おいでませ冒険者! 

その2「修練女と甘美な罠」

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 とりたててウリがあるという訳でもないが、村唯一であり(苦い事情を経ての結果とは言え)それなりに充実しているという理由で、常にまあまあの客を確保している、冒険者の宿『ターシェン』
 ぶっちゃけそれじゃあ借金返済のためには足りないのよね、という看板娘エリスの心の叫びはさておき。宿が本格的に賑わい始めるのは夕方過ぎからであり、今現在即ち昼時は比較的穏やかである。だからといって従業員は暇を持て余しているのか、と言えばそうではなく夕方からの客のため、食事の下ごしらえ等に余念がない。別にここが特別なのではなく、これが宿屋の常というものだ。
 ここまでは普通の宿そのものなのに。通常なら店番をしている今時分、宿屋の受付に親友がいないのを確認すると、汗を拭い溜息を吐きつつるかは真っ直ぐにカウンター脇を通り抜け、奥の扉を何の躊躇もなしに開け放つ。余りにその動作が自然なので、誰もあれいいのかな、とは思わない――のには流石にその出で立ちに無理があった。とは言うものの、気付きつつも誰も止めもせず、見ているだけなのは単に面倒なだけなのか、それとも一般庶民には不可侵な領域であるシスターという存在の故なのか、……理由は定かではない。
 とにかくもこれも、ターシェンの常なのである。

*      *      *

「あら、いらっしゃい。ルカさん」
 傍からみたら『不法侵入の怪しげなシスター』にも倉庫整理をしていた女性は何の警戒心も抱く事無く、にっこりと笑顔を見せている。
「ごきげんよう、おばさま」
 つられるかのようににっこりと微笑み返すルカ。いつもの教会の訪問者相手にしている愛想笑いに半ば辟易している身としては自然に笑顔を引き出させる相手の存在は天上の頂にも等しい清浄さを与えてくれる。……とは言っても天上の頂なんてただ司祭様の説教でしか聞いた事がないし、清浄なる空気がなんたるかは知る所ではないのではっきりとは言えないけれども。
 たまには聖職者たる者としてそれなりに表現を使っていなければボロが出てしまうかも知れない。無論それが聖職者として適切な表現なのかも断言は出来ないのだけれども。ちなみに、思っているだけで口に出さなければこうして思案しているのも意味がないのでは? という指摘はここでは飲み込んでいただきたい。とにかくも間違っていたとしても自分は修「練」女――一人前の修道女になるべく修行中の身習いなのでまあ良い事にする。もしここに幼馴染の少年がいたならばきっと……以下同文。

