飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第11話

 母が自分を手にかけようとしていた事実は無論マリエラに多大なる衝撃を与えてはいた。しかしそこで判明した事実の前ではそれすらも霞んでしまいそうになる。理由はどうあれ、勿論殺されそうになった事実はとても悲しい。どうして嘘をついたの。だったら正直に言って欲しかった。一緒に死のうって。私の中のこの「悪魔」を消し去る方法はそれしかないんだって。そう言ってくれれば覚悟だって持てたのに。そう、この「悪魔」は生きている限りは私の中から消え去る事はない――。

*      *      *

「結局……半端者として生まれた者は……そう生きるしかないのね……」
 誰ともなしにぽつりと零した呟きに、乾いた笑いが呼応するかの如くマリエラの耳へと届く。
「何が可笑しいの……?」

――何が、だと? ……不憫なお前の存在自体が私には滑稽で溜まらない!

 くつくつと乾いた含み笑いは、やがて姿形が見えているならば腹を抱えて笑い転げてしまいそうな程の大きなものへと変換されていた。不気味で相手に恐怖感を圧迫感を与えるそれがしばらく虚空の中を駆け巡った後、尚も含み笑いしながら悪魔は言葉を続けていく。聞き手に回るしかないマリエラはただ身を震わせるのみだ。

――自ら封じ込めたのか、封じ込まされたのか。そんな事は最早どうでも良い。どちらにせよ、お前が肝心な事を忘れている。真実はそれだけなのだからな。

「肝心な事……」
 語尾を上げる疑問形ではなく、只の頼りなげな呟きとして小さな口元から零れたのは、認識はしていない「肝心な事」を心の奥底では解っているからなのか。

――しかし忘れているにしても、お前は本当に何も疑問に思わなかったのか? 我という存在について。

 質問の意図が掴めなかった……と言うよりも質問として投げかけられた理由が解らなかった。これまで自分は幾度となくはっきりと悪魔の存在を否定し続けて来た。それは相手だって良く解っているはずだ。

――お前は本当に無知なのだな。否、そう思わされているのか。

 心を読み取られたかのように返されて身を竦める。いや、きっと共有しているから考えている事は筒抜けなのかも知れない、そう考えていなければ身が持ちそうになかった。ここはきっと私の意識下だろうから、その表現は正しくないかも知れないけれど。
「一体どう言う事……なの?」
 どう言う事。ずっとこの文句ばかり繰り返している気がする。でも本当にどう言う事なのか、相手が何を言わんとしているかさっぱり解らないのだもの。否、何かを思い出させようとしているのは解る。何となく心の奥底では解るような気がする隠された記憶。相手は何もかもを見据えている。私の中にいるのだからある種当然の事なのかも知れないけれど。だったら、じらして不安を煽るならばはっきりと言ってしまえばいいのに。そう思った途端にどくん、と心臓が跳ね上がりそうな程に大きな音を立て、鼓動が早鐘を打ち始める。

――元はお前の記憶だ。だから返してやる、それが一番てっとり早い。

 どくん。体中を震撼させる胸の鼓動。思い出したくない、でも真実を確かめたい。2つの心が激しく拮抗するも、選択肢を与えてくれない相手の前では無駄な抵抗にしかなりはしない。耳を傾けるというよりは、言葉を流し込まれるという感じで相手の話を受け取っていく。

*      *      *

「……僕の耳が可笑しくなったのかな? もう一度言ってみてくれるかな?」
 口元は無理矢理笑みを形作っているものの、軽く伏せられた目元には明らかに軽視の念が込められている。そんな表情を浮かべているルティの前で顔面蒼白になりながら、肩をわななかせている校長。顔は向き合ってはいるものの、互いの視線は合ってはいない。ルティの視線は固定はしているが、相手のそれは不規則に宙をさ迷い、時折合わさる事があってもそれはほんの一瞬の事で、はっと意識的に逸らされがっちりと噛み合う事はない。
「……! ですからっ……」
 実の所、同じ問答が幾度となく繰り返されている。とりあえず五回目は過ぎただろうか。
 真実を告白しようと自ら決断した勇気ある校長も、何度も口にするのは簡単な事ではないはずだ。それは内容が重ければ重い程困難を極めることなのだから。それくらいの予想くらいつくだろうに、まったくこの人は趣味が悪い。反面何度も聞き返したくなるルティの気持ちも解らないでもなかった。もし自分が同じ立場であれば、今のように何度も聞き返すことはしないだろうが一度ではいそうですか、と聞き入れる事は絶対にない。何せ与えられた情報は、
「私は魔族と契りなど……交わしてなどおりません」
 これまでの認識を根本から覆すものだったからだ。
「……だったら精霊や神とでも交わったとでも言うの?」
「いいえ。この子の父親は……只の……人間なのです」
「何? この期に及んでまだ悪あがきをする気なの?」
 舌打ち混じりに発せられる言葉。眉をしかめているその表情からは明らかに苛立ちの色が見て取れる。
「そのような事は致しておりません。信じて下さいませ」
「よくも抜け抜けと言えたものだね。そんなに魔の匂いをぷんぷんさせておいて。僕にはそれを見抜く力が生来備わっていてね。他の者と同様に言いくるめられると思ったら大間違いだよ」
「私はもう嘘は申し上げません」
「口でだったらどうとでも言える」
「アーネスト!」

