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飛べない魔術師

 第1章「魔に魅入るモノ」

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第9話

 青淡色の潤むような、しかし力強い光が陣を形成するもの全てに広がっていく。夜空に君臨している月と同じ、とても安心する輝きだ。
 今までに味わったことの無い安堵感じマリエラは魅了されるが如く、その心地良さに酔いしれ、満たされていた。やがて体全体を震撼させる痺れを伴なった痛みすら気にならない程に。寧ろ快感すら覚えていたかも知れなかった。自分に巣食っていた悪魔―魔性が消えていく。それは彼女にとって、何よりも喜ばしい事だったのだから。
 これでもう力が暴走する事だってなくなる。誰も傷付けないで済む。そうすれば……もう気兼ねなくお母さんと暮らしていける。痛いけれど、ちょっと息苦しいけれど。その先に幸せが待っているのなら、こんなものは幾らだって耐え抜いてみせる。
 夢見心地の中、徐々に白く霞んでくる視界を最後に捕らえ、マリエラはゆっくりと目を閉じてその身を完全に構築式の中に委ねた。やがて訪れる『幸せ』を信じながら。

*      *      *

 強力な魔力が解放される感覚で我に返ったリィトの目に映ったのは、その目を疑うような目の前の光景だった。それは傍らのツァイニーも同様のようで、目を瞬かせているのが見てとれる。
 魔獣の群れが突然消え去り、更に開けた視界にあったのはすっかり元の姿を取り戻している大地だった。おぞましい程の血の海が消えていただけではなく、むせ返る程の血の臭いすらも何事も無かったのかのように成りを潜め、辺りには若葉の心地よい青臭さが満ちている。もうこれで無意味に殺生をする必要はないという安堵感を覚えるのも束の間、罠が急に解かれた理由に行き着いた瞬間に、なんとも言えない衝撃が体中を震撼させていくのをリィトは確かに感じていた。
「何ぼうっとしているの? 急ぐわよ!」
 明らかに焦りの混じっている声は、同じ答えに行き着いた事を確かめるまでもなくリィトに教えてくれる。何故罠が急に解かれたのか、理由は明解だ。もう、罠を仕掛ける必要がないからだ。

――その時は、君たちの負け。

 だからと言って負けましたと帰れる訳がないだろう。怒り、落胆、猜疑、自己嫌悪……複雑に絡んだ様々な感情を押しのけながら、ただ一心に向かうべき場所を心で念じた。たとえもう何も出来なくとも、任務が失敗に終わったとしても。結末を最後まで見届けるために。

