飛べない魔術師

第1章「魔に魅入るモノ」

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第1話

 身に刻まれている忌まわしい記憶。何の変哲も無い日常にて、ふと襲う浮遊感。同時に伴うのは、潮騒を伴った海原の映像。その中に落ち、消えていく少年。不規則に頭の中を駆け巡っていく。
 罪。それは、大きなモノ。許されても、苦しみは生涯続くのだと……自分は知っている。それが、罪を犯したものの試練なのだとも。
 誰も知らない。少年を追い詰めるものがその罪への後悔だけではないことを。その奥に秘めているものを。許したものすら、それを知らない。

*      *      *

『ライラ公国』。面積は狭小ながら、大陸一の魔道大国としてその名を馳せている海岸沿いの国。数多くの『魔術アカデミー』と呼ばれる魔術師養成学校が存在し、優秀な魔術師達が年々輩出されている。その中でもトップクラスの魔術師しか属する事が許されない、いわば魔術の精鋭達が集う場、通称『アーネスト』と呼ばれる、それが『魔術師協会総本部』である。今では協会の通称の他、協会長の呼称にも使われている。
 協会長『アーネスト』は、魔術に長けているのは無論のこと。思わず頭を下げたくなるほど(無論合間見える時は頭を下げねばならないのだが)、威厳ある雰囲気を常に醸し出している人物。……と言われている。と、言うのも当代の『アーネスト』は人前に滅多に姿を見せない、謎に包まれた存在だからである。なれば、理想に理想を重ねてしまうのが人の欲というもの。大抵の人民の中ではそれはもう、素晴らしい『アーネスト』像が出来上がっている。勝手な想像。もし、ご本人をみて幻滅したとて、それはすべて勝手な想像を膨らませた方の責任なのである。

