飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第10話

 今、自分がこの胸に抱いている感情を理解出来る者はいないだろうな。リィトは、目の前で明らかになっていく光景を目に焼き付けながら思う。衣服越しでくぐもりながらもなお、力強く手元に伝わる胸の鼓動。(まだ決まってはいないが)母が子を殺すという行為は、只の人殺しよりも衝撃を与えるものだ。
 十月十日を一体となって過ごし、苦痛を乗り越えて世に送り出した我が子。それをほんの僅かな時間で消し去ってしまうのだから。リィトもそういった意味でも衝撃を覚えていた。しかしそれ以上のある感情が彼の心に巣食い、そしてそんな感情を自分が抱いている事への嫌悪もまた存在していた。
 自虐行為と言わんばかりに胸元の手の指に力を込める。中途半端に伸びた爪が食い込み、鈍く痒みに近い鈍い痛みを産む。こんな事は気休めになどならない、そして汚れた思考を抱いてしまっている自分への叱責にすらなりはしない。しかしそうでもしなければもっともっと押さえが利かなくて、どうにもならない気がして溜まらない。
 だって誰も思ったりなんかしないだろう? この状況を、僕は。

*      *      *

 深く深く落ち込んだ意識の中、マリエラは自分の中にある「悪魔」がまだ消え去ってない事を自覚していた。 どうして?お母さんの言う通り、全部段取りはこなしたはずなのに。どこまでも続く果てしない闇、只でさえ寂しい気持ちにさせる状況の中、追い討ちをかけるかのように例えようのない不安や恐怖と言った負の感情がお構いなしに襲い掛かって来る。どこかで何かを間違えていた? 思って、ひとつひとつ記憶を辿ってみる。正直物覚えが良いとは言えないけれど、多分やり方を間違った訳ではないと思う。何せ用意された陣に書物の通り構築式を書き込んで、血を一滴。こんな単純な手順はよっぽどうっかりしない限りは間違いようがない。
 だとすれば元の手順が根本的に間違っている、という事になるのだけど。―でも、そんなはずはない。お母さんが私に間違ったことを教えるはずはないし、間違ったりもしない。ならば、きっと昔の書物が間違っているんだ。ずっとずっと昔のものだから効果が薄れていたとか。きっとそうだ。そうすれば合点がいく。でもそういえば。納得しかけた心が、別の心当たりを思い出す。確かではないけれど、何となくだけれども。術を発動させる直前に外部からの力の介入を感じた気がした。そしてそれはお母さんのものではなかった。それだけは解った。
 そうなると。あの金髪の少年。ルティと名乗った『アーネスト』―あらゆる魔術師の頂点に立つ、見た目では到底信じられないけれども遥か高みにいる存在。あの人がこの術式を無効にしたと、そういう事になる。嘘ばっかり。即座に湧き出てくる相手への言葉。まだ事がはっきりとせず、爆発することのない感情は水面下でくすぶって複雑に渦巻いている状態で、そのはっきりとしない心へのもどかしさが焦りや不安となってマリエラを襲う。
 そんな中で一つ、はっきりとはしていないかも知れないが解ることは、何だかんだ言ってあの少年はこの術の発動を阻止したという事だ。邪魔しないと言ったのに。結局は作戦だったんだ。見つかった時には既に運命は回り始めていたんだ。私は禁忌を犯した罪人で、あの人達はそれを裁く正しき人達。解ってはいる。失敗した以上はもう無駄な足掻きをする気はない。……本当は悔しいよ。とってもとっても悲しいよ。この日の為に苦しみを抱えながら、後ろめたさを覚えながら、それでも幸せの為ならばと覚悟を決めて準備をして来たんだから。お母さんなんてわざわざ門外不出の禁断の書を公立図書館から持ち出したりして……。