*      *      *

 屋外の一画に据えられたせり上がった石の舞台。主に生徒が日頃の成果を披露する演舞場として使われているその場所に、ルティはいつも通りの何を考えているか解らない、一見にっこりと楽しそうな笑顔を浮かべてそこにいた。
「やあ、遅かったね。二人とも」
 ルティのにこやかな表情と、その目前で力なく相手に身を預けている少女と彼女を抱きかかえる校長。その対称的な光景は思わず息を呑んでしまう程、奇妙なものにリィトには感じた。
 一度しっかりと閉じられたはずの魔道書は、魔法の発動の衝撃で開いてしまったのだろうか。リィトとツァイニー、二人が防ぐことが出来なかったその祭りの後の無常さを表しているかのように、時折吹き込むそよ風でぱらぱらと頼りなげにページが捲れている。役目を終えた陣はもうすっかりそのなりを潜めており、一体何の術が行われたのかは一見しただけではもう解らない。今解るのは術が行われてしまった事、そして言った通りにルティが何の手出しもしてはいない事の二つだけだ。……否、後者は「だけ」と簡単に言える次元のものではない。リィトはぐっと拳を握る。
「……何か言いたげだね、リィト」
 反抗するかの如く、リィトは敢えて感じている事を口には出さず、言葉を濁すようにただ「……いいえ」とだけ短く応える。全く読めないこの人の事だ。何か裏では考えがあるのかも知れない。むしろそうであって欲しいと願いながら、必死に我を抑えた。
「さて、校長。さっきは手荒な真似をして悪かったね。でも貴女が悪いんだよ? 僕売られた喧嘩は大歓迎で買う主義なんだ。たっぷりと色をつけてお返ししてね。……それにしたって血気はやるところは変わっていなくて少し安心したよ。子供を産んでいたのは意外だったけど」
 ふっと顔を上げてルティを見上げる校長の表情にリィトは何故だか違和感の様なものを感じた。しかしその理由にまでは至らず、そのもどかしさが苛立ちを生み出す。ただでさえ黙って静観していただけのルティに対して似たような感情を覚えているというのに。
「……そんな事よりも一体貴方は何者なのです? 私は貴方の様な人とは面識はありませんが。それとも他校の卒業生かしら?」
「……はは。これだから視覚に頼りすぎるのは良くないね。もっと感覚を研ぎ澄まさないと。まあ、この姿でうっかり来た僕も悪いけどさ。でもね、力の質位は見極めてくれないと。微少でも強大でもそれに変わりはないんだしさあ」
 返す言葉が見つからない校長を更に追い詰めるかのように急激に放出された強大な気配が、校長のみでなく側にいたリィトとツァイニーの二人にも襲い掛かる。思わず目を硬く閉じてしまったリィトが再び瞼を上げた時には、金髪紫瞳の少年は真っ直ぐ伸びた黒髪と、深い紫の双眸はそのままにその顔に宿した精悍な青年へと変貌していた。
「……あなたは……」
「こうでもしてくれなければ思い出して貰えないなんて寂しいね」
「アーネスト……」
 リィトが知っている二人の関係は「アカデミーの生徒」と「校長」だ。だから当然の流れとして久々の再会という事は彼がアカデミー生と偽ってアカデミーにいた時以来とどうしても思ってしまう。しかしそれは消去された記憶ゆえあり得ない事だ。そして、数年前に初めて会ったはずの二人はそのずっとずっと前に面識があるらしい。それはリィトにとって実に奇妙な光景だった。
「そう、久しぶり。君がここのアカデミーの校長になったお祝いに便宜的に来ただけだから何の感慨も湧かないけどね」
 姿形は変わっていても口調はそのままだ。
「貴方程の方が来られたと言う事は……協会は何もかも最初からお見通しだったと……そういう事なのですね」
「人と話す時はちゃんと目をみて話そうね。これ生きていくうえでの礼儀。えーとね、全然ここに来るまでは知らなかったよ? それもその子に口を割らせるまではさっぱりね」
 ちらりと視線を下にやり、校長の腕の中で微動だにしないマリエラをしばらく眺め、そのままの姿勢でルティは言葉を続ける。
「君の計画はそこまで完璧に極秘裏に遂行されたという事だよ。どういう手を利用したのか、誰にも感づかれる事もなくあんなものまで手にいれてね。……ただ、解らない事がある」
 一息置いてから、心なしか声を潜めるルティ。
「何でうちに連絡なんてよこしたのか。はたまた結界にわざと綻びを作ってあったり。この二人に結界の場所を示したり……今日の君の行動には聡明さに欠ける部分が幾つもあるんだけどまあそれは置いておこう。単刀直入に言うよ。……何故、この術を使おうと思った? そもそも在り得ると思った? 混血がまっさらな人間に戻る術なんて」
 ここで行われていた術の正体に思わずリィトは目を瞠る。混血から魔性を失くす術、だって? 術の内容に驚いたのは無論だったが、リィトがそれよりも気に留めたのはルティとツァイニーの事だった。その正体はまだ判明はしていないが(ルティはエルフらしいが、まだ疑わしい点が多少あるので……否、ありすぎるので)魔族の血をその身に持っている者達。すぅっとルティの目が細くなり、軽蔑に似た眼差しを作り出す。
