飛べない魔術師

次へ/目次へ


序章「運命の岬」

『ライラ公国』。面積は狭小ながら、大陸一の魔道大国としてその名を馳せている海岸沿いの国。数多くの『魔術アカデミー』と呼ばれる魔術師養成学校が存在し、優秀な魔術師達が年々輩出されている。
 その中でもトップクラスの魔術師しか属する事が許されない、いわば魔術の精鋭達が集う場、通称『アーネスト』と呼ばれる、それが『魔術師協会総本部』である。ちなみに『アーネスト』とは、協会創設者の名に由来し、今では協会の通称の他、協会長の呼称にも使われている。お飾り同然となっている大公の代わりに、国の実権を担っているのは彼ら。この国では、魔力の優劣が地位を決定付ける。
 …というのは通説。無論魔力の良し悪しはもっとも考慮される要素である事は間違いはない。しかし、実際に人を纏めるに必要な要素は人間性にある。同系列の魔術であっても使う人間によっては、天国も地獄も生み出せる、という訳である。
 近年その要素を全くもって度外視し、アカデミーの成績を上げる事のみに固執してしまう生徒が急増している事に上層部の人間は頭を抱えていた。ガリ勉になっているだけの者はまだマシだ。上層部が危惧していたのは、優秀な者を引きずり降ろそうと考える者達。それぞれに必死なる感情は存在しているのかもしれない。しかし、そうして得たものに何の意味があるのか。
 その者達がそれに気付くのは、すべて事が起こった後のみ。

*      *      *

 岬の突端にその樹海は広がっている。見事な緑の絨毯がその場を覆いつくしている。そして、その大部分が常緑樹という事から、年中、もちろん木々がその身体を曝け出している冬ですら、この樹海は青々と生命を主張する。地が純白に染められている中にあって、近寄りがたい奇妙さを表すには十分な要素をこの地は持っていた。それゆえか、一般人でこの地に敢えて近づこうとする者はまず、存在しない。
 誰かに導かれない限りは。

≪ライラ暦 2894年 7の月≫

「……ここは」
(自分は確か、アカデミーの構内を歩いていたはずなのに)
 リィト=フォレスターレンは一杯に広がる数多の常緑樹の木々を見つめていた。
 彼は樹海の目と鼻の先にある魔術師アカデミーの生徒であり、そして『アーネスト』の候補生の一人であった。成績が優秀なのは勿論のこと、魔力の許容量に関しても彼は群を抜いていた。正直な話、成績は勉強次第で何とかなる範疇だが。魔力許容量に関しては話が違う。魔力の許容量は生まれながら持っているもの、いわば天性によるものだ。修業次第で増やせない事はないが、血反吐を吐く努力をもってしても大した増加は見込めない。こればっかりはどうしようもない事だ。
 とにかくもリィトは誰が見たって申し分ない候補生であるはずであった。ただ一つ、自分以外の人間を軽視するような気質を除けば。魔力許容力の高さ、という天性の要素を持っている事もあいまって、彼は自らの才能を過信していた。自分には恐れるものは何もないと。このまま、順調に事は運ぶと。だが、彼は知らなかった。世界は彼の想像を遥かに超えるほど広い、という事を
 突端の、断崖ギリギリの場所。深い深い樹海の果てには、ほんの少しの草原が広がる。リィトは、背後の海原には目もくれず、自らの身に起こっている事が信じられないと言った風に目を瞬かせていた。