――健気な事だな、……痛々しい程に。

 どこかから聞こえて来たというよりは辺りの空間にぶつかり合って当たり全体に漂って響く声。鮮明ではなく、ぶれて不協和音の様に耳に届くそれは、只でさえ心の中を満たしてやまないありとあらゆる負の感情を更に煽る。
「……誰?」
 嫌悪感を抱きながらもその反面、どこか体に馴染む気配。その正体には検討がついていたものの、マリエラは敢えてその名を呼ぶことはせず、もしかしたら違うかも知れない、勘違いであって欲しいと一縷の望みをこめて問いかける。

――さて、誰かと問われても生憎名を与えられていないからな。……お前が言ったのをそのまま使わせて貰うなら……「悪魔」か。

 ああ、やっぱり。マリエラは息を呑む。これが私の中の魔性。多くの人達を傷つけ――そして……。考えた所で思考を断ち切る。それでその後の事を思い出すのを止めた……つもりだった。しかし、意に反して続きは勝手に流れ込んでくる。爆発した感情、辺り一面を包む炎の海、逃げ惑う人々の悲鳴、そして火だるまになった人間の断末魔の叫び――。
「いや……止めて……思い出させないで!」

――それで、私を消そうと言うのか……何と短絡的な事だ。

 マリエラにとっては結果的に人を死に至らしめてしまった元凶――『悪魔』は淡々と語りかける。どこか侮蔑の念を含めながら。

――あの時、助けを求めたのはお前だ。私はそれに応じてお前を助けただけだ。恨まれるどころか感謝して貰いたい位なのだがな。そうでなければお前が死んでいた。

「殺してなんて言ってない……。貴方に助けてなんて言ってない!」
 確かにあの時は無我夢中だった。自分の力じゃどうにもならなくて、誰でもいいから何でもいいから助けてと一心に願った。記憶が一気に過去へと遡り、皮肉な事にやっと意識しなければ思い出す事もなくなったはずが、苦労してここまで来たのが嘘のようにその時の状況は勿論の事、感じたことや感触までもが鮮明に蘇ってくる。必死に助けて、助けてと訴え続けた。また同じ目に遭うのはもう嫌だ、と心の奥底で叫んで。
 ……また……って、何だろう? 苦しい、忌まわしい記憶。消し去りたい程の体験を私はあの時以前にもしているの? ここにきて新しく入って来ようとする情報に混乱を覚えるマリエラに、相手は容赦なく言葉を浴びせかける。

――思い出さぬならば、私が記憶を引っ張りだしてやろう。……私とお前は共同体なのだからな。

「……要らない。それにあなたは消えるのよ……。それで私はお母さんと」

――その「お母さん」がお前を殺そうとしていたとしても……か?

 余りに信じられない言葉で、その内容をすぐには理解出来なかった。否、理解したくなかった。だってお母さんが……私を……?
「そんなの嘘……お母さんが私に……嘘つく訳ないもの」

――嘘だと思うなら確かめてみるがいい。

 相手が言い終わるや否や、真っ黒だった視界が急に明るくなる。眩しさに目を硬く閉じ、しばらく経っておそるおそる開いたそこに広がっていた光景にマリエラは息を呑む。
 手を伸ばせば触れられそうな場所に大きく映っているのは呆然としている同じ色の服を纏っている一組の男女。焦げ茶の髪に緑の双眸を宿した、マリエラの記憶の中では冷淡だったが今は穏やかに見える少年―リィト=フォレスターレン。その傍らにいるのは彼と一緒にいた黒髪の美女、確か……ツァイニーと呼ばれていただろうか。
 そしてその二人の視線の先で対峙している者達。今は黒髪で擬態を取ってはいるけれど……その圧倒的な気で解る。先程までは、金髪紫瞳の華奢な少年の外見をした――しかし圧倒的な存在感を醸しだしている、魔術師の頂点に君臨している『アーネスト』――名は……ルティ。そして彼と相対しているのはマリエラにとって一番大事な人。その人、お母さんが抱きかかえるものをみて体がびくっと強張る。
 青白く、一見しただけでも生きている者の様相とは程遠い自分は力なく相手に身を預けているのみだ。それでは今ここにいる私は……? それに答えるように相手の声が届く。無情なる言葉が。