*      *      *

「観念したように見せて瀬戸際では強情を張る……随分と往生際が悪いわね」
 校長とルティの口論が続く中、急に傍らから届いたツァイニーの声にリィトははっと視線を彼女の方に移動させる。相変わらず呆れ顔でツァイニーは事の成り行きを見守っている。
「ネタは上がっているんだから観念すればいいのに。あんな見え透いた嘘なんかついちゃって全く……」
 深い溜息を漏らした彼女と、校長と膠着状態を作っているルティを見比べてふと疑問が頭に飛び込む。
「ツァイニー」
「なぁに?」
 顔は件の二人を見つめたまま、どこか気のない返事が来る。
「さっきから思っていたのですが……本当に校長は嘘をついているのでしょうか。そして貴方達は何故そんなにも自信をもって断言出来るんですか?」
「それは同族の血というものよ。貴方達には理解できないでしょうけど。理屈などは関係ない。直感で私達半端者は同胞の血を感じ取る事が出来る。あの娘には確かにその気配があるわ。だから純粋な人間である事はありえないの」
「……それは例外なくそうなのですか?」
「そうよ。少なくとも私が出あった同胞は全てそうだったわ」
「そう……ですか」
「私達にとっては至極当たり前の事よ」
 当たり前だからこそきっと彼女とルティの考えが揺らぐ事はないのだろう。でもそうではない自分はやはりまだ校長が正直である理由を探してしまう。声を震わせ悲痛なまでに訴える姿にどうしても偽りを見出せないから。でもこれはきっと追い詰められている校長に対する哀れみや同情であって根拠のあるものではない。混血である上司二人にあるらしい同族意識という絶対的なものには到底対抗は出来はしないのだろう。
 しかしそれでも一縷の望みを持たずにいられないのは単なる自己満足の為の我侭なのだろうか。そうではないという心が存在していても、それなりの根拠を示さなければ少なくともこの場では表立って主張する事は許されない。それこそ駄々をこねる子供と何ら変わらない、単なる負け犬の遠吠えに終わるだけだ。それだけは断じて嫌だと思うのは校長に対する憐れみも勿論あるだろうが、それを支えているのは何をしてでも上へのし上がってやろうと思っていた過去の気質が根強く残っているからなのだろう、とまた過去に拘っている自分に苦笑しながらリィトは考える。
(……でも校長が嘘を付いていないという事を示すのはかなり難儀だ)
 第一校長が嘘をついていないとするならば、双方の意見は矛盾する事になる。それは一体どう説明をつければ。
「……これ以上は埒が開かないね。とにかくまずはウチに来てもらうよ」
 溜息混じりに、そして淡々ながらも怒気を孕んでいるルティの声に、思考の世界から現実へと一旦引き戻される。ルティに見下ろされ、うなだれている校長からは反論の意志は最早感じられない。解釈のし様によってはもう嘘を通しきれず諦めたようにも見えない事はない。いずれにせよ校長が八方塞がりの窮地に立たされているのだけは確かだ。幾度も言い聞かせているが、罪人にそんな事を思うのは間違っているかも知れない。 「ほらさっさと立つ。もたもたしていると勝手に移動させちゃうよ」
 でもどうしても僕は納得が行かないんだ――思ったときにはもう言葉が先走っていた。
「待って下さい。アーネスト」
 何の根拠も導き出されないまま。絶対的な確信を宿した双眸が相対する不安定な精神を真っ直ぐ射ようとする。
「何? リィト」
 怯みそうになるのを堪える。それだけでも必死な中、更に彼をここに留める位の言葉を紡ぎ出すのは難儀以外の何者でもない。それでもこのままここで引き下がる訳にもいかないと、半ば意地で考えをめぐらせる。
「……納得いかないのは解らないでもないけどね。それとも僕が間違っているとでも言いたい?」