(誰かが、僕をここに導いた?)
 何のために? ……そんな疑問は起こらなかった。彼には思い当たる節があったからだ。では、誰が? 思い当たる、人間は一人しかいない。
(でも、あいつは……そんな……まさか)
 手に汗を握る、その身は無意識の内に小刻みに震えている。
 一際大きく潮騒が響く。直後、何とも言えぬ呻き声を上げながらリィトはその場にしゃがみ込んだ。
(……やめてくれ……)
 鮮明に頭に浮かぶ、忌まわしい映像。眼下に広がる、碧き海原。手を伸ばせば届きそうで、……吸い込まれるかの如く飛沫を上げて……。そして、本当に『あいつ』は吸い込まれた。その光景が目に焼きついて。頭から離れなくて。
「……やめろぉっ!」
「……何を?」
 リィトが力一杯頭を抱え込むのと、背後から声が聞こえて来たのはほぼ同時だった。
 両腕に込めた力が一気に抜ける。その声にはそれ位の力があった。信じられない、否、信じたくはない気持ちでゆっくりと背後を振り返る。視界に広がるのは一面美しい海原。でも、リィトにとっては忌まわしきもの。眩暈を覚えながらも、声の主を探す。そして、見つけた。琥珀色の夕日にそめられた雲を背景にその少年はいた。軽い羽毛がそよ風で舞うが如く、ふうわりと宙を浮遊しながら。
「……ルティ」
 無機質に、ぼそりと声の主を呼んだ。金の髪、紫の瞳、薄紫色の法衣。全ては「あの時」のままの姿。
「やあ、リィト」
 『ルティ』と呼ばれた上空の少年が呼びかける。時折、霞みがかったようにその姿を薄くする光景をみて、体をビクリと強張らせるリィト。
「……ルティ……。……やはり君は……」
 リィトはそれ以上言葉を紡ぐ事が出来なかった。認めなくてはいけない。でも、認めたくない事実が、そこには存在していたから。手は届かない、しかし遥か上空にいる訳ではない、そんな位置で浮遊している少年『ルティ』は不可思議な笑みを携えている。
「その疑問を解きたいなら、ここまで来て確かめれば良いじゃないか。……僕が、何者かさ」
 何とも言えぬ、笑みを携えながらルティは傍らの空間を指し示す。ここに来い、と目で訴えているように、リィトには感じた。手は届かない、思い切り跳んでも触れない、しかしそれほど高い位置に浮かんでいる訳ではない。否、遥か上空にいたとしても、リィトの魔術であれば、ひとっとびするのは容易な事だった。……今までは。
「……来れないの? そんな訳ないよねぇ。君ほどの魔術の使い手が、『飛ぶ』なんて初歩的な魔術を使えないなんて事」
 まるで、全てを見透かしている様に、ルティの声はリィトの耳に届く。容赦なく心に突き刺さる。
 自らを浮遊させ、空中を突き進む移動手段『浮遊術』。アカデミーにおいては一年次に学ぶ、基礎魔法の一つ。それが、今のリィトには欠けていた。空を進むどころか、自らの体を浮かせることすら出来ないのだ。
「飛べない魔術師はアーネストには必要ない、と宣言されたよ。……君は全部、見てたんだろう? だからこうして、僕を笑いにきたんだろう?」
 一息おいて、リィトは言葉を続けた。
「……君をこの海原に沈めた、僕を恨んでいるんだろう?」
 潮騒の音が、また一際大きく鳴り響いた。