――心配しなくてもお前は生きている。あの『アーネスト』様のご好意でな。命を救われたのに邪魔呼ばわりとは、よっぽどの視野の狭さだな。何が正しいか以前に指針となるものが一つしか……『母親』しかなかったのだから。

「嘘……貴方を消して……私は只の人になって……それで……」

――本当に、都合の悪い事は忘れてしまっているのだな。

「……どう言う……事?」
 ほんの少し間があった後、相手の答えが返る。

――それでは思い出すがいい。……お前が今、ここに存在していられる理由をな。

 静寂な空間に話し声が聞こえ始めた。

*      *      *

 沈黙がどの位続いた事だろう。ルティの強き視線に射られながら視線を地に落としていた校長が、誰かに話しかけているというよりは独り言の様にぽつりぽつりと話し出した。視線は顔を上げてはいたものの焦点が定まってはおらず、不規則に宙をさ迷うばかりだ。
「確かに……私はこの子の命を絶つつもりでした。そして……私も死ぬつもりだったのです。責任を取りたかった……あの子にあんな運命を背負わせてしまった事への」
 言ってちらりとマリエラを見た校長の表情はさっきとは違って本気でうろたえているように見えた。事前にマリエラが死ぬ運命を解っていたからこその不自然な態度とは違い、逃げ場がなくなり全てを吐露するしかない、本心から現れているだろうその表情。理解はし難いものの、きっと娘を思っているからこそ、苦しみから解放させるためには最早これしかないと追い詰められた果てに出た結論。
 親が子を殺す。勿論これはあってはならない重罪だ。結果として誰も命を落とす事はなくとも未遂を犯した事実は多からず少なからず支障をきたし、そしてそれは意識しなくなる様になっても生涯消える事はありえないのだ。かつて一人の人間に殺意を覚えた事のあるリィトは深く深くその考えを噛み締めていた。しかし抱いている感情は共感ではなく、激しい自己嫌悪だった。理由はどうあれ、人が人を殺す、又は殺そうとする行為に善悪などは在りはしない。人殺しは罪。それが世の常というものだ。それでも意識せずにはいられなかった。娘の為に泣く泣く決断した校長と、意識はなかったけれど自分の欲の為に……きっと悪意をもって背中を押した自分とを比較せずにはいられなかった。
 負の感情ではち切れんばかりの心を抱えている中、ルティが擬態をとっている事が唯一の気休めだった。そのルティは、ふぅん……で? とか相槌を打ちながら校長の独白に耳を傾けている。
「許して頂けるとは思ってはおりません。どうか厳罰を与えて下さいませ。でもこの子は……この子だけは」
「ちょっと待ってよセンセイ。それで完結させちゃうつもりなの? 確かに捕まえてから詳しい尋問……は常識だけどさ。もうちょっと何か言う事ないの? 僕じらされるのって好きじゃないんだよねえ」
 人の事言えるのかとは突っ込む気はないし、挟む隙間もない。大体にして罪の告白とうものは大変勇気のいるものだ……と思う。胸を張って言える事ではないが、経験上から他の者達よりは理解できるつもりだ。
 作り話に出てくる罪人達がやたらと口を割るのは話しの流れを緩慢にしないために作り手の都合によるものだ。無論それが全ての事象に当てはまるとは思わないが、簡単ではない事だけは確かだ。だからぽつりぽつりとは言え、早々に罪を認め(……ざる状況に誰かがしている気もするが)告白している校長は勇気ある人だとおもった。こんな考えが間違っているのは百も承知だ。罪は罪としてしか認識されない。例えその過程にどんな事情があろうとも、その内容に触れ、且つそれを理解出来るのは極々僅かな存在のみだ。場合によっては皆無かも知れない。結果というものはそれだけ大きな力を持っている。そしてやっかいなのは結果が出るまで、何かをもたらしてしまう事位は覚悟できでも、どの程度のものが生まれてしまうのかは、ことが起こってしまうまで絶対に解らないという事だ。