 潜めてはいても威圧的な言葉。意図せずとも相手を手中に落としてしまいそうな声にも、リィトは必死で捕らえられまいと抵抗を見せる。
「そのような事は申し上げておりません。絶対的な事ならば疑う必要もないのでしょう。きっと、いいえ……確実に貴方は正しい。ただ」
 一息置き、意を決して言葉を続ける。
「僕には……校長貴方が偽りを言っているようにも見えないんです。具体的な根拠はありませんが、でも最初に依頼と偽っていた時の貴方と今の貴方は……違う。僕に言えるのはそれだけですが」
 校長とリィト、二人の視線が重なる。校長は何か珍しいものを見るかのように一心にリィトの瞳を覗き込む。
「まさか……貴方にそんな事を言われるとは思わなかったわ……」
 僕だってこんな事を言えるとは思いませんでした――そう、言おうと思った言葉は紡がれる事は無かった。目の前の校長は、急に顔を逸らし、やがてがくんと全身の力が一気に抜けてしまったかのように激しく床に両の肘を打ち付けてうずくまってしまったから。
 慌てて校長の傍らに膝をつく。少しして体を小刻みに揺らしながら顔を上げた校長をみて思わず息を呑んだ。紙のように真っ白な顔色、それに映える口の端から流れる鮮やかなまでの朱――血の筋。思わずルティも視線を移したが、誰も何も仕掛けていない事位は解っているし、彼自身先程までの苛立ちながらも余裕はあった表情は一変し、不思議そうにこちらを見ているのみだった。じゃあ一体何が。余りに急な展開で何も言葉が出てこない――何も出来ない。そんなリィトを我に返させたのは息も絶え絶えと言った感じの校長の声だった。
「……フォレスターレン……」
 混乱した頭の中から治癒の詠唱を探り出す。原因は解らないが、とにかく痛みを和らげて進行を食い止めることは可能だ。その間に原因の解明をすれば。
「喋らないで下さい。今楽に」
「い……いの……構わないで……。それに何をしても無駄……」
 言って咳き込む校長の口元から赤い飛沫が散り、やがてその体がうつ伏せに倒れこむ。床に叩きつけられる前にその体を支えるも、もう相手は自ら体を起こす余力は残ってはいないのか、徐々に重みがのしかかってくる。何とか体を仰向けにして横たえるも、彼女はすべてなされるがままになるのみだった。
「こ……」
「どいて、リィト」
 校長と呼びかけようとしたリィトの言葉を止めたのは、短く落ち着いているようでいて、しかし重く感じられるルティの言葉だった。リィトを横に押しやり、ルティは睨むように校長の顔を覗き込む。頼りなげに口元を揺らしながら何言を呟こうとしている校長を無視するかのように、ルティは言葉を紡ぐ。
「人魔合成…か?」
 少し間を置いて掠れた声で校長が肯定の意を示すのと同時にルティから舌打ちが漏れる。それは一見すれば冷静さを装っていながらも、内では今まで以上に感情的になっているだろう事を容易に思わせるものだった。
「全くそれこそ本すら存在しない術をどこで……ちょっと! まだ聞きたい事は山程あるんだ。勝手に死んだりしないでくれる?」
 人魔合成。立ち上がった恰好で遣り取りを眺めているリィトの脳内でその単語がずっと呪文の様に繰り返される。ずっと昔書物で見た、最早薄れ掛けていた知識が一気に蘇る。その昔、様々な資質を欲した魔術師が今は封印された禁忌の術――「錬金術」を用いて魔族と自分を掛け合わせて、魔族の持つ資質を手に入れた。拒絶反応を避けるための繋ぎとして、用いられたのが縁戚者の血だったとか。
 双方の意見は矛盾などしていなかったのだ。マリエラは人間だった。そして、校長の手によって『半端者』にされたのだ。
『契約の名の下に、その血の所有者を黄泉へと誘え』
 マリエラの中に流れる繋ぎの血も確実にその呪縛に捕らえられようとしていた。


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