*      *      *

「やあ、リィト。久しぶり」
 確か僕は、部屋で身支度をしていたはずなんだけど。協会員である魔術師、リィト=フォレスターレンは、目を瞬かせながら周りをきょろきょろと見た。
 白で統一された部屋。汚れなく清らかな印象を見るものに与える、そんな雰囲気。裏腹に目の前の人物は、悪戯っぽい瞳をこちらに向けている。というよりも、今のこの状況こそ。始末の悪い、悪戯そのものなのであるが。こちらの反応ひとつひとつをこの上なく楽しんでいるような、裏がありそうな表情。
 金の髪に紫の瞳。見た目は可憐な美少年であるが、その実体は年齢不詳のハーフエルフ。そして、彼こそが魔術師協会長『アーネスト』その人である。ハーフエルフ、というもの実の所は怪しい。エルフ特有の特徴と言えば、尖った耳。子供だって知っている常識。それがこの『アーネスト』であるルティ=ティアンズには見られない。それだけで否定は出来ないし。指摘したところで何かが変わる訳でもないし。気にはなるものの、深入りするつもりは毛頭ない。協会員として使命を全うする。すべき事はそれだけなのだから。文句は言えるはずも無い。
 が、今のこの状況にはちょっと異を唱えてもいいかな。と思ったリィトである。
「お久しぶりです。……アーネスト」
 肩に掛かる髪を手櫛で整えながら答えるリィト。何せ、途中だったものだから、髪はバサバサと纏まり無い。幸いか、服はちゃんとしていた。もしこれが着替えの途中だったしたら。……想像もしたくない。
「……しかし、張り合いがないねえ」
 はあ、と溜息を吐くルティに「はぁ?」と首を傾げるリィト。
「着替えの途中だったら、面白かったのに」
 おいおい。思わず突っ込まずにはいられない。声はださながったが。それよりも、今しがた思った事を言われた衝撃の方が大きい。読心術でも発動 させてるんじゃないかとも思った。
「あら、アーネスト。それだったら入浴中とかの方がよろしいのではありません事?」
 発言したのはルティの傍らにいつの間にか現れた女性。緩やかに波打つ黒髪、触ればとても柔らかそうだ。わざとなのか、大きく開いた胸元からは、はち切れんばかりの谷間が覗いている。大人の色香、青少年にはかなりよろしくない。
「君ねぇ、いくら呼んだのは僕だからっていきなり入ってくるのは不躾だとは思わないの? ツァイニー」
 ツァイニーと呼ばれた女性は変わらぬ笑みを携えながら、佇むのみだった。ときおり、含み笑いをしながら。
「それならば、今度からは私用の魔力防御壁でも、用意する事をおススメしますわ。仰る割には、結構無用心ですわよ?」
 浴びせられた言葉に一瞬、目を点にするルティ。直後、あははと声を出して笑い出す。笑いすぎて潤んだ瞳を、手の甲で拭う。
「いつも君は愉快だねぇ。こりゃ、うかうかしているとこの座が危ない」
「ふふ……。恐れ入りますわ」
 皮肉とも取れる、ルティの発言を肯定と取ったのか、ツァイニーは笑みを返した。にっと口の端を上げたその表情は「恐れ入る」というよりは「当然だ」とも訴えているようにも見える。上下関係を重んじる協会の風潮を完全無視している女性。この二人の間に並ならぬ関係があるだろう事は容易に仮定できる。
「ともあれ、今後が楽しみだね。期待しているよ? ツァイニー」
「尽力したい所存でございましてよ。アーネスト」
 二人の視線がリィトに向く、慌てて飛びかけた意識を戻し、姿勢を正した。
「さて、本当に久しぶりだね、リィト。任命式の日、以来……かな?」
 任命式、とはあの不意打ちで協会員にされてしまったあの日の事だろうか? 協会員の証である、銀の腕輪を見ながらリィトは思う。
「ここの勝手には、もう慣れた?」
「色々親切に教えて頂いていますけど……まだまだ日が浅いですから。慣れない事のほうが多いです」
 例えば、勝手に召喚される事、とか。無論、ここの日常茶飯事ではないと思うが。
「ふうん。……ところでさ、リィト。その口調、やっぱ改める気は無い訳?」
「はい」
 問いに、キッパリと答えるリィト。ルティは、口を尖らせ子供みたいに拗ねてみせる。
「ちぇ。真面目なんだから」
 確かにかつては同じ学び舎で机を並べた同志ではあったかもしれない。それでも、今は主従関係にある。ケジメはきっちりと付けたかった。無論理由は、それのみではなかったけれど。それ以上問いただすことはせず、言葉を続ようとするルティを傍らのツァイニーが呼び止めた。
「そろそろ紹介してくださいな。アーネスト」
 微笑を浮かべながら言葉を紡ぐその姿は、艶かしく美しかった。
「おっと、うっかりしていた。すまないね。彼女はツァイニー。君の指導教官……と言った所かな」
 うふふとリィトに笑みを送りながら、近づいてくるツァイニー。組んだ両腕が胸元の下辺りに置かれ、妙に谷間が強調されている。
「よろしく、リィト」
「よろしくお願い致します。失礼ですが、姓はなんと?」
 視線を逸らすリィトの姿を見ながら、あらあらと嬉しそうな表情のツァイニー。
「うふふ……。ウブなのね。いいわリィト。貴方の様な純粋な人は、好きよ」
 これは純粋とか、そんな次元ではないように思われるのだが。それよりも、質問に答えて欲しいのだけど。
「ツァイニー=ラマ、よ。リィト=フォレスターレン」
「それでは、改めまして。ご指導の程よろしくお願い致します。ラマ様」
 言って頭を下げる。再び頭を上げたリィトの目に映ったのは不満げな表情を浮かべている相手の姿だった。思わず鼓動が早鐘を打ちそうになる。何か、自分は無意識の内に失態でも犯してしまったのだろうか、と。でもそれが杞憂だと判明するのは、すぐ後の事だった。
「それじゃあ、堅苦しくて嫌だわ。私の事はツァイニーとお呼びなさい」
「では……ツァイニ―様……で」
「様も要らないわ。ふつうに呼び捨てなさいな」
「それは出来ません。自分はまだ新人の身です。従うべき上官をその様に呼ぶことなどできません」
 頑なに拒むリィトに、しかしツァイニーは諦める姿勢をとらなかった。
「それでは、上官命令に従いなさいな。リィト=フォレスターレン。私を呼ぶときは『ツァイニー』と呼び捨てなさい。拒否あらば……反逆と見なし、厳重処分として。最悪資格を失う事にも成りかねないのだけど。それでもよろしくて?」
 婉然と佇むその姿に、抗おうと思う輩は中々いないであろう。事実、リィトもその圧倒的な姿に、拒否の言葉などかき消されていた。
「解りました……ツァイニー」
「願わくばその敬語も改めて欲しいけれど、あまり始めから気疲れするのもよくないから妥協しておくわ」
 二人の間を割るように咳払いが響く。ルティだ。
「これから半年の間は彼女の仕事を補助する事になる。それで色々勝手を覚えてから、本格的に任務に付いてもらうことになるんだけど……これに異論はあるかな?」
「いいえ」
「よろしい、じゃ早速現地に赴いてもらおうかな」
 これには異論を唱えてもいいかな、と思ったリィトである。いきなり勝手に召喚されて、その場でいきなり初仕事って図式があっていいものだろうか。
「何、君はツァイニーに従えばいいだけだからね。それではヨロシク」
 全く持って訳の解らないリィトには「はい」と肯定の意を唱えるしか出来なかった。前途多難という言葉が、まさに今の心境には合っていた。諦めて部屋を後にしようとしたのを、ルティが呼び止める。
「そうそう。一言言い忘れていたよ。ちょっと色々と面倒且つ複雑な事が起こるかもしれないけど。そこは流してくれたまえよ。後は」
一言じゃ、無かったのだろうか。という突っ込みは馬鹿馬鹿しいので止めておいた。
「何かあっても深く突っ込もうとしちゃ、駄目だよ……解ったね?」
「……? 承知しました」
 意味深な言葉に、首を傾げつつもリィトは了承の意を示した。
「よろしい。活躍、期待しているよ」
 その口調はとても楽しげだった。