 ちゃんとそれは理解している上で思う。僕にはどうしても校長が心から罪人とは思えない。彼女は『罪の人』ではなく、『罪を犯してしまった正直な人』―魔に魅入ってしまったのではなく、惑わされてしまったのだと思えて溜まらない。そんなリィトの心境とは裏腹に尋問するルティの視線と口調は淡々と、且つ冷ややかなものをひっそりと忍ばせている。しかし明かされる事実はルティの予想をも越え、これらの反応に変化をもたらす事になる。
「……アーネスト。私は全てをなかった事にして終わらせるつもりでした。ですが次第に躊躇いが生まれるのも又事実でした。ですが……この子が苦しみから解放されると喜ぶ姿を消したくなかった。もう引き返せなかった。……ですから」
「僅かな可能性にかけて止められる力のありそうな僕らを呼んだと」
 引き継ぐように言葉を発したルティを見ながら目を瞠る校長。
「構築式の正体とその他諸々で何となく思っただけだけどね。だから寸前にマリエラの体の方に効力を弱める処置を施してみた。完成された式を弄くるのは危険だからね。衝撃で仮死状態っぽくなっちゃってるけど息はじきに吹き返す」
「申しわけありませ……」
 言葉を詰まらせる校長と、やれやれと呆れ顔で両の掌を返す素振りを見せるルティ。
「言っとくけど助けられたなんて思わないでね。僕は極力面倒ごとは避けたい性分なんだ。今日はたまたま気が向いただけ」
 素っ気無いようでしかし力が篭っている様に感じるのは『アーネスト』という地位ゆえの錯覚なのだろうか。それともそれ程までにこの人の存在感が圧倒的だという事なのだろうか。判断は出来ないし、今はそんな事を思い悩む必要も暇もありはしないけれども。
 考えを断ち切って事件の方に集中しようと思った矢先に聞こえていた「全くもう」という呆れている様なツァイニーの呟きがリィトの心の混乱状態に更なる拍車をかける。溜息まじりに耳に届いたそれは何となく親しげな雰囲気を感じさせる気がした。口元が綻んでいるように見えるのもそんな予想を後押しする。……今はそんな事を考えている場合ではないけれど。そんな言葉を今日は何度唱えたことだろう。
「ここでの質問はこれくらいにしとうこうか。あんまりもたもたしていると他の生徒に感づかれちゃうかも知れないし。後は協会の方でゆっくりと、ね。自分で立てるよね?」
「え……あ……はい……」
「そうそう。一応念のためマリエラと君は一旦別々にさせて貰うよ」
 一旦目を瞠り、やがて躊躇いがちになったそれがマリエラの姿をとらえる。その表情は少なくとも憎しみの込められたものではない。それを相反するかのように淡白に響くのはルティの声だ。
「別に永久に離れさせるって訳じゃないんだからそんな目で見ないでくれる? 元はと言えば、君が原因なんだからさ」
 一言多い。何だってこうわざと人の気をかき乱す事を言うのだろうか。それは確かに彼の言い分は正しい訳なのだが。いや、違うのか。こんな事を言う自分が立場上間違っているのか。これが現実なのか。
「ま、人が誰かと愛し合おうが、契りを交わそうが個人の勝手だけどね」
 声を潜めながらルティが言い終えるや否や、今までにない程校長の顔が蒼白になっていくのがはっきりと見てとれる。尋常ならざるその反応にさしものルティも訝しげな視線を校長に送る。
「……それは……一体どう言う意味な訳?」
「アーネスト。……私は……取り返しの付かない事を……」
 唇を震わせながらたどたどしく紡がれる言葉。
「? それはもう解ったってば。君がどんな状況で魔族と関わったか知らないけど。出来ちゃったものはしょうがないでしょ。その点については僕はいくらか寛容」
「いいえ!」
 やっとの事で搾り出した、という感じの叫びがルティの言葉をも止める。「いいえ……いいえ……」と今度は呻くように呟きながら、校長は言葉を―真実の独白を始める。

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