≪ライラ暦 2892年 夏≫

 約三ヶ月の雨季が明け、ライラに本格的な夏がやってくる時期。アカデミーの新学期の幕開け。そして、リィト=フォレスターレンにとっての、忌まわしき運命の始まりの時。順調に行けば、後二年足らずで卒業。後は、『アーネスト』での将来が自分を待っている。全ての教科、そして素養においても群を抜き、文句なしであった彼は、そう信じて疑う事はなかった。その年度に異例の『編入生』が現れるまでは。
 隣国からの編入生ルティ=ティアンズは今まで向かう所敵無しだったはずのリィトの日常に革命をもたらした。リィトと同レベルの魔術の使い手、否、ほんの僅かであるがルティの方が抜きん出ていた。そして、利己主義のリィトとは違い、人当たりの良い性格。教授達の目線の先が変わるのにそんな時間は掛からなかった。そして、当然の様に彼はアーネストの候補の一人に上がる。
 リィトの心にはじめての感情が起こる。焦り。このままでは今までやってきたことが全て無になるかもしれない。そんな事はあってはならない。じゃあ、回避するにはどうすればいい。簡単な事だ。こうなる以前の状態に戻してやればいい。アイツが来る前の、状態に。ココカラ、アイツガキエレバイイ。
 だから、深い樹海の奥深くにアイツを呼び出した。魔術を使って。夕暮れ時。いきなり断崖ギリギリの場に連れて来られたというのに。アイツは不安がる事もなく、きょとんとした表情で座っていた。その表情をみた瞬間心の中で何かが動いた。アイツが立ち上がり、視線を海原にやったその時。樹海に潜んでいた僕はアイツの背を押した。
 遥か下方に見える海原。どんどん小さくなっていき、やがて白い水飛沫が見えた。そんな光景がやたら鮮明に焼きついて離れなかった。それが、全ての崩壊の始まり。
 そして、僕は恐怖に苛まれるようになる。