*      *      *

 勝手口を抜けた先で繰り広げられていたのはよそ者からしてみれば目を瞠らずには居られない、ルカにとっては見慣れたいつもの光景だった。
「……ふっ……。こちらのご近所に対する配慮を踏みにじるような行動……覚悟は出来てるんでしょうね?」
 パチパチと火の粉を散らしながら三つののろしが上がっているというのどかな庭園と炎天下、という非常に噛み合わない情景を背中に、やや小振りな松明を手にしたエリスとスライムが対峙している、赤色透明の体をぷるぷると震わせているその姿は、リイダの母親が良く作ってくれる木苺のゼリーに酷似している。お昼時という頃合も相まって、この状況は非常に腹の虫を刺激する。
「それにしても火の中を掻い潜って来るとは見上げた根性だわ。それは評価してあげる。だからって他人様の者を荒らして良い理由にはならないのよ! 解ってるんでしょうね! 解ってないんでしょうね! じゃなかったらこんな事しないもんねー? え?! どーなのよっ! 何とかお言い!」
 あの甘い味が広がっていく中で、時折ひょこっと顔を出す酸味がまさに絶妙。それはさながら天使の梯子――雲の切れ間からさす一筋の陽光の如くの極上品。
「ちょっと! こっちが下手に出て言い訳聞いてやろうってのにだんまり?! 犯罪者の分際で生意気な!」
 元々口がないのだからだんまりもなにもない。更なるエリスの叫びというか脅迫じみた罵声にスライムは体を強張らせる――というのは人間の場合の表現であり、ぷるぷる震えていたものが、ぷるるんと大きく波打つ。そうそう、あの得も言われぬ弾力さ加減も絶妙なのですわよね。なのにそれが嘘であったかのように口の中に入れた途端にさっと融ける不思議。そしてその広がる味は――先に示したので省略。
「そんな訳で大人しく制裁をお受け! あははははははははっ!」
 怒りで既に暴走状態に突入している親友はさておき、ひたすらぷるぷる震えるスライムを目にしながら――彼女の焦点は親友ではなく飽くまでスライムにある――ルカは更に魅惑の赤い宝石と呼ぶべきデザートへの想いを巡らせる。三日前に会ったばかりなのに、たったこれだけのきっかけでもうこんなにも恋しい。
 常人が聞けば何を大げさな、と思われるかも知れないがありとあらゆる面で質素倹約を強いられている教会生活の中で、好きなものを食べられる時間は天上にいるような気分にも等しい、と言っても過言ではないのだ。重ねて言えば無論天上になど誰も行った事はないし、ルカの場合は他の聖職者に比べて少しばかり……否、かなり欲が深いので(ただし食に関する事が殆どだが)すべての聖職者がそう感じている訳ではきっとない。……おそらくは。
「おほほほほほっ! これにこりたら二度とくるんじゃないわよっ! 仲間にもよぉーく伝えて置く事ねっ。他人様の者を荒らした報いを余すことなく語れ! 伝えろ! あははははははははっ!」
 のそのそとゆっくり移動する普段の速度が嘘であるかのようにぴょんぴょんと高速で逃げ去っていくスライム達。
 大体週に一回の割合で教会に届くから……最低でもあと5日は会えない。三日前は偶然にも『ターシェン』で相伴に上がらせて貰えたけれども。会えない時間が愛を育てる、という言葉もあることだし。今は名残惜しいけれどもまた会えるその時まで。ああ、木苺のゼリーも絶品だけれども、リンゴのパイもまた美味で。
「はーもう油断も隙もありゃしないわ。あ、いつの間に。何用? ルカ」
 そうそう。葡萄の果実がまるごとはいったゼリーも美味しかったですわね。でも葡萄の獲れる季節にはまだ早いわ、残念。
「……おい、ルカさーん?」
 あの甘さ控えめな栗のケーキも捨てがたいのだけれども、これもまだ季節ではない。口惜しいこと。
 それにしても何故あんな街の喫茶店顔無しの腕を持つ女性が道具屋の奥様という地位に甘んじているのやら。まあ男女の仲というものにとやかく言うつもりはないし、理解するつもりもないからこの件についてはここまでにしておくけれども。ああ、でもあのくろすぐりの……。
「――ルカ。こらてめぇ、いい加減に返事せんかい!」
「……え? あらあら、そんなてめぇ、だなんて乱暴な言葉遣いするなんてはしたないですわよ、エリスったら」
 さっきのスライムとの立ち回りははしたなくはないのか。事情を知らぬ者がいたら即座にそう突っ込むだろう状況もここでは常に宙に滞在していて意識はされずとも人間の生命活動の礎となっている空気の如く、当たり前すぎる光景だ。