*      *      *

「それで……具体的にはどのような任務なのですか? ……ツァイニー」
 未だ言いにくそうに名を呼ぶリィトを見て、それは満足そうに彼女は答える。
「そうねえ、実は私もまだ先方に詳しい話を伺ってはいないのよ。解っているのは魔物絡みって事位かしら?」
「……魔物?」
 魔物。人間よりも、遥かに長い時を過ごし、多大なる力を持っているとされている存在。奥地に住まい、滅多に姿を見せないため、幻とも言われている種族。軽い口調で放たれた言葉は、非常に大きな事であった。
 初仕事でそんな面倒な目に、と通常の者なら恐れてしまうだろう状況をリィトは思いの他冷静に受け止めていた。その様子を見て、意外そうに覗き込んでくるツァイニー。
「あら、驚いたりしないのね。結構肝が据わっているのね。あ、もしかしたら……アーネストの素性を知ってしまっているから?」
 そうだ。あの人も、半分とは言え魔物の血が流れている存在なのだ。
「それだけでは、ないですけどね」
 囁くようなその声は相手には、只の言葉の羅列として響くのみだった。
「え? 何かしら」
「いいえ、何でも」
 不満げな顔を浮かべながら、ツァイニーは突如リィトの腕を引いた。何が起こったのか把握しないまま、流れに身を任せるしかないリィト。気付けば、ツァイニーのはち切れんばかりの谷間が目の前にあった。やがてやわらかな感触が頬に当たる。これには寡黙な少年も、その顔を紅潮せざるを得なくなる。
 言葉にならないうめきが数秒続いた後、開放された。バッと離れた彼の表情はまだ赤く染まっている。
「い……いいいい、いきなり何をなさるんですか!」
「本当に存分に楽しめそうね、リィト」
 質問には一切答えず、相手は微笑を繰り返すばかりだ。
「嫌ならば、私に隠し事などしないことね。こそこそするのは私、嫌いよ」
 改めてリィトは思う。前途多難。初日からこんな感じで本当に……体がもつのだろうかと。不安が過ぎる。でも、やるしかないのだ。それしか自分には道がないのだから。無理矢理ではあるものの、自らを奮い立たせる。
「さて冗談はここまでにしておきましょうか。じゃあ、着替えをしていらっしゃいな」
 そういえば、着替えの途中だったのだ。思い出す。人前に出れない格好ではなかったものの、任務には不向きな普段着である。髪も、バサバサ。きっちりした格好をするのも、任務の基本の一つなのだ。
「それじゃ、準備が済んだら。大広間にいらっしゃいな」
「解りました、では……」
「ああ、そうそう行き先を教えていなかったわね」
 部屋に戻りかけたリィトを呼び止めるツァイニー。
「場所は……『第八魔術師アカデミー』よ」
 瞬時に表情を失いかけるリィト。すべてお見通しと言わんばかりに、ツァイニーは言葉を続ける。宣言するかのように。
「そう、貴方がかつて学んだ場所よ、リィト」
 全ての運命の始まりの場所。苦しみの根源。人を人と認識してなかった頃の記憶がまざまざと浮かぶ。記憶から消し去りたい、過去の自分。でも、今の自分があるのはその過程を経たからでもあって。
(これは……試練なのか?)
 試練であるかはともかくも、魔術師リィト=フォレスターレンの名はここから始動する。翻弄される運命のほんの最初の序章が、確かに刻まれた瞬間だった。


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