≪ライラ暦 2894年 7の月≫

「……それで、飛べなくなったって事?」
 上空のルティは穏やかな口調で問う。それが余計にリィトの心に突き刺さる。
 ……以前であれば、決して覚えないはずの感情。
「飛べないだけではない、高い場所に立っても症状は同じだ……」
 それまでは本当にそんな事はなかったんだ。表情が歪む。空に浮かんで下を見た時に不意にあの光景が浮かんだ。視線の遥か下に小さく見える景色、小さくなって海原に消えていったルティの姿が焼きついて。もう、空中には居られなかった。調子が悪いという言い訳も長い時は通じなかった。理由を言えば気は楽になったのかもしれない。でも、言えなかった。だから耐えて二年の時を過ごした。『アーネスト』はあらゆる魔術のエリートが集まる場だ、浮遊術1つ使えぬ事は支障にはならない。そう、信じた。「絶望」を告げられたその時までは。
『たかが浮遊術、と礎である基礎魔術を疎かにする者をここに迎える訳にはいかない、という訳だ。異論はあるか? フォレスターレン。それとも明確な理由をここで述べられるか?』
 そんな事、出来る訳はなかった。真実を明かすにしろ、そうでないにしろ、もう彼の道は閉ざされたも同義だったのだから。
 『アーネスト』の魔術師になる事だけが、リィトの生きがいだった。それしか見えてなかった、過ちを犯さねば気付かぬ程に。上空のルティを見て、リィトは苦笑した。
「『魔術師の素養は魂に刻まれる』……か。冗談の様に思っていたけど今、良く解ったよ」
 リィトは余り好きでなかった教授が講義で良く語っていた言葉を思い浮かべた。
「あのさ、リィト……」
「進むべき道を失った僕に死ねと言うんだろ? ……だからそんな姿になってまで、こういう事をしたんだ」
「いや、誰もそんな事は言ってないってば」
 飽くまでルティの口調は穏やかだ。イライラする。手をわななかせながら、リィトは叫んだ。思いの内を。
「どうして君はそうなんだ! 皮肉を言っても、『ああ、ごめん』ってあやまるし!」
「……どうしてって言われても……。こういう性格だもの」
 言われた言葉に、目を瞠るリィト。意図せずとも、人に好印象を与える性格。だからこそ、自分の足りない感情に気付かせられてしまったんだ。でもその時は只の気の迷い、程度にしか感じなかった。それだけ曖昧な心の異変だった。気付いたのは、過ちを起こし。その結果が出てしまった後だったけど。
 異変に気付いた時点で、軌道修正出来れば良かった。でも、僕は気付かないふりをした。それまでの自分を全て否定されるのがいやだった。だから原因を、ルティを消そうと思った。それで、元の状態に戻れると。
 ぽたりと涙が草むらに落ちた。
「本当は……殺す気なんて無かったんだ」
「……都合のいい台詞なんて、後からは沢山言えるよね。でも意外。君でも泣けるんだ。……後悔する、気持ちはあるんだ。知らなかった」
「……だろうな、僕も知らなかったんだから。君がいなければ」
「それ、君が言う台詞?」
「……」
 沈黙が走る。その合間に潮騒の音が響く。しばらくその状態が続いた後、言葉を紡いだのはルティだった。
「あのさ、リィト。僕がこうして君をここに呼んだのは別に君も同じ目に遭えなんて意味じゃないからね。さっきは勝手に物騒な事いってくれちゃってたけどさ。てかさ、本当は君自身が死のうって考えてたんじゃないの? 実は」
「……どうしてだ?」
 目を瞠るリィトと「え」と間の抜けた声を漏らすルティ。ありゃーとかもごもごと訳の解らぬ事を呟きながら。
「本当に、そんな気だったの? ……参ったな〜。そんな事されたら全てが水の泡……」
「? 何をブツブツ言っているんだ?」
 ルティの後半の呟きは海鳴りによってかき消され、伝わらなかった。
「いや、君に死なれたら天国にもいけないって話」
「……? で、君の要求は何だ? ……そんな姿になってまで果たしたかった事は」
 首を傾げながらも、尋ねるリィト。
 少し間を置いた後、上空に浮かんでいたルティが降下を始めた。ルティは樹海側に降り立った。……というのは正確に言えば違った。その足元は地面にはつかずに、僅かながらであったが浮いていたのだから。そして、透けている体。深い樹海の緑が見える。
「単刀直入に言うよ。君の犯した罪を告白して欲しい。死んで逃げるのは許さないから」
「! それは……、だってアレから二年近くもたっているんだぞ! 今更何になるって言うんだ……」
「だから、全てを無かった事にして自分も命を絶とうっての? 駄目だよ」
 ……罪を悔いて、生き地獄を味わえと言うのか。そんな言葉を口にしようとして、止めた。それすらも自己防衛の言葉。こんな風に追い詰められても、自分はそうとしか思えないのか。
 自問自答しているリィトに、「ねえ」と話掛けるルティ。
「あのさ、僕のせいでこの世に別れを告げるなんてバカバカしいって思わないの? 何か、君ならそう思いそう……ってこれは僕の勝手な想像だけど」
「……それは思わなかった」
「そう。安心した。君は芯からロクでもない人間じゃなかったようだ」
 そこまで言った所で、彼の影が一際薄くなった。
「……ルティ?」
 手を見ながら、あーあ、とルティは不満そうな呟きを漏らした。
「残念だけど、時間切れギリギリみたい」
「……こんな事言っても信じてもらえないかも知れないけど……」
 前振りもなく、話を切り出すリィト。「何?」とルティは呟く。再び涙が零れそうになるのを堪える。話せなくなるから。
「本当に殺す気なんて無かったんだ……」
 ただ、脅しを掛けたいだけだった。君の何をも疑わぬ表情を見るまでは。自分の汚い心を罰せられたような気がした。それに耐えられなくなったから。でも、僕は自分が大切だったから。
「それに気付かされただけでもいいじゃないの? 変わっていくには十分君は若いんだし」
「……君だって僕と同じ16歳じゃないか……。結構ジジくさいな……」
「……ん? あ……ああ〜、まあそうだよね」
 歯切れの悪いルティの台詞にリィトが気を止める事はなかった。それよりもどんどん空気に同化して行こうとしている彼の姿の方が焼きついていたから。
「でも変わって行くには、ひとつ大きな壁を越えなければならない。それが」
「罪の告白って訳か……。……解ったよ」
「それは良かった」
「……君はそんな事の為に、こうして現れたって言うのか? ルティ」
 その問いに答えは返らなかった。気付けば、彼の視界には深い深い樹海のみが残った。
 リィトは即座にその場を後にした。自らの罪を告白するために。