「そっちがいつまでも返事しないからでしょが!」
「長い人生の中、こういう事態は幾らでも遭遇する機会はあります。第一だからと言って言葉を乱暴にして良いという法則は成り立たないでしょう? 耳元まで行って声を掛けるとか、肩を叩くとかもっと穏便に済ませる方法は幾らでもあるではありません事?」
「……解った。確かにその点についてはあんたが正論だわ。それは反省する。でもね、アンタ。自分がぼうっとしていたことに関する謝罪はない訳?」
 予定外の訪問でエリスが気付かなかったならまだしも――この際気付けるはずがなかった状況だった事は考えないで頂こう――ちゃんと目的をもっと来た(であろう)ルカがおそらくはまた妙な妄想を働かせて上の空だった挙句、開き直った様な態度を取るというのは納得の行くことでは決してない。
 怒りと呆れの中間くらいの、何とも納得がいかない気分を抱えているエリスの視線の先にいるルカは上目遣いにほんの少し「ああ……」とか呟いて何かを考える仕草を見せた後、うんうん頷いて聖職者ならではの微笑を向けた。
「そういえば言い忘れていましたわ。ごめんあそばせ」
「それで終わりかッ!」
「ぐだぐだと長ったるしい前置きを述べる謝罪は言い訳がましいだけですわよ」
 相変わらず、減らず口ながらさりげなく言っている事は正論とまではいかずとも、間違った事ではない。……では、ないのだけれども。
「あんたのは省略し過ぎだって言ってるのよ! つかとどのつまり用件は何? 荒らされた畑の手直ししなきゃならないから手短にして貰えると嬉しいんだけど」
「ああ、確かにそうですわね。本当に困ったスライムさん達ですこと」
 現場を目撃していたくせに遠い昔の事を思い出すかのような口調。見ている人間にすれば当たり前の光景も、実際にスライムと対峙している人間にしてみればそれは当たり前では済まされない状況。
 であるからして、そういうそっけない態度を取られるとぷっつん行きそうになる。とはいえ冷静になれば反省すべき点はこちらにもある訳で。多分自分が苛立っている事の相乗効果も大きいのだろうな。と思えてここは堪える。言い方はともあれ、ルカもそれなりに気遣ってくれているのだからその意味を重んじなければね、あんたが前に言った通りにさ。
「そんな時こそこの魔除けの鈴を」
 出された記憶に新しすぎる品物に、感情は再び元の位置へと逆戻り。
「そんなん買う金あったら粉買うわ!」
 それすらも買う余裕すらないからこんな季節に似合わないことやってるんじゃないか! という言葉はどうにか飲み込んだ。いかに前向きで神経の図太い爆裂娘も切実な家計の事に関しては殊更敏感なのである。
「あらまあ残念ですわ。ほら今だってまったくモンスターさん達も寄せ付けていませんのに」
「今私が追い払ったばっかだからよ! あんたの目は節穴か!」
「どこからどうみても憂いの帯びた神秘的で且つ魅力的な瞳じゃありませんの」
 自分で言うか、自分で。第一聖職者たる者驕り高ぶったり、自らを誇示したりしてはならないのが基本じゃないのか……という一般論がルカには通じない事は重々に理解しているのでここは軽く流す。
「とっとと用件を言いなさい、用件を!」
 訂正。それはもう見事に綺麗さっぱり流して差し上げる。こちらは欠片もその話題を広げるべからず。
「……はっ、そうでしたわ。私とした事がついうっかりいつも通り」
 おや珍しい。いつもであればもう少し……否、こちらが折れるまで屁理屈を並べ立てる所なのに。これはそれなりに重要な用事なのかも知れない。それじゃこちらも落ち着いて話を聞く姿勢に入らないと。
「全くあなたがぐだぐだと話を逸らすからいけないのではないですか」
 いやいや、何か用? って話しかけたのに、しばらく気付かなかったのはどっちですか。でもって気付いたと思ったらあらぬ方向に話をそらしたのはそっちでしょうに。と叫びたい気持ちはどうにか封印し、
「用件!」
 ただ必死にそれのみを促す。ルカはなおも何かを言いたげに口を開きかけては止め、を数回繰り返していたが、やがて意を決したかのようにゆっくりと話し始めた。
「ものは相談なのですけれど、ここに来るだろうお客様を阻止する事は可能ですかしら?」
 ものの僅かな時間で、話を聞いた事をエリスは深く後悔し、
「できるか、んな事」
 瞬殺で相手の要求を却下した。

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