言葉も、勝ち誇ったような笑い声も相手が受け取った気配は無論なかった。

*      *      *

 何の反応も示さなくなり、微動だにしなくなった校長に視線が釘付けにはなっていたものの、徐々に現れてくる禍々しい気に一同が気付かない訳はなかった。身の毛がよだつような――強力な炎の気。
「……リィト、後は頼んだ」
 治癒の手を止めたルティは、傍らのリィトにそう呟くと徐に立ち上がり、急に役目を譲られる形になって戸惑いの表情を見せる相手を軽くねめつける。
「現状維持位は出来るでしょ。……はっきり言う、あれは君たちの手には負えないよ。ツァイニー、君は結界を……」
 言い終えようとしたその時、禍々しい気が一気に爆発するかのように急激に膨れ上がり、――そして同時に、リィトの目に映ったのは何の声を上げる間もなく紅蓮の炎に包まれたツァイニーの姿だった。余りにあっという間の出来事で、手を出せないどころか何が起こったのか理解できるまでほんの少しの時間を必要とした。
「……ツァイニー!」
「自分の役目を放棄するな」
 いつにもなく厳しい口調に、ツァイニーの救助の手を止められたリィトは一旦は、何の行動もせずに背中を見せているルティに怒りすら覚えそうになったが、
「……ったくもぉ、いきなり女性を丸焦げにしようなんて礼儀のなってないこと」
 再び振り返ると、まるで炎に包まれたのが嘘であったかのように普段通りの――とは言え今日が初対面なので彼女の日常がどうかはまだ知る所ではないが――姿をしているのを見て、ほっと胸を撫で下ろしつつ言いつけどおりに校長に気を送り続ける。同じ属性だからこそ耐性は高い。それが解ったからこそルティも落ち着いていたのだろうが、それにしたって何もしない状況で無事で居られるはずもなく、あの僅かな間に気を察知して防御壁を張れた、という事実が俄かに信じられない。
「……ああ! 髪が焦げちゃったじゃない!」
「気持ちは解るけど後回し。外に色々ばれたら後で君も僕も大変でしょ。面倒事はこの場だけで十分だよ。……それにもたもたしてる暇はないのも解るでしょ」
「……了解いたしましたわ」
 不満そうな呟きを漏らしつつ、結界用の詠唱が背中越しに聞こえる。横たわっている校長を挟んで、見えるルティの背中。その少し向こうで、膨大な炎の気を惜しげもなく放出しながらゆっくりとその身を起こすマリエラの姿――紛れもなくそうであるはずなのに、纏うその雰囲気は明らかに最初に見た彼女とは異なっていた。控えめに伏せていた顔はまっすぐと自信たっぷりに前を見据え、その口の端はにたりと妖しげに上げられている。術を送り続けながらも、おもわずごくりと息を呑まずには居られない中、
「やあ、こんにちは。……『悪魔』サン?」
 臆する事もなく、むしろ嬉しそうに相対するルティの声が、沈黙の中やたら奇妙な響きとしてリィトの元には届いた。


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