*      *      *

 リィトの犯した罪は何故か公にはされなかった。只、彼はひと月の謹慎を命じられただけだった。どうにも納得がゆかなかったが、とりあえず言う通りにした。
 上に逆らってでも真実を問いただせば良かった、と思うのは翌月の事。

≪ライラ暦 2894年 8の月≫

「リィト=フォレスターレンを連れて参りました、アーネスト」
「ご苦労だったね、入りたまえ」
 ドア越しにくぐもって聞こえてきた『アーネスト』の声は思ったより若いな、とリィトは思った。魔術師の長、アーネストの部屋は壁紙、家具、小物に至るまで白で統一されていた。もっと豪華な調度品とかある部屋を想像していたリィトは思わず、質素だなと思ってしまう。
 そんな部屋の奥に、これまた白い皮製の回転椅子に座って『アーネスト』はいた。背を向けていて、さらに背もたれが高いからなのか、肝心のお姿は確認できないが。
「リィト=フォレスターレン、だね」
 背を向けたままのアーネストの声。…やはり若い、まるで少年のようだ。
「お初にお目にかかります、アーネスト様」
 詳しく言えばお目にかかってはいないけど、と心でごちて礼をするリィト。そのリィトはアカデミーの正装をしている。もう二度とする事はないと思っていた格好。
「さて、フォレスターレン。こうして君を呼んだ理由であるが、なぜか判るかね」
「……ルティ=ティアンズ、についての罪状、ですね」
 切れ切れに呟くルティ。よほどの刑は覚悟はしていたがまさか協会長自らが関わって来るなんて。自分が想像している通りの展開を疑わないリィト。しかし、それはあっさり覆されることになる。
「まあ、それもあるがね。私が君を呼んだのは、君に正式な任命状を渡す為だ」
 思わず「え?!」と素っ頓狂な声を上げるリィト。横に控えていた男がそれを諌める。
「……アーネスト、それは私に協会員になれ、という事にしか聞こえませんが……」
「まさにその通りだよ。文句なしの成績、実力。他のものがなんといおうと私は君が欲しい。浮遊術の事はなんとかなるだろう」
 それは、思ってもみない展開だった。永遠に閉ざされたはずだった道が開かれたのだ。かつて願った、道が。……だが。
「折角ですが、アーネスト。私はそれをお受けする事はできません」
「何故だね? 協会員になれば、残る生涯が保障される程の恩恵を受けられるというのに」
「……確かに、以前の私であればそう、思ったかもしれません。ですが、罪を背負い、誰かを犠牲にして手に入れた地位をもてるほど……強き人間ではないのです」
「私自らの任命でも、か」
「自分の心に偽りは申せません」
 これで、終わりだな。リィトは思う。でも、後悔の念はなかった。沈黙があった後、口を開いたのはアーネストだった。
「……フォレスターレン」
「……はい」
 叱責を覚悟し、体を強張らせるリィト。しかし、それは取り越し苦労に終わった。
「その言葉がずっと聞きたかったんだよ。……リィト」
 目を瞠るリィト。名前で呼ばれた事は少ししてから気付いた。
「え……、あの……」
 言う言葉が見つからず、曖昧な呟きを思わず漏らしてしまうリィト。
「まあ、大丈夫だよ。あの事は公にされていないし。それに、君の場合未遂だし、反省の期間はもうちょっと必要かもしれないけど」
「……え? 未遂?」
 口を空けながら素っ頓狂な声を上げる。アーネストの最初はくっくっと乾いていたそれが、ある時点から堰を切ったかの様に大きな笑いに変わった。大きいというか、大爆笑というか。何をどうしたらいいのかわからないリィトであったが、とりあえず一番の疑問を投げかけてみる。
「あ……あの、アーネスト様。……それは、ルティは生きている……とそういう事なのですか?」
 未遂だというなら、在るべき事実はそれしかないことになる。確かに自分は海に彼が落ちる所までしか見ていないわけで。生死の確認は行なってはいなかったけれど。では、自分が樹海の奥で会ったあのルティはなんだったのだ。
(生き霊…とか?)
 ぐるぐると様々な思考が頭の中を巡る。
「……あのさ、君本気でそれ言っている訳? 僕、ちょっとがっかりだなぁ。リィト」
 くるりとアーネストの回転椅子が回り、彼の姿が明らかになる。滅多に人前に姿を現さないことで有名な、アーネストの顔が。
「……ル……ティ……?」
「声で気付いてよ」
 腕組しながら、口を尖らせて不満の意を表すのは、紛れもないルティ=ティアンズだった。 「……あれ、アーネストは……どこに」
 せわしなく瞬きを繰り返しながら周りを確かめるリィト。
「だから僕がアーネストだってば」
 背後のルティが急かすような声を浴びせかける。ゆっくりとルティの方に向き直るリィト。腕組していた手はいつの間にかはずされ、右手で頬杖をついて呆れ顔をしているルティの表情が目に映った。手首に光る腕輪、『アーネスト』の協会員である証。それは良い、問題はそれに嵌められている石だった。碧い海の色を思わせる美しい色、天からの恵み、と称される程非常に珍しい宝石だ。これを身に付ける事が許されるのはたった一人。『アーネスト』の名を背負う者だけ。
「……本当なのか?」
「何度も言わせないでよ、僕の話信じてくれない?」
「信じたいさ、だが信じられないじゃないか。君がアーネスト?! だって君は僕と年は変わらないだろう? 君が相当な魔力の使い手なのは認めよう。だが、アーネストになるならば長年の実績が必要なはずだ。それともなにか? 君は赤子の時にはもう『アーネスト』の一員だったとでもいうつもりか? ……いや、そんなはずはない。君は僕と同じアカデミーにいたんだからな!!」
 机をバンッと大きく叩きつける。その表情はアカデミーにおいてはなかったものだ。それを見て、ルティが口を一瞬笑みの形にしていた事を、興奮していたリィトが気付く事はなかった。
「あーあー、落ち着きたまえよ。一つずつ説明するからさ」