「良く血が半分に混ざっていると言うけどさ、実際はそんな単純なものなんかじゃないんだよ。人間としての血と、魔族としての血はもう溶け合って一つの存在として形成されてしまっているんだよ。それも『半端者』として完成しちゃってるんだ。魔性を封じる事は出来ても消すことなんか出来やしない。一見人の様になれても、所詮人のふりをした『半端者』としてしか生きられないんだ。大事なのは逃げる事じゃなくて、その運命を受け入れて、いかに活用するか、という事なんだよ」
 自らが混血だからこそ口に出来る口上にその場の誰もが口を挟めなかった。それ程に、その言葉一つ一つに重みを感じる気すら、した。同じ運命を抱えている(らしい)ツァイニーと、術を施行させた校長はそれ以上に何かを感じている事だろう。
 他者の思いなどは知るべくも無く、ルティの口上は続いていく。
「君は考えなしの人間じゃないと思うからさ。改めて聞くよ。本当にこの術が欠片も胡散臭くないと思わなかった訳? それともそんなに自分の思い通りに行くはずだと思っていたのかな。……その子の状態について何も確かめようとしないのはそうする必要がないから? うまくいったとそう思っているから? そもそも常人には確かめる術もあまりないからその点については問わないけど」
 身体的特徴がない限りは、人型を取っている魔族も普通の人間もそう変わりはない。容姿の良し悪しはあれども、人間だって魔族だってそれぞれに当てはまる事であり、見分けの参考には全くと言って良いほどなりはしない。
 魔力の感知については多少の自信はあれども解るのはその資質までの話。そもそも持つべき魔力の源の質が共通している以上は、そこから人間か魔族かを判別するなどは実際の所至難の業だ。同族同士間ではそれを容易に感知出来るらしいが、詳細は定かではない。
 とにかくも視線の先に映る少女が混血かどうかはリィトには解らない。ほんの少し触れ合っただけだったが、少々そそっかしいだけの普通の女の子に見えた。感じる気配はこんな禁断の術を持ち出す様な何かを抱えているなど信じられない程、平凡で穏やかなものだった。自分を知らないと知って、陰りのある表情をみせた彼女はとても人間らしく、非情な心の持ち主だった自分よりもずっと純粋に見えた。ただ漠然と瞳にうつしていた少女に何となく意識を集中する。強大な魔力など全く感じられない。それどころか……もっと意識を集中させ、辿り着いた仮定にリィトは息を呑んだ……まさか。リィトの気持ちを代弁するかのようにルティが言葉を続ける。
「ちなみにその娘から魔性は消えちゃいないよ。……何故だか、その正体がはっきりと解らないけど……ま、それは今はどうでも良いね。それよりも重要なのはそれ以外のものが彼女の中にないって事、生きとし生けるものに必要な魂ってものがね」
 瞬間、校長が目を見開き、マリエラの顔を覗き込む。まだ、時間が経っていないせいだろうか、色白な肌にはまだうっすらと朱を浮かばせている少女には確かに生気が宿っていなかった。それは死と同義を示すこと。
「……マリエラ?」
 一心にマリエラを凝視する校長。
「マリエラ! マリエラ!」
 揺さぶられても、頬を叩かれても、当のマリエラは力なくなされるがままになっているのみだ。全て無駄だと悟ったのか、校長は手の動きを止め、ただ娘の体を強く抱きしめた。その手元が小刻みに震えていた。でも泣いているという訳ではないようだ。でもその様子からは何とも言えない、無念というものが感じられる気がした。そうだろう、詳しい事情は知る所ではないが、失敗したばかりでなく、娘がこんな事になってしまったのだから。任務失敗の落胆、少女の運命に対する哀れみ……ありとあらゆる負の感情が複雑に入り組んで心をかき乱す。これから先も幾度も失敗する事もあるだろう。いちいちそれを悔やんで気に病んでいる暇は本当は与えられないのかも知れない。しかし、それを差し引いてもこの失敗の代償は重すぎる。やりきれなさと同時に、心の奥底にふつふつと湧き上がる、怒りにも似た激しい感情。
「そうやって全てを見据えた上で……何もかもただ見ていたというのですか?」
 呼びかけを止め、娘を抱きかかえた恰好のまま、顔だけを上げルティを睨みつける校長。
 リィトが思ったいた事を代弁するかの様に口にした校長の声には怒りの色が伺えるが、なぜか表情は強張っているように見えた。なまじ今まで人の顔なんてじっくり見てなど来なかったから、その感情を読み取る事に関しては全くもって不得手であるのは仕方のない事かも知れない。リィトのみならずどんなに勘の鋭い人間でも全ての事象に置いて的中する事は難しい。人の心とはそれほどまでに個々において多種多様であるからだ。ただその校長の表情にリィトは何となく違和感を覚えるのだけは確かだった。その正体は解らない。はっきりいってただの直感だ。でもまだ終わりじゃないのかも知れない。そんな気がした。
「答えて下さい! 貴方はそうやって……この子を見殺しにしたのですか?」
「……言いだしっぺのくせして、よく言う」
 一見すれば、必死に叫ぶその姿。確かに最初に切り出したのは校長だが、こういう結果をもたらすとまでは予想できていなかったのならば、校長のこの訴えは合点のいくものだ。 ……でも、やっぱり何かが変だ。確かに声は怒りを露にしている。今度はその表情も睨みを更に効かせ、体全体で相手に怒りをぶつけているように見える。でも、やはり……何かが変だ。まるで先入観が出来てしまったかのように、そこに何かがあると疑いたくてしょうがない。
 リィトにそんな気を起こさせている校長と対峙しているルティは責められているにも関わらずただ無表情を保っている。しかし、校長の言葉が終わり、ほんの少しの間沈黙が降りた後、それは目を細めた軽視の眼差しへと変わっていく。
「……ここで正直に許しを請えば良かったのに。悪あがきと過信はもう要らないんだよ? 校長センセ?」
 びくっと体を強張らせた校長を目に映して、リィトははっと思う。さっき感じた違和感の正体が、なんとなく姿を見せ始める。言葉を失い、何の反論も出来ずにいる校長に、容赦なく付けこんでいくルティ。
「どうしたの? さっきまでの威勢の良い君はどこへ行っちゃったのかな?」
 軽視の中に嘲笑するかのような感情を含ませてルティの口上は続く。校長はとうとうその視線から逃れんと顔を逸らした。
「悪あがきはいらないって言ったでしょ? やれやれ、じゃあそんな君に一つお知らせ」
 口の端を上げながら、楽しげにルティは耳打ちでもするかのようにそっと呟いた。
「マリエラはね……生きているよ。君の思惑とははずれて、ね」
 場の空気が緊迫する。死んだとばかり思っていた少女が生きている事実にも驚いたが、それ以上に気になった後半の言葉にこれはなりを潜められてしまう。マリエラは生きている。未だ生気が感じられない以上俄かに信じがたいが、きっとそれだけギリギリの境界線にいるのだろうと思うことにする。問題なのはその次だ。生きている、という事実が校長の思惑とは外れている、という事は即ち本当の目的は……。まさか、と思うがそれを真実とするならば合点のゆく所がある。
「思惑……一体何の事で」
「下手な芝居はもうやめるんだね。……失敗したんだよ、君は」
 芝居、という単語を耳にしてリィトはようやく違和感の正体に辿り着いた気がした。そうなのだ。娘を失って衝撃を受けている割には、声を荒げてはいたけれども、表情が妙に落ち着き払っているような、と思ったら打って変わって相手を急に睨みつけてみたり……そんな矛盾。あれは突然の悲劇に直面したという反応ではなく、事前にそうなる事が解っていた、だから大して取り乱しも、泣き叫びもしなかった。そう考えた方が合点がいく。後から発覚した事実から分析した事であって、その時は何も気付けたりはしなかったのだけれども。思わず苦笑したくなったが、状況がそれどころではないので堪える。
「沈黙は肯定とみなす……っていう社会の常識を忘れている訳じゃないよね。認めたくなかったら、こちらから種明かしをしてあげてもいいんだけど」
 言いながら相手の前に立ちはだかっていたルティはゆっくりと歩を進め、今度は相手の背後に回り込み、件の『禁断書』を拾い上げる。ぱらぱらとページを鳴らし、中身を眺めながら笑んでいる姿は一定方向に視線を固定してしまっている校長の目には映らない。
「劣化の仕方も細工もかなり上手く出来ているけど纏う歴史の重みまではどうにも出来るものではないね。中身に関しては……該当するページ以外は問題外だ。まあマリエラの目さえごまかせれば良かったのか」
 つまりは『禁断書』とは真っ赤な嘘であり、これは校長がいかにもそれらしく作った偽物。どうりで騒ぎにはならないはずだ。そもそも何も持ち出されてなどいないのだから。しかし、そうなると校長が彼女に施行させた術は何だったのだろう。ああ、本当に頭が混乱するどころか余りに入り組みすぎて思考回路が破壊されそうだ。
「ねえ、いい加減にだんまりは止めにしない? 僕には君がマリエラにさせた事はもう解っているんだ。しかしわざわざ古代文字で構築式を作るとは凄い人だね君は。……その才能と熱心さをさ何で良い方向へ考えようと思わなかった訳?この子が内に秘めた力で何をしたかは知らないけどさ。…さすがの僕でもちょっとこれはどうなのかなって思うんだよね。陣に書いてある構築式を見た時は目を疑ったね」
「……! まさか……解読書もなしでなんて……!」
「人生長いからね。少なくとも君の五倍は生きてるもの」
 不敵に笑うルティ。その瞳は恐らくは全てを見通している。
 しかし校長の五倍って、前も自分の五倍は生きているって言っていなかったか。それなら計算が合わないじゃないか。という疑問は次のルティの発言で、一気に煙の様に掻き消えた。
「『契約の名の下に、その血の所有者を黄泉へと誘え』……君は最初からマリエラを死なせるつもりだったんでしょ?」
 リィトの鼓動が早鐘を打ち始めたのは、遠くから聞こえる潮騒の音だけによるものでは、きっとない。

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