*      *      *

「まずは、年齢云々の話だね。でもそれは全然問題はない。……だって僕、協会員暦は五十年だからね。十分すぎるほどだろ?」
 見た目はどうみたって二十以上には見えないルティがにっこり笑いながら答える。ちなみに最短でアカデミーを卒業した場合の年齢は十四、五歳。いや、記憶が正しければ彼は十六歳のはずなのだ。自分と同い年。それに五十を足せば、彼は七十近い年齢という事になってしまう。
「……それこそ、信じられることじゃないだろ。若返りの魔法でも掛けているとか言うんじゃないだろうな」
「ううん、僕混血なんだよね。母親、エルフなんだ。こう見えても君の五倍以上は生きているから」
「……」
 エルフ族。何千年もの時を生きるといわれている、最高位の魔族だ。
「後はアカデミー生に扮していた理由だけど」
 しっかりと姿勢を正す。これはしっかりと聞いておかねばならない。そもそも、全ての事の発端はそこにあるのだ。
「君のさあ、その難のある性格をどうにかならんかとアカデミーの教授たちに相談されてね」
「……はい?」
「僕はそんな生徒は無視して、他の筋のある生徒を鍛えたまえといったんだがね、話を聞いたら近年まれに見る成績優秀者だというじゃないか。しかも、ずば抜けている魔力許容量!! 今の協会員ってさあ、それが圧倒的に足りなくてね。解るよね? 高度な魔力を使える人間は沢山いる。だがね、長続きせんのだよ? 燃料がないのだからね! まあ、とにかくも! 僕はアーネストとしてどうしても君が欲しくなってしまった訳だ。だが、協会員として視野の狭さというのは致命的な欠点だ。それはなんとも善処せねばならない。で、ここで妙案を思いついたのだよ。君と同じ実力に加え、周りの事を良く考え、人望が厚い者が高い評価を与えられれば、自らを反省して、悔い改めるのではないかとね」
 高らかに、なぜかうっとりした表情で語るルティを最早呆然とリィトはみているしかなかった。
「でもさ、まさか世の中そんなに性格ひん曲がった人間がいたとは予想外でさー。まあ、僕世間知らずだし? まさか、突き落とされようとは思わなくてさ、あせったよ」
 沈黙しているリィトに構わず、ルティは満面の笑みで話を続ける。
「それでリィトが十分に罪を悔いているって事もわかったし、あ、ちなみに樹海での事だけどね。あれ、幽体離脱ってヤツ。もう二度とあんな事はしないと思っているだろう?」
 話を振られ、ようやく我に返るリィト。
「ええ……絶対にね」
 あれだけ成績を上げることばかりに夢中になって、あわや人殺しまでするところで、果てには簡単な魔術を失って、そこまでして勝ち取りたいと願っていたものの実態がこれでは、もうあの様な過ちを起こす気にはなれはしない。
(むしろ、放浪の魔術師でもやっていた方が性にはあっているかも知れない……)
 そうだ、こんな所にいたら人間性の向上どころか、元からある人間不信な性格が余計に悪化しかねない。なんとなくそこらへんをこの連中はわかっていない。……逃げるなら今かもしれない。
「ル……いや、アーネスト、私は」
「あ、あれなんだろ」
 と、あさっての方向を指差すルティ。思わず「え?」とその方向を見るリィト。その瞬間にリィト=フォレスターレンの運命は決まった。
 軽い金属音と共に、『アーネスト』の一員である事を示す件の腕輪がしっかりとリィトの左手首に嵌っていた。
「な……ッ!」
「これで君も栄えある『アーネスト』の一員だ、リィト=フォレスターレン」
 これ以上ない満面の笑顔でもって言葉を紡ぐルティ。
「こういうのは自分勝手といわないのか……?」
「僕は国の為に君が必要と判断したんだ。いやあ、君の様な人間は調教のし甲斐があって楽しみだよ」
(やっぱり、自分の勝手じゃないか……)
 それを察しているかのように意図の読み取りにくい笑みを投げてくるルティ。まるで、こちらの感情を読み取っているのではないかというように。むしろ、本当に読まれているのかもしれない。なんといっても彼はその位の魔術など朝飯前の人間なのだから。
「その不機嫌な顔を早くどうにかしたまえよ? 未遂の罪を不問にしてあげて、『アーネスト』での地位を与えようっていうんだから、なんの問題はないだろう? ……ね?」
 最後は「文句は言わせないよ」とでも言わんばかりにやたらと力を込めて、ルティは笑みを浮かべる。これは、絶対に根に持っている。
「……じゃあ、僕の苦労って……」
「ああ、それはいい気になっていた自分へのささやかな罰だとでも思いたまえ。うん、一件落着!」
 刹那、リィトの中で何かが崩れ落ちていく音が聞こえた気がした。全てを諦めた顔で目の前の理知的に見える、その実は性悪な自分の主――リィト自身は決して認めたくはなかったが――を見ながら、静かに両手を上げて降参の意を示した。こうして流されるのもいいかも知れないと。むしろ、抵抗して逆に復讐でもされたりでもしたら、それこそゴメンだと言い聞かせながら。

 これより長き時を経て、国内外にその名を轟かせる大魔術師リィト=フォレスターレンの苦難の道が今、幕を開けた。


目次へ/断章1へ
